第九話
クメさんから証を受け取った翌日の昼、俺は街の出入り口に近い場所へマーテリッテ、クメさんの三人で足を伸ばしていた。
ここは騎士団の第二部隊が駐屯する場所である。
街の出入り口に近い場所に駐屯地があるのは、対魔物を仕事とする以上すぐ外へ出られるように、との事らしい。
なぜそんな場所へ向かっているのかと言えば、実はクメさんに剣を教えて貰える人を紹介して、と頼んだら、ソーレイでいいんじゃない、と答えられたからだ。
確かにソーレイに勝つなら本人から剣を教えて貰うのが一番手っ取り早いだろう。
本当はマーテリッテと約束した夕飯後に行こうと思ってたのだが、赤い目の件は秘密だろ、と突っ込みを入れられたので、この時間になったわけだ。
でも近いうちにマーテリッテが目の色をごまかす魔道具を作ってくれるそうなので、それを付けたら夜に行ってもいいよ、と許可は得られた。
マーテリッテすごいな、魔道具も作れるなんて。
貴族街を出て平民街へと入ると懐かしい雰囲気を感じ取った。
つい市場へ足を運びそうになる。用事が無くても秋葉原に行っちゃう感覚。
辺境伯の養女となってまだ一週間経ってないのに懐かしく感じるなんて、余程貴族の生活がストレスになっているのかも知れない。
だが昔と違うのは、やけに目立っていることだ。
昼の時間の大通りにはたくさんの人たちが行き来しているけど、俺らが歩くとそれに沿ってまるで海を割ったかのように人が割れていく。周囲を歩いている人の目には、恐れとこっちくんな的な色が混じっている。
ちらと自分の格好を見る。
白をベースとしたドレスで、所々パパが着ている服にもあった虎に羽が生えたような紋章が描かれている。多分これが辺境伯家の紋章なのだろう。
素材は絹のような肌触りで豪華だ。
足首まであるゆったりとしたスカートには青色のライン、頑丈な革で作られた汚れ一つ無い鈍く光る靴にも同じ羽付き虎の紋章。
まだ未成年であることからアクセサリーの類いはクメさんの証であるブレスレット以外付けていないけど、髪を一つに纏めているリボンは金を織り交ぜた布を使っていて、それが太陽に反射して輝いている……らしい。
さすがに自分じゃ頭の上なんて見えないからな。
ちなみにこの服は養女となった当日、家具をお願いしに執事のリッテンスバルと会った際、一緒に注文した服だ。
何人ものお針子さんっぽい人が俺の周囲に集まって一気にサイズを隅々まで測られた。しかも掛かった時間は一分程度だと思う。
一週間かからずこんなドレス、しかも似たようなものをこれ含めて三着も作るのだから、あいつらプロ中のプロだよ。
そしてトドメは俺の横を歩いているメイド服のマーテリッテと、後ろにいる帯剣したクメさんだ。クメさんは鎧姿ではないものの、青をベースとした学生服っぽい服をかっちり着こなしていて、一見騎士見習いのように見える。スカートは短いけど透けない黒色のタイツのようなものを履いていて肌は露出していない。あれなら捲れても中は見えないだろう。
どこからどう見ても貴族ご一行にしか見えない。
みんなに避けまくられるのは仕方ない事だ。触らぬ貴族にたたりなしってな、しょんぼり。
「たのもー!」
でも久しぶりの平民街を歩いたせいか気分は上々である。つい道場破りな気分で駐屯地のドアを叩いた。
エーレデル様?! と慌てた様子でマーテリッテが俺の行為を止めようとしたが、時既に遅し。がちゃりと音を立ててドアが開く。
「はいはい、どちらさん」
顔を出してきたのはまだ十五歳になってないくらいの男だった。
こんな出入り口で訪れた人の対応をやっているのだから、多分騎士見習いなのだろう。
だらけた口調だった男だが、俺らの姿を見た瞬間困惑の表情となった。
まあそりゃそうだろう。
対魔物部隊の駐屯地を訪れるような貴族など、騎士団関係者くらいしかいない。だが俺らはどこからどうみても騎士団関係者でないのは分かる。何しに来たんだこいつら、的な目をされても仕方あるまい。
「えっと、どちら様?」
「失礼致しました。こちらはエーレデル=レイテル様です。所用でソーレイ殿にお目通りしたいのですが、その旨お伝え願います」
俺が何か言おうとしたら、マーテリッテに先を越された。
これ以上変な事を言うな、対応をするのは側仕えの仕事だ、と目で訴えられた気がする。
「エーレデル=レイテルさんね。多分ですけどソーレイ分隊長は女性の方とお会いする事は無……い……レイテル? レイテル辺境伯家!? し、失礼致しました!」
断りを入れようとしていた男だったけど、途中で俺の家名に気がついたようだ。
なるほど、ソーレイは貴族女性から会おうとかよく言われるような奴なのか。で、俺らもその口だろうと思ってたけど、辺境伯の一員という事に気がついた、と。
ふーん、思ってた以上にレイテルという家名は貴族にとって大きな意味を持っているようだ。
「ここで今暫く……いえ、中へお入りください! ただいまお茶を持って参ります!」
「お茶は不要ですので、ソーレイを呼んできて貰えませんか? それまでその椅子に座って待たせて貰います」
あまりにテンパってた彼が可哀想に思ったので思わず、茶なんていらんからさっさと呼んでこい、と言ってしまった。
こっちはあまり時間がないのだ。この談話が終わればすぐまた戻って、貴族年表の復習をやらなければならないのだ。
え? 可哀想だと思ってない?
まあ気にするな。
慌てて立ち去る男を尻目に俺は中へ入り椅子に座った。
室内は待合室っぽい作りであり、調度品はそこまで高級なものは使われてなかった。当たり前だが辺境伯家にあった椅子の座り心地に比べれば数段落ちる。
棚には何かの資料っぽいのが収められているけど、こんな入り口に重要資料はないだろうから、きっと訪問者一覧辺りだろう。
そして壁にはずらりと名前が書かれており、その名前の上に飾りがついているものがあった。多分出勤表だ。
ぱっと見た感じ分隊毎に一列使われていて一つの分隊には十人くらいの名、そして十列あるので第二部隊は百人くらいの体制なのだろう。
また俺が座っているテーブルの上には食いかけの弁当が、お茶と一緒に置かれている。
さっきの彼は昼食中だったのか、悪いことしたな。
にしてもこの弁当って、確かリステヌ……スラムの時の側近の一人が経営している弁当屋の弁当だ。忙しい平民用に急いで食べられるような、それでいて腹にたまるものを提供するように伝えておいたのだが、まさか騎士団連中も食ってるとは思ってもなかった。
一応騎士団って殆どが貴族だから、平民の食事など食うわけ無いと思ってたのに、予想外だった。
こう考えると本当にスラム産の食料って、この街に広がっていたんだな。
そこを取り仕切ってた俺が知らないのは問題もあるけど、全てを見るなんて不可能だったから、ある程度使える部下には丸ごと一つの仕事を任せるようにして収支だけを報告するようにして貰っていたから、俺が知らない部分があるのも仕方ない。
それからぼーっと会話もなく室内を見渡しながら考えていたら、男が立ち去った方向からがやがやと人がくる気配がした。
ようやくお出ましか。
がちゃ、とドアが開いて外から入ってきた者は三人だった。
一人はさっき慌ててソーレイを呼びに行ってた男、一人は四十くらいの壮年の男性、そして最後が……。
「お待たせ致しました、エーレデル様」
俺に向かって代表するように一礼する二十歳をこえたくらいの騎士。
ああ、間違いない。俺に腹パン喰らわしてきた奴だ。
彼は俺を見て、そして俺の背後に立つマーテリッテとクメさんを見て、僅かに目を開いた。更に再び、今度は俺のブレスレットへと視線が動く。
その目の中には驚きが含まれている。
俺も椅子から立ち上がり挨拶しようとすると、一番年長の壮年男性が間に割り込んできた。
誰だこいつ?
俺を見る目の中に侮りと侮蔑、そしてほんの僅かに恐れの色が入っている。ああ、こいつは敵か。
「ここでは何ですので別室でご用件をお伺いしても宜しいですか?」
「分かりましたトリルコル子爵。エーレデル様、いきましょう」
文句を言おうとしたが、やはりマーテリッテに先を越されてしまった。
ふーん、このおっさんトリルコル子爵っていうのか。
あ、ソーレイって確か分隊長だから、年齢的に考えるとこの男はその上の隊長かな?
別にそこまで大げさにならなくても、私的にはソーレイだけで良いのにな。
俺はトリルコル子爵に先導されて、待合室から出て行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
通された部屋はまさに応接室だった。
さっきの部屋にあった調度品と比べると雲泥の差であり、椅子もかなり上質で柔らかかった。価格的に待合室の椅子が銀貨一枚とすると、応接室の椅子は金貨一枚くらいの差だ。
騎士団のお偉いさん同士が話す部屋かな。
「さて、本日はどのような用件でしたか?」
俺の正面にトリルコル子爵、右にソーレイ、後ろには見習いっぽい男の三人だ。
そしてマーテリッテが俺の隣、クメさんは背後で立っている。
見習い男はどうやら給仕係になった様子で、お茶を出してきた。
マーテリッテは目を細めて何か口ずさんだあと、出されたお茶を一口飲む。そして俺に視線を合わせてきた。
……もしかして毒見役でもしたのか?
一応出されたお茶を見るけど、普通に見えるな。
そんな俺の様子を見たマーテリッテは一度目を塞いだ後、トリルコル子爵へと顔を合わせた。
これはあとで勉強するぜ、ってサインだな。
「トリルコル子爵、そこまで警戒なさらずともエーレデル様はソーレイ殿に対し何かしようと思ってはおりませんよ」
「……それは真ですか?」
あっ、何で隊長まで出張ってきたのかと思ったら、俺が領主一員の権限を持ってソーレイを断罪すると思ってたのか。
確かに何も告げず突然領主の一員がお邪魔したんだから、その辺りの警戒をしても当然か。
「ええ、実はわたくし、剣を覚えたくて。ソーレイに師事しようと思って相談しに参りました」
「「は?」」
俺がそう発言すると、トリルコルとソーレイの二人が見事にハモった。
そ、そんなに驚くことか?
マーテリッテの方へと視線を動かすと、まあそういう反応するでしょうね、と言わんばかりに頷いている。
「そ、それはエーレデル様は騎士になりたい、という事でしょうか。それとも儀式用の剣を覚えたい、という事でしょうか」
驚愕からいち早く我を取り戻したのはソーレイだった。
困惑しながらも、問いかけてきた。
「いいえ、実はわたくし、あなたに負けたのが悔しくて、それで剣を覚えてあなたに挑戦したいと思いました」
「「は?」」
再び二人がハモる。
うーん、そんなに俺って変かな? 普通だと思うんだけどさ。
「え、ええと、エーレデル様自ら私に挑戦しなくとも、クーメレイテア殿と私が模擬戦を行えば良いのではないでしょうか」
ソーレイは困惑状態を抜けきれないまま、ちらりと俺の背後に立つクメさんを見る。
うん、そうだね。貴族の考えだとそういう結論になるよね、知ってた。
「はい、マーテリッテにもそう言われたのですけど、やはり自らの力で勝ってこそ達成するのではないでしょうか?」
「ほぅ……っと、失礼しました」
俺がそう言った途端、ソーレイの目が一瞬だけきらりと光った。ソーレイの目の中にあった困惑が消え、面白いものを見るような目付きに変わっている。
騎士受けのするような回答なんだろう。
「剣を教えるのは吝かではありませんが、クーメレイテア殿に教えて頂いたほうが良いのでは?」
「実はクーメ……彼女には一度教えて貰ったのですけど、少々独創的でわたくしには合いませんでした。分隊長であるソーレイなら、剣術の基本を教える事はおそらくよくある事でしょうし、手慣れていると思ったのです」
ごめんクメさん。証を受け取ったのに未だフルネーム覚えきれなくて。
「騎士の剣を一人でも多くの人に広める事は、私としても望むところです」
「ソーレイ、少し待て」
ソーレイが続けて何か伝えようとしたとき、トリルコル子爵が割ってきた。
多分ソーレイが一番忙しいだろうし、スケジュールを管理している上司のトリルコルが断るのは目に見えて分かった。
「エーレデル様、ソーレイはこれでもかなり忙しい身で、正直なお話をするとアカの他人に剣を教えるほど暇ではないのですよ」
元平民風情が道楽で貴重なソーレイの時間を奪うな、って顔つきしてる。
何で俺、こんなに他人の感情が読めるんだろう。まあ便利だからいいか。
しかし彼の発言を聞いたマーテリッテが黒い雰囲気を出してきた。
トリルコルの発言が彼女の琴線に触れたのだろう。
「トリルコル子爵、それはレイテル辺境伯家に対する発言ですか?」
「いいえ、違いますよマーテリッテ嬢。ソーレイが忙しいのは事実です」
「では辺境伯家の一員からの正式な依頼を断ると?」
「いえいえ、ソーレイ以外なら貸し出せますよ。ロックレイズ」
「はっ!」
トリルコルが後ろに立っていたお茶くみ見習い騎士の男に声をかけた。
そして俺たちに紹介するように手を動かした。
「この者は見習いながら剣の腕はそれなりにあります。しかもエーレデル様と身の上が近いでしょうし、お話も合うと思います」
「隊長!」
「お前は黙っていろ、ソーレイ」
厭らしい笑みを浮かべたトリルコル。何か知らないけど思いっきり俺に対して侮辱しているっぽい。
ソーレイは騎士らしく隊長を戒めようとしたみたいだけど、止められている。
うーん、正直貴族たちの会話は良く分からん。
「ロックレイズ=アファイル殿ですね」
「ご存じでしたか、さすがは領主様が褒め称えた才女ですな、マーテリッテ嬢」
「エーレデル様、いかが致しますか?」
マーテリッテが決断を求めてきた。でもその目は断れ、と強く訴えてきている。
俺は後ろにたっている見習い男を見た。
身体付きはスラムにいた連中にも負けていないし、見習いとはいえ騎士としての訓練も行っているだろう。
ぶっちゃけ俺は最終的にソーレイに勝てるなら、クメさんより上手に剣の基礎を教えてくれるのなら誰でも良いのだ。
ほら、それに、ソーレイだと金銭的に高そうだけど、見習いなら夜の弁当でも奢れば受けてくれそうだよね。
「良いですよ、彼で」
「エーレデル様!」
「それは良かった。ロックレイズ、お前は暫くエーレデル様に剣を教えて差し上げろ」
「は、はっ! 分かりました隊長殿!」
咎めるようなマーテリッテの声と、暗く笑うような笑みを浮かべるトリルコル。
そして憮然としているソーレイとロックレイズと呼ばれた見習い。
彼らの顔を見ながら、俺はつくづく貴族って面倒だな、と思いやられた。
次の更新は火曜くらいになると思います