第三話
「こちらがエーレデル様のお部屋となります」
メイドさん、マーテリッテに案内された部屋は屋敷の二階の一番奥の部屋だった。
というか、俺が気絶してたとき寝かされていた部屋なんだけどさ。
部屋の中は綺麗に掃除が行き届いているものの、家具の数はとても少ない。
豪華なベッドとテーブル、椅子が数脚、そして衣装棚っぽいものが数点に壁にはクローゼットがたくさん、という形だ。
また中は二部屋に分かれていて、一つが応接室、もう一つは寝室っぽい。
そして驚くべき事に風呂とトイレも完備されていた。びっくりだ。
「貴族の部屋ってさ、これくらいが普通なのか?」
「エーレデル様、言葉遣いを改めてくださいませ」
「堅苦しいのは嫌いなんだよ、自室にいるときくらいいいじゃん」
「いけません。普段からきちんとしておかないと、いざという時必ず失敗致しますから」
まー、そうだよな。つい、あんた、とか言っちゃうかも知れない。
ふぅ、きついなぁ。
「分かりました。先ほどの質問なのですが、貴族の部屋はこれが普通なのでしょうか?」
「普通……というのは分かりかねますが、辺境伯のご家族でしたらこの程度になるでしょう。ただ家具については、各自費でご購入するものとなっております」
なるほど! 貴族の部屋にしては家具が少ないと思ったけど、ここにあるのは最低限で、あとは各自好みの家具を買えって事か。
なら、最低本棚は欲しい。スラムの資産台帳や貸借対照表、生産数や生産率、人員の勤怠表などの各種帳簿類を保管したいしな。
でもこれらって、わざわざこの部屋に保管しなくともスラムにあった方が便利だよな。向こうが現場になるんだし。
じゃああとは食器棚と茶器くらいか? どうせ貴族だからお茶会とかあるんだろうし。
それ以外は必要があれば追々って感じ。
「何か必要なものはございますか?」
「食器棚と食器ですね。これらは自費で購入するものですか?」
「いいえ、リッテンスバルに商人を呼んでもらうよう依頼すれば、あとは万事やって頂けます」
「リッテンスバル?」
「辺境伯家の筆頭執事です。エーレデル様も今後リッテンスバルと何度も顔を会わせると思いますから、後でご紹介させて頂きます。それ以外に何かありますか?」
ふわー、筆頭執事ね。セバスチャンじゃないんだ。
しかしさすが貴族だな、執事なんているのか。やっぱ燕尾服着た白髭じいさんなのかね。
いや、意外に若い奴かもしれない。
ま、それは良いとして一回スラムに顔を出したいな。
あいつらが無事か見たいし、これからどのように運営していけばいいか決めておきたい。
「そうですね、一度スラムへ顔を出したいのですが」
「認められません」
「え? なぜですか?」
「そのような時間は取れません。まずエーレデル様には貴族としての教育を早急に覚えて頂く必要がございます。それと併せて衣装類の合わせ、魔力奉納の教育とご登録、その次に辺境伯家の縁者や領内貴族との顔合わせ、折を見て王都で王族や他辺境伯へのご紹介、また魔法や儀式用の剣も覚えて頂きますし、領内巡行もあります。またそれ以外に……」
「あああーっ! もうわかった! わかりましたからっ!」
なにその過密スケジュール。そんなもの十歳の子供にやらせるような内容じゃねぇだろ。
でもこっちもエグワイドさんからスラム運営頼まれているんだから、何とか暇を見つけて行きたいんだよな。
「仕方ありません。エグワイド様の他の子らは生まれた時からこれらの事を行っていますから。エーレデル様にはお辛いでしょうけど、急いで他の子らに追いつく必要がございます」
「……全然辛そうな顔してないですね」
「わたくしは当事者ではありませんので」
なにこいつ。可愛い顔して言うことは辛辣だな。
でも本当にどうしよう。
手紙ならいけるか?
「分かりました。では手紙はどうですか?」
「睡眠時間を削って頂ければ、わたくしの関知するところではございません」
……手紙書く時間すらも無いという訳かよ。
夜中こっそりスラムへ行ってやろうか? 一徹くらいなら耐えられるだろ。
「しかしスラムに字を読めるものはいるのですか?」
「居ますよ。字の読み書きと計算程度出来なければ商人との取引で困りますよね」
「え? 字の読み書き以外に、計算も出来るのですか? どなたが教えたのでしょうか?」
「わたくしですが」
そう答えるとマーテリッテの目が泳いだ。
何が不思議なのだろうか?
「あの、エーレデル様自身はどこで文字を覚えたのでしょうか?」
「街の市場で色々な人に聞きながら覚えました」
市場は偉大だ。必ず商品名と価格が書かれているからな。
それにここの世界の文字は日本語のように、ひらがなかたかな漢字、などに分かれていなく、アルファベットのような文字しか無かった。
あとは単語と文法さえ覚えれば何とかなる。
ま、確かにまだまだ知らない単語はあると思うが、市場に使われてる単語はほぼ網羅できていると思っている。
「おいくつの時ですか?」
「五年ほど前ですね」
「五歳で、ですか……?」
マーテリッテがいきなりふるふると震えて顔を俯けた。
あ、あれ?
もしかしてまずかった?
五歳っていったら幼稚園くらいだろ。文字覚えるならそれより昔から普通はやるもんだし、むしろ遅いと思うんだけど。
しかし突然叫びだした。
「さすがエーレデル様!」
「ふぁっ?!」
「それが魔族の知識、という所でしょうか。素晴らしいです!」
「え、えっと普通じゃないのですか?」
「五歳という年齢では、まずどのように生活していくか、などという知識は持っていません。しかしエーレデル様はまず文字と計算を覚え、更にスラムでそれらを活用されたのでしょう?」
「そ、そうですね」
「それで我々貴族たちが改善の余地なし、と放置していたスラムをたった五年で発展させたのでしょう?」
「ま、まあそうなりますね」
「さすがですっ!!」
「顔がちけぇよ!!」
目の前十センチくらいまでずいっと近寄ってきたマーテリッテの顔を手で押しのける。
童貞に対してそこまで顔を近づけないで頂きたい。勘違いしてしまうではないか。
「それだけの才能をお持ちなら、わたくしの課題などすぐ終わらせられるでしょう!」
「いやちょっとまって!」
「待ちません!」
マーテリッテはどこからともなく分厚い本を取り出して、俺の目の前にどんっとおいた。
「……あの、これは何でしょう?」
「貴族年表です。この一冊にはここ百年ほどの貴族たちの家系図が載っております。エーレデル様にはレイテル領の貴族と隣の領、そして王家、公爵家、大公家の名を覚えて頂きます。現当主とその子は必須です。出来るなら当主の親族や縁者、その当主の側近まで」
「……多くない?」
「最低この程度は知っておかないとこれから先、苦労なさると思います。パーティに参加しても誰が誰なのか、不明になりますよ」
貴族たちのパーティって、おほほ、うふふ、とか言い合いながら腹を探るイメージしかねぇわ。
そんなところ、むしろ不参加にしたい。
「来年から頑張ります」
「今、すぐに頑張ってくださいませ。今頑張るなら本当は一週間かけて覚えて頂くところ、三日で覚えて頂けるようわたくしが気合い入れる特典がございます」
「それは特典じゃなく特訓の間違いだろっ!」
「クーメレイテア」
「なに?」
いきなりマーテリッテがクメなんとかさんに声をかけた。
そういやすっかり存在を忘れてたな、クメなんとかさん。
「エーレデル様にはこれから頑張って覚えて頂く事ができました。もし万が一エーレデル様が睡眠に負けそうになったら……この先は言わなくても分かりますよね」
「ちょっとまて?!」
「分かった。指斬る」
「そっちも分かるなよっ!! ってか、指諦めてなかったのか!?」
「大丈夫、ゆっくり寝て良いです」
この子、俺の指狙う気満々だよ?!
なにこれ、地獄?!
「さて、張り切って頑張りましょう。ではまずレイテル辺境伯家の家系からいきます、しっかり覚えてくださいませ」
「鬼! 悪魔! 人でなし!!」
「エーレデル様こそ魔族ではないですか」
「くっ」
「寝ている暇などございません。七十二時間耐久家系勉強、さあスタートです!」
「やーめーてー!」
いやいやと頭を振るが、マーテリッテは無慈悲に本を突きつけてきた。
「さあまずはレイテル辺境伯家の初代です。彼は今から六百四十年ほど前に……」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
三時間くらい経っただろうか。
延々と話していたマーテリッテが、ふと会話を止めた。
「エーレデル様」
「トイレ? 行っていいですよ」
マーテリッテの話しを聞くだけでいっぱいっぱい。受け答えなんぞやろうものなら、歴代当主の名が耳からこぼれていきそうだ。
曖昧に返事だけすると、いきなり叫びだした。
「ち、違います!」
あれ、なんか顔を真っ赤にしてる。貴族的にトイレという単語はまずかったのか?
「お便所? 厠? あ、お花を摘みに?」
「そういう場合は、少々所用で、と曖昧にして断りを入れるものです」
トイレ、などという単語ははっきり言わないのか。
察しろよこの馬鹿、って事だね。
「そうではなくて、そろそろ夕飯の時間になりますので、わたくしは準備に行って参ります」
「あ、そう」
と、軽く返事をして、ふと気がつく。
あれ? もしかして夕飯って家族と一緒に食べるパターン?
じゃあエグワイドに、これから君たちの家族となるエーレデルだよ、なんて紹介されるの?
それでエグワイドの嫁さんからいびられ、子からいじられ生活していくの?
うっわ、何その拷問。いやだ、ぼっち飯がいい。
「わ、わたくしは一人で食べたいと是が非でも要望いたします! 場所はトイレで良いので」
「……なぜトイレで夕飯なのでしょうか?」
「ぼっち飯はそれが王道」
「よく分かりません。それはさておき、エーレデル様は今しばらくこの部屋での夕食となりますので、心苦しいですがご了承くださいませ」
「あれ? なぜです?」
「まだエーレデル様は会食のマナーを学んでおりませんし、ご紹介もされておりませんから」
ふわー。マナー覚えなきゃ家族と夕飯すらできねぇのか。
それは大変だな貴族。
いや俺にとってはそっちのほうがありがたいし、むしろマナーなんて覚える必要ないんじゃね?
「ではわたくしマナーを捨てますので、これからずっとこの部屋で食べたいです」
「なりません」
「ですよねー……」
だってパーティとかいう単語も飛んでいたし、テーブルマナーは必須だろう。
うっわ、面倒くせぇ。
「ではエーレデル様はわたくしが準備終わるまで、頑張ってお勉強してください」
「わかりました」
俺に指を突きつけ、言いつけるようにしてマーテリッテは部屋から出て行った。
クメなんとかさんはそのまま残っている。
「あなたは準備いらないのですか?」
「私護衛」
あ、そっか。
一応護衛だから俺から離れる事はできないのか。
「テーブルマナーって、ナイフとフォークを使うのかしら」
「剣を使う、上に放り上げて……」
「そのどこがマナーだよっ?! 大道芸じゃねぇかよ!」
いや実際に出来るのなら、それはそれで凄いけどさ。
「素材は生きた魔物、ふふふ」
「テーブルマナーって食事じゃねぇの?! まさか踊り食い!?」
「冗談はさておき、見苦しくなければナイフでもフォークでも剣でも盾でもハルバードでも聖なる剣でも問題ない」
「後半めっちゃ問題あると思うんだけど!」
「そんな事無い。私はいつも投げナイフで斬ってる」
懐から二本のナイフを取り出すクメなんとかさん。
一応テーブルナイフのような形はしているけど、ものすごく鋭利。
というか、テーブルナイフは自前で用意するのかよ。
「……そうですか。わたくしの知っているテーブルマナーであることを祈ります」