第12話 帰還
長くて短い夏の旅の終わり。
台風の前後、携帯が壊れて連絡が取れなかったことで、両親からしこたま怒られた。病院で合流した哲也の携帯を借りて電話したら、涙声の母さんから怒られて怒られて。もちろん、あたしだけじゃない。哲也も、おばさんに散々怒られてた。でも、怒られるのも嫌じゃなかった。
帰り着いた最寄駅には、家族だけじゃなくて、美奈も迎えに来てくれていた。おかげで駅でも叱られるのは回避できた。
あたしと美奈と、ただ、ぎゅっと抱きしめあって。なにも言うことはなかった。おみやげを買ってくることはできなかったけれど、ただ、会えたことが嬉しかった。美奈も、そう思ってくれていたらいいな。
懐かしの我が家では、姉ちゃんに頭を小突かれ、父さんと母さんに、もう一度、盛大に怒られた。
でも、怒られているはずのあたしがなぜか嬉しそうにしていたからか、母さんは、なにニヤついてるのよと溜息をついて許してくれた。
それを見て父さんも、まあいい、無事に帰ってきたならいいんだと言って、ぎゅっと抱きしめてきた。
おっさんクセェ!
美奈に抱きしめられるのとは雲泥の差だ。これが加齢臭かと思いながら、父さんも歳をとったんだと実感した。
いつもなら、離せ! キモい! とわめくところだけど、今回だけは父さんを抱きしめてやった。この匂い! 酸っぱい加齢臭が癖になりそうだ。こんな風に抱きしめられるなんて、いつ以来だろう。
蒸し暑くて小汚い田舎の街であっても、やっぱり家が一番だと思う。旅は忘れていることを思い出させてくれる。帰るところがあってこその旅なのだから。
帰ったその日、そして次の日まで、まさに泥のように眠った。その後、まだ痛む足を引きずって病院に行き、これまた医者に怒られ、松葉杖を持たされた。
医者の話を聞くまでもなく、あたしはもう走れないことはわかっていた。でも、これからきちんと治療すれば歩けるようになると言ってもらえた。最後まで頑張ってくれた右足に感謝だ。もちろん、左足にも。
退部することを伝えるために部活に顔を出すと、松葉杖をついているのにもお構いなしに、日菜が飛びついてきた。よろけてこけたあたしを抱きしめて、
「水島先輩! どこ行ってたんですか〜!」
と、おいおいと泣き喚いた。
「先輩がいないとダメなんです。備品の点検から大会の手続き、飲み物にタオルに、どれだけ細々と気を遣ってもらってたかよくわかりました。
すいませんでしたぁ。自分たちがやりますから、もっと練習してください! 本当は、先輩にもっと頑張ってほしかったんです。生意気に接したら、また本気で走ってくれるかなって。
だって、うちら、先輩の走りに憧れて陸上部に入ったんだもの。楽しそうに走る先輩が大好きだったんです。元気もらってたんですよ。うちらが陸上大好きになれたのは先輩のおかげですから。早く足を治して復帰してください」
「ごめん。あたし、もう走れないんだ」
あたしは日菜の頭を撫でてやりながら、旅と足のことを話した。
「後悔はしてない。あの日があたしが走るべき日だったから。それに、もともと足を痛めてたんだ」
「うう、先輩、前から足を痛めてたんですね。もっと早く言ってくださいよ!」
「ごめん」
「なんであやまるんスか。あやまるのはうちらの方ですってば!」
「もう中途半端はやめる。あたしは引退するから、あんたがキャプテンだよ」
「引退なんてイヤです!」
「イヤって言われても、走れないから……」
「じゃ、じゃあ、マネージャーは?」
「それは考えてなかったね。あたしはマネージャーに専念するよ。みんなが走っているのを見ているだけでも嬉しいんだ」
「じゃあ、また部活に顔を出してくれるんですね。良かったあ。あ、でも、自分、キャプテンはやりません。うちらのキャプテンは水島先輩です」
言って、またおいおいと泣く日菜に、ありがとうと伝えて頭を撫でた。
あたしは選手を引退し、マネージャー兼キャプテンとして一夏を過ごした。やがて長いと思っていた夏休みも終わり、久々の教室では、また新たな噂が流れていた。あたしと哲也が付き合っているという噂。
当然のごとく、クラスのボスで哲也に惚れている沙希の耳にも入ったのだろう。登校初日に呼び止められた。なにを言われるかと身構えたあたしに、涙目の沙希が、
「おめでとう」
と意外な言葉をかけてきた。
「ちゃんと気持ちを伝えたのね。中途半端な態度が気に食わなかったけど、潔く祝福するわ」
「え、あの……」
と戸惑うあたしを沙希が手で制する。
「いいの! 敗者に鞭打つような同情の言葉はいらないわ。もっといい男を探すから。正々堂々、里見くんを取り合った者同士、いい友達になれそうだわ」
じゃあね、と一方的に解決されてしまった。なにがなにやら分からず、哲也に何か知っているか聞いてみたところ、
「ああ、噂のことか。いろんな奴に聞かれて面倒だから、付き合ってるって答えといた」
「な、な、な……」
「なんだよ、嫌なのか」
「い、嫌じゃないけど」
「旅行も行ったのかってさ。だから、二人で行ったって言っといた」
「はあ?」
「行ったじゃん」
「行ったけどさ」
「人の噂も七十五日。中途半端に答えて、ぐだぐだ言われるの嫌じゃんか。ってか、いっそのこと、本当に付き合う?」
「はあ? なんであんたと!」
「だよなぁ」
哲也が、にかっと笑ってみせる。「でも、屋久島まで付き合ってやったんだ。時々、遊びに付き合えよ。昔みたいにさ」
「……うん」
「よっしゃ、デートだ、デート」
「あん? バカか!」
「あ、また言いやがったな」
「あは、何度でも言ってやらぁ」
などと相変わらず。旅に行く前と後と、あたしは、相変わらず頭は悪いし、雨の日は足が痛む。両親は喧嘩ばかりだし、姉ちゃんの皮肉は健在。クラスでは基本的に浮いたままだし、幼馴染はバカ。
でも、自分を縛り付けていたものが、本当はあたたかいところもあったんだと知った。なにも持っていないと思っていた自分が、実はいっぱい持っていたことを知った。
携帯やパソコンに残っていたサマボとのやりとりの記録は、なぜか全て消えてしまったけれど、あの旅の記憶は消えない。
ありがとう、夏樹さん。
せかいは、ここだけじゃない、これだけじゃない、みえているものだけじゃないんだ。
〈震える文字で書かれた手紙〉
りょうこちゃん、元気ですか。わたしは元気です。まだ歩くことはできないけど、それでも、わたしは元気です。
ふるえる字でも、ゆっくりなら手紙をかけるようになりました。自分でスプーンをもって、ごはんを食べられるようになりました。
食べるだけじゃない生きるの前に、まず食べられるようにならなきゃね。こんどは、おはしにちょうせんするぜ〜。んじゃ、またね〜。




