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BACKACHE  作者: 佐倉蒼葉
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第4章

 その後、近所に買い物に行き、三人で料理をした。

 正確には和泉と二人で、だった。由加は戦力にならない。和泉はいずれ自分の腹に入るのだから、と大雑把に手を動かしていた。それでも元が器用なので見た目は良いものができる。味付けはさせなかったが。奴は味覚も大雑把なのだ。

 食べて飲んで話して、和やかに時間が過ぎた。『ゆく年くる年』を見ながら俺は二人に「どうやった、今年」と訊ねた。

「面白かったよ」

「由加は」

「うん、いい年だった」

 由加が東京と一緒に新年を迎えようというのは、やはり充実した年だったからだ。俺にとっても節目になった年だ。おそらく和泉にも。

「せやな、何やかやと忙しなかったけど、今、ええ年やったと思える」

 秒読み、年が明けた。俺達は「さて」と正座して頭を下げた。

「あけましておめでとうございます」

 そしてまた元の姿勢に戻る。俺は胡座をかき、和泉は両脚を伸ばし、足の先だけこたつに入れて背後のベッドに寄り掛かり、由加は足を横に崩したのだろう、酔っているのか斜めに倒れそうになっていた。

「何やってるんだ」

「うん」

 たった今の新年の挨拶との差がおかしい。「何で年明けた瞬間だけ礼儀正しくなるんかな」と俺が言うと、

「特別なのかな」

「特別か」

 二人のやりとりを見ていると、そう思えてきた。

 除夜の鐘と共に、すうっと遠くなる何か、ふっと近づく何かを感じていた。それは二人の言うように特別で、俺は穏やかな気持ちになっていた。今頃、兄と咲は俺の実家で両親と過ごしているだろう。同じように穏やかに、と思えるのは、この二人と一緒だからかもしれない。披露宴で蝋燭に点す火を二人で手にする兄と咲の姿が、頭のどこかでゆっくりと何度も再生された。それが優しくきれいに見える。

 それは古びていくからだろう。いつか由加に言った「冷酷に見える」、兄と俺と咲と、それぞれに知りながら見ない振りで誰か一人が欠ける時を背中に感じていた。それを振り返る事さえ赦されるように、時間は古びていくだろう。

 良い年だったと思える、と本心から言えた。

 トランプなどしてから和泉の送ってきたビデオを観ているうちに、由加は膝を抱えた姿勢でうとうとし始めた。「すごい、器用な姿勢で寝ている」と和泉が笑うと、由加は何やらモニョモニョと言ったようだった。

 テレビには、和泉の部屋で食事する俺が映し出された。由加に見られなくて良かったかもしれない、と思った。

 次いで、椅子に腰掛けてぼんやりしているところだ。

「こん時、撮ってるって知らんかった」

「言わない方が面白いと思った」

「人を面白がるな」

「誉めてる」

 思わず和泉を振り返った。彼は画面から目を離さずに続けた。

「自分の知らない顔をこうやって見るのは面白いと思わないか」

「俺は気に喰わん」

「そうか、見せたいと思ったから撮ったけど、悪かった」

 俺はリモコンでテレビを消した。

 由加をベッドに運んでやり、俺達はこたつで寝転がった。「狭いぞ」と蹴られた。「しゃあないやんか」と蹴り返した。和泉と居ると面白いが調子が狂う、と思いながら眠りに落ちた。




 どのくらい眠ったのか、物音と人の動く気配で目を覚ました。

「何をしてる」

 和泉の声だ。俺は目を開けて顔だけ動かして壁の時計を見た。夜明けにはまだ早いが、外が薄明るいように感じて目を瞬いた。水の音だ。風呂場の方から声がした。起き上がって見るとベッドに由加の姿がない。風呂場の方を振り返ると、戸口に立っていた和泉が「何があった」と中に飛び込むところだった。慌てて立ち上がる。見ると足元に鉛筆やボールペンが散乱しており、電話の受話器が外れている。

 シュウウウッと水音が激しくなった。

「いや、触らないで」

「落ち着け」

 何かあった。

「何や」と風呂場の前へ急いだ。

 真っ先に目に飛び込んだのは由加を押さえつけようとしている和泉、それから首を振って抵抗する由加、二人とも頭から水を被ってびしょ濡れになっている。由加の髪が短くギザギザになっており、今切ったらしい髪が落ちている床を水が流れていた。

「放して」

「由加、こっちを見なさい」

 和泉は由加をむりやり鏡の前に立たせ、鏡の真ん中、由加の顔をバンと叩いた。

「これは君だ」

と言うと彼女は呆然とし、やがてへなへなと床に崩れた。和泉はそれを見下ろして大きく息を吐いた。俺は訳も判らないまま、やるべき事は一つだと思い、二人にタオルを投げてやり、浴槽に湯を張り始めた。

 由加が風呂で体を温めている間、和泉はタオルを被ってストーブの前に胡座をかいて背を丸めていた。

「何があったんや」

「判らない、まだ」

 憮然とした横顔で彼は答えた。

「由加を放っておけない言うのはこれか。…確かにすさまじいな、けど何のデモンストレーションなんや」

「責めないでやってくれ、彼女は自分で判っていない」

と言ったきり黙り込み、じっとストーブの火を睨んでいた。風呂場の方からカタカタと物音がして由加が間もなく出てくるかという頃、「さて、どうしたものか」と彼は呟いた。

 和泉がどうしたかと言うと、由加と入れ代わりに風呂で温まった後、由加の髪を切り揃えた。楽しげに床屋になりきって、まだ怯える様子の由加に「こんな感じでいかがですか、お客様」と言った。和泉が由加の気分を明るくしてやろうというのが判るので俺もそれに乗ってみたが、髪を切り終えると彼女は「帰る」と部屋を飛び出してしまった。

 外は雪だ。窓の外をぼんやりと見る和泉に「何やっとんのや」と言った。

「ドアホ。早う追いかけえ」

「…由加は一人で帰ると」

「傘、持っとらんやろ」

「ああ、そうか」

 世話の焼ける奴らだ。ダッフルコートを羽織って傘を手に出て行く和泉の後ろ姿に、兄が重なる。部屋でカメラを手に考え込む兄と、くわえた煙草に火も点けずに遠くを見る和泉。将来への迷いを兄にぶつけて飛び出した咲と、何かに惑わされて髪を切った由加。

 兄の代わりに咲を追いかけた。兄の足元に散らばったポジに映るのが誰なのか、俺は知っていた。追いついた咲にそれを教えてやるのか、どうするか。

 言ってしまおうか。一緒に東京へ、

 その瞬間まで迷った。

 ───あいつは咲以外の奴は見ていない。

 兄の様子を話して最後にそう言うと、真顔で聞いていた彼女はふっと微笑んだ。

 『判った』

 初めて見るような顔だった。

 その瞬間が古びていくのが判って俺は目を閉じた。




 こたつで寝転がっているうちに眠ってしまい、由加からの電話で目が覚めた。和泉が熱を出したと言う。昨夜、頭から水を被っておいて、その上雪の中を歩き回っていたというのだから呆れてしまった。まったく世話の焼ける、と俺はブツブツ呟いて由加の部屋へ向かった。

 由加は「諒介から逃げている」と言って玄関の三和土の前にずっと座り込んでいた。

 もともと感情の起伏の激しい奴だとは思っていたが、こんなに脆く臆病だとは知らなかった。彼女はその小さい体のどこに水分を溜め込んでいるのかと思う程、ずっと目に涙を浮かべ膝を抱えてぼんやりとしているのを見るうち、和泉は何をやっているのだ、と腹立たしくなった。

「和泉が怖いか」

「うん」

「単純かと思うと、時々、何考えとるか判らんからな。俺も怖いわ」

 そう言って笑ってみせると由加は「澤田さんも、時々、怖いよ?」と目だけ上げて俺を見た。怖いのか、俺も。

「そら俺は無敵の詩人やから。…ハハハ、はずしたな」

「ううん、こんな時には…外しちゃう澤田さんの方がいい。その方が怖くない」

 どうして由加はこういう事を恥ずかしげもなく言えるのだろう。俺は「やっぱり源二郎や」と苦笑した。素直に懐いてくるのが可愛いと思った。

「起きろ」と和泉に声を掛けて部屋の戸を閉めた。

「大丈夫か」

「面白い」

 起き上がった和泉は赤い顔でふにゃふにゃと笑っている。

「吐き気なんて何年振りだろう。そんな勿体ない事、僕にはできない」

「アホ」

「はい、アホです」とまたベッドに倒れた。むりやり起こして着替えさせる。

「ああ、澤田に弄ばれている」

「気色悪い事を言うな。ほんまにアホになっとるな」

「うん」

 着替えが済むと和泉はぱたりと倒れ「面白い」と笑った。本当にアホになっている、と思ったので置いていく事にした。彼に少しでも動く気力があるなら、自分から「澤田の所に戻る」と言い出す筈なのだ。それが彼の性分である。この状態なら由加には無害だろうと判断した。

「澤田さん帰っちゃうの?」

 今にも泣きそうな由加を見て、源二郎と別れた時を思い出してぐらっときた。「俺かて怖いやろ」と言い切って由加を残し、部屋を出た。

 翌日、再び由加の部屋へ赴くと、昨晩一体何があったのか、二人は仲良くビデオを観ていた。由加がいれた紅茶のカップを持ってテレビの前に移動して一緒に映画を観た。和泉が眠ったので台所に戻り、もう怖くないのかと訊ねると由加は「時々怖いかも」と答えて苦笑した。夕飯に手もつけず、由加は恐怖の一夜を過ごして成長したらしい。

 昼食を作って和泉を起こし、部屋を片づけていると和泉の携帯が鳴った。

「…あ。どうも。おめでとうございます」と言いながらテーブルに突っ伏す。「すみません黙ってて」で金沢の母親からだと判った。「いや、その、」とまた困惑する彼がおかしく、由加と二人、テーブルの脇にしゃがみ込んで笑った。

「…時間が、経って」

と言いながら和泉は照れくさいのかこちらに背を向けた。俺は由加に「こっちに来い」と指で合図してテーブルの周りを這って向こうにまわった。

「いろいろ、あって。その時間の中で一緒に過ごした人達が居て、僕は今年を一緒に迎えたいと思う人の所へ来たんだ」

 今年を一緒に迎えたい?

 由加となら判るが、何で最初に俺の所に来るのだ?

 由加と顔を見合わせると、彼女は俺に笑いかけた。

 あの顔で。

 俺は和泉の電話を思い出した。「ウヘヘ」と笑ったのは、照れくさかったのだと気がついた。

 こいつも源二郎なのだ。

 何だってこいつらは、こんなに懐いてくるんだろう。笑いがこみ上げてきた。

 ニヤニヤ笑って見ている俺達に気づいた和泉は「わっ」と叫んで「まいったな」と言った。俺達はアハハと笑った。

 由加の部屋を後にして駅に向かって歩きながら、和泉はチラチラと俺を横目で見ていた。口がへの字だ。軽く睨み返して「何や」と訊ねた。

「タキシード仮面って知ってる?」

 いきなり何だ。

「美少女戦士のアレか?」

「何だ、それは」

「セーラー服で戦うねん」

「ヨーヨーで?」

「それはちゃう」

 などと話していると、後ろから由加が大声で「待って」と叫びながら走って来た。和泉がすぐに引き返した。昨日の今日だ、何かあったのか。

「由加、どないした」

「わ、判らない」

「はあ?」

「判らないの」

 そう言うなり、由加はわあっと大声で泣き出した。

 呆然とした。とにかく落ち着かせよう、と思いながら和泉を見ると、彼は少し困ったような笑みを浮かべて見ているだけである。

「僕は判るよ。泣きたかったんだ」

 和泉はそう言って傍らのガードレールに腰掛けた。ニコニコと由加が泣くのを見ている。俺は由加と和泉を交互に見た。

 ようやく泣き止んだ由加は「ご静聴ありがとうございました」と頭を下げた。

 本当に泣きたかっただけなのだ。俺は由加の意外な発言に腹を抱えて笑った。やはり、少しうらやましい。感情のままに動く由加。泣くのを止めなくて良かったかもしれないと思った。

 駅で由加と別れ、電車の中で和泉になぜ止めなかったのかと訊ねた。

「だって可愛かったから」

とさらりと言われてこっちが恥ずかしくなった。

「めぐむみたいで。ふふ」

 めぐむは和泉の姪で、確かまだ幼稚園くらいの歳だ。彼は「去年帰った時、『おじさん帰らないでー』って泣きつかれて、連れて帰ろうかと思った。ああ、めぐむに会いたいな」と言ってまたニコニコした。

 幼稚園児扱いか、由加。

 こんな奴に怯えていたとは、と由加が気の毒になってしまった。

「由加は最初、あんな顔しなかった。無表情と言うか」

 和泉は横を向いて、吊り広告にでも話しかけるように言った。

「ああ、大人しい奴やと思うてた、最初は」

「うん。そうしたら表情がくるくる変わるようになって。面白いなと」

「うん、おもろいわ」

「僕は人のいろんな顔が見たいんだよ」

 ふと振り向いて彼はそう言った。

 俺の事を言っているのだろう。ビデオに映る俺を面白いと言った。

「…そーか。おまえもおもろいで。造作がつまらん分、表情がダイレクトや」

「おほめにあずかり恐縮です」

「ほんまに。前に大阪におった頃より分かり易くなっとる」

 和泉はふうと息を吐いて手摺に寄り掛かった。無言で頷き、目を伏せて右手で軽く額をこすった。電車ががくんと揺れて止まる。彼は傍らに置いた荷物を拾い上げて、何も言わないまま電車を降りた。




 予定より遅れて、初詣に行ったのは三日だった。和泉はもう帰る支度をして大きな鞄を肩から下げている。彼は出店で賑わう参道を歩きながら「たこ焼きを食おう」と言った。

「お参りが先でしょう」と由加。

「正月の参道は怖いな、理性が飛びそうだ」

「由加はたこ焼き以下か」と俺が言うと、二人は「え?」と声を揃えた。

 行列に並んでようやくたどり着いた賽銭箱に賽銭を投げ入れる。和泉は並んでいる間に十五円を俺達に見せた。十分ご縁がありますように。

「三人分だ」

「一人五円か、セコイやっちゃ」

「え?三人の縁って事じゃないの?」

 由加の言葉に「えっ」と彼女を見ると真顔だった。和泉を振り返ると彼はふっと視線をそらし、「…うん、そう、ね」と言ってへにゃ、と笑った。

「やるなあ、チビッコ」

「誰がチビよ」

 やはり由加は和泉を感覚で掴んでいるのだ。

 三人揃って手を合わせる。一番少額の和泉が一番長い時間、神妙に拝んでいた。

 参道でたこ焼きを買って、少し外れた道のガードレールに腰掛けてたこ焼きを食べる和泉と由加を、和泉のビデオカメラで撮影した。

「辛いの食ったら甘い物が欲しくなったな」

 もうたこ焼きの皿は空になっている。俺は思わず録画時間を見た。

「そういえば大晦日に買ったいちご大福は?」

「そういやなかったな、和泉が食ったんか」

「うん」

「三つとも?」

「俺は甘いもんは食われへん」

「大福にいちごを入れようと思いついた人は天才だ」

 幸せそうに和泉が言うと、由加は「諒介のいやしんぼ」とうなだれた。和泉はポケットから何か取り出して「ん、」と由加に差し出した。

 いちご大福だった。

「とっといてくれたの?」

「理性の勝利だ」

 和泉は立ち上がって「代わろう」と俺の手からビデオカメラを受け取って撮り始めた。手にしたいちご大福をじっと見ていた由加は突然ふわっと笑った。

「嬉しそうやんか」

「人は誰しもいちご大福を前にすればそうなる」

 何だそれ、と俺達は笑った。ピッと音がして和泉が録画を止めたのが判った。手元を見て何か操作している。「澤田、見ろ」と巻き戻したらしいテープの再生を始めた。液晶画面をこちらに向ける。

「へーえ」

「いちご大福の効果だ」

 俺は恥ずかしくて逃げ出したくなった。

 見たこともないような顔で俺が笑っていたのだ。


おまけのあとがきちゃん

http://starlet.babyblue.jp/b-bridge/03back/bb03note.html

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