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第6話 海へ出よう


 乗り換えで降りたのは海辺の駅で、ビルの向こうに海が見え、熱い風が潮の香りを運んできてくれた。


 優しく錆びた街を背に、哲也が電話口で親に怒鳴られている。数歩離れていても聞こえる声だ。哲也の奴も馬鹿正直に、水島とその知人と一緒に、ちょっと屋久島へ行ってくると伝えたらしい。で、怒鳴られている。そりゃそうだ。

 互いに電話口で喚いて、互いの怒鳴り声が響く。言い合えるその関係がうらやましい。しばらく言い合った後で、ぶすっとした表情の哲也から、代われってさ、と電話を渡された。元気なおばさんの声だ。


「もしもし、涼子ちゃん」


「あ、こんにちは」


「うちの馬鹿が馬鹿なことを言ってたけど、屋久島へ行くって本当?」


「あ、はい。急に決まって。うちの母さんも知ってますよ」


「大人の人もいるのね?」


「はい。川辺さんっていう女の人です。」

 

「うちの馬鹿のことはいいんだけど。涼子ちゃん、可愛いから。もし哲也がとち狂って襲ってきたらブン殴ってやって。なんなら、ちょん切ってやってね」


「もちろんです」


 言って電話を切ると、哲也がぶつぶつと、


「ナニをちょん切るってんだ。もちろんって、なんなの。そもそも、どう考えても俺の方が巻き込まれた被害者じゃないのか」


「ぶつぶつうるさい! 勝手に来たんじゃん」


「そ、それは、おまえ……」


「なんで来たのよ?」


「おまえがバカだから心配で来たんだよ!」


「はぁ? あんたにバカ呼ばわりされるぐらいなら、いますぐ海へ身を投げるわ!」


 にらみ合うあたしたちの間に入って、夏樹さんが、


「まあまあ二人とも、痴話喧嘩はその辺にして……」


と言ったところへ、


「「痴話喧嘩じゃねぇし!」」


と盛大にハモった。夏樹さんからは、にやにやと仲がいいなぁと言われ、たいへん気分が悪いのです。


 さて、そんなこんなで海辺の駅を発して、さらに港方面へ。鹿児島市内の谷山港からフェリーに乗るのだとか。大きな船を前に、哲也が子供のように目を輝かして喜んでいた。

 まったく、ガキなんだから、と夏樹さんに同意を求めようとしたけれど、こちらも、わあ! 船だぁ! と哲也以上に喜んでいた。

 やれやれ、大人なのはあたしだけですか。そう思いながらも、白状すると、初めて乗るフェリーにわくわくしていた。


 いまから何かが始まるような。いや、冷静に考えれば、もうすでに始まっているんだ。


 もとは貨物船だという船で、一泊しながら屋久島へ向かう。デッキへ出て、海に沈む夕陽を眺めていると、やっと本当に旅に出ている実感が湧いてきた。


 まだ港が見えるあたりで携帯電話が鳴った。それは姉ちゃんからで、開口一番、


「ちょっと、あんた大丈夫なの?」


「何が?」


「何がってあんた、ほとんど見ず知らずの人と旅に出るって。そんなのある?」


「あるよ。ここに」


「あのねぇ、小さいころから、あんたは、ひねてるようで、意外と素直でお人好しのパッパラパーなんだから。なんで母さんが許可したのかわかんないけど、わたしは許さないわよ」


「姉ちゃんに許してもらう必要ないし〜」


「いいから、そのサマボだかスマボだかに代わりなさい。わたしの妹にバカな真似はさせないんだから」


「あー、もう分かったよ。代わるから」


 と、サマボこと夏樹さんに電話を代わってもらった。夏樹さんの声は、不思議と人を安心させ、納得させてしまうみたいだから。

 結果は不思議なほど。妙にトーンダウンした姉ちゃんは、とにかく心配だから気を付けていくのよと言ってくれた。


「いいお姉さんじゃない」


 と夏樹さんに言われ、あたしは首を振って応じた。


「いつもうるさくって、皮肉ばっかですよ」


「それだけ涼ちゃんを見てくれてるんだね」


 そうかな? ふと幼いころのことを思い出した。仕事ばかりの父さんに、家事にパートにと忙しい母さんと、二人に代わって、いつも一緒にいてくれたっけ。

 あれはダメ、これはダメってうるさかったけど、姉ちゃんなりにあたしを守ろうとしてくれていたのかもしれないな。


 あたしは、海に落ちていく火の玉のような夕陽を撮って姉ちゃんに送ってやった。こんな風に自分からメールしたり、声をかけたりすることってなくなってたな。反省しつつ姉ちゃんに送った写真を見ていたら、なにか違和感があった。


 デッキには、こちらに背を向けた夏樹さんの姿がある。さっきからずっとそうしていたのに、写真には夏樹さんが映っていなかった。じっと見ていると、夏樹さんの背中が陽炎のように揺らいで、その向こう、赤く染まった海が透けて見えた。


 思わず声をあげて、目をこすった。


 だが、あたしの声に振り返った夏樹さんには何もおかしなところはなく、


「涼ちゃん、どうしたの?」


「ううん、なんでもない」


「綺麗な夕陽だったね。お姉さん以外に電話しとくところはない? もうじき圏外になっちゃうよ」


「あ、そうだ。美奈に電話しなきゃ」


 あたしは、話も聞かずに美奈を責めたことを後悔していた。本当はすぐにでも連絡を取るべきだったけど、怒涛のごとく事が起きて気持ちが追いついていなかった。まさか屋久島行きのフェリーに乗ることになるなんて。


 電波状態は、すでにあまりよくない。ためらいを電波の悪さが切り払ってくれた。


 携帯の電源を切っていた間に、美奈からは何度もメッセージが入っていた。ごめん、ごめんと伝えようとしてくれていたのに、残酷に無視してきたのはあたしだ。きっと、何度か電話もしてくれたのだろう。

 もう美奈に見捨てられているかもしれない、逆に電話に出てくれないかもしれない。そう思うと、呼び出し音が長く長く感じた。

 つながらない電話に、何度も連絡してくれた美奈は、なんて勇気があるんだろう。あたしは、自分の残酷さを思い知った。不安な数秒の後に、美奈の柔らかい声が聞こえた。


「もしもし、涼子ちゃん?」


「あ、美奈。ごめん、ごめんね。なんの返事もしなくて」


「ううん、ううん、いいの。ありがとう。電話くれて、ありがとう。涼子ちゃん、ごめんなさい。私、あんなことになるなんて思わなくて」


 美奈が電話口で泣いていることがわかった。あたしも、こんないい子を泣かせた自分が恥ずかしくて涙声になっていた。


「ごめん。こっちこそ、ごめんね。そうだ、電波が入らなくなっちゃう前に。あのね、いま、あたし屋久島へ行くフェリーに乗ってるんだ。まさに、そのサマボと一緒にさ」


「え、ええ! だ、だいじょうぶなの?」


 素直に驚く美奈に状況を説明して、お土産を買って帰ると伝えた。実は哲也も一緒だと伝えたら、さらに驚いていたけれど、圏外になる前に話せて本当に良かった。行ってくるよ、美奈。


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