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レインメイカー  作者: J.Doe
ドリズル・チューズデー
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直情径行のチャリオット 1

 少し薄暗い路地裏でユウリは何もできずに顔を顰めていた。

 時刻は既に8時20分。3人を巻き込まずに済んだ事は幸運だったが、こうしている間にも遅刻が確定している現状は不幸極まりない。車での登校を認めている星霜学園は遅刻にとにかく厳しいのだ。

 ホームルームに間に合わなくても、せめて閉門までに間に合えば蘭の説教も軽くなるかもしれない。

 しかし、ユウリは学校に向かう事が出来ないまま、だるさにも似た脱力感に苛まれていた。


「どうして連絡をくれなかったの? 私がどう思っているかくらい、あなただって分かってるはずでしょう?」


 体は背後の壁に背中がつくほどに強く抑えつけられ、顔は息が掛かるほどに近く寄せられている。それも、抑えているのはスーツ姿の女で、抑えられているのはユウリ。世の女性が夢に描いている光景とは真逆。

 ウェービーなショートカットのブリュネット。糸のように細い目の下には濃い隈が浮かび、血色の悪い顔は化粧をしても誤魔化しが利かなくなっており、女の疲労が伺えるようだった。


「何とか言いなさいよ! アル!」


 痺れを切らしたように声を張り上げる女に、ユウリはわざとらしく大きなため息をつく。

 何せ、アンバーの瞳を覗き込む女の目が血走っているのだ。

 同じタイミングで3人と登校する訳にはいかず、車から降りて登校しようと歩き出した所でユウリは女に路地裏に引きずり込まれた。女と問題を起こしたのは初めてではないが、ここまでしつこく激しいのはユウリも久しぶりだった。


 だが、これ以上は付き合っても居られない。


「なら、一言だけ――どなたかと人間違いをされていませんか?」

「……え?」

「僕の名前は不知火ユウリって言いまして、間違ってもアルって名前ではないんですけど」


 茫然とする女にユウリはネクタイの裏をひっくり返して見せる。労働層ブルーカラーの服など着られないという事なのか、胸ポケットのないシャツには名前の刺繍もない。

 だが、ネクタイに刺繍された名前が不知火ユウリである以上、アルというあだ名で呼ばれる事はありえない。


「そんな、嘘よ。だって、あなた……」

「悪い事は言いませんから、そんな奴の事なんか忘れちゃった方が良いと思いますよ。絶対ろくな奴じゃないですし、お姉さんは年上と付き合った方がいいんじゃないかな」


 ようやく離れた女の手を振り払い、ユウリは後ずさるように距離を取る。

 和解後に綾香がまた起こしてくれるようになったが、遅刻を許すほど寛容になったとは思えない。その事を考えると登校意欲は薄れて来るが、逃げ出せば今度こそどこかの肉を失ってもおかしくはない。こんなつまらない事で失ってしまえるほど、ユウリの肉体への愛着は薄くはない。


「じゃあ、僕はもう行きますんで。今日の事は忘れますから、お姉さんも忘れてくださいよ。未成年に手を出したなんて言ったら外聞も悪いですし」


 もう関わってくれるなとばかりに言い捨てて、ユウリは路地裏を駆け抜けていく。背後からは女のヒステリックな声が聞こえているが、もう構ってはいられない。

 繰り返すが、時刻は既に8時20分過ぎ。遅刻は、確定していた。


 ●


「ふうん。つまり、知らない女に捕まったせいで遅刻したと。むしろ自分は被害者であると」

「そうだよ。思い込みが激しいのかもしれないけど、相手に俺みたいな美少年を選ぶなんて」


 困ったもんだ、とユウリは蘭の説教でくたびれた体をほぐすように肩を回す。

 結局、ユウリが教室に着いたのは8時40分過ぎ。警備員に遅刻の証明をし、正門まで迎えに来た蘭によって教室までの道中で説教をされ、ホームルーム後のざわつく教室に辿り着けば怒り顔の綾香が待ち受けていた。

 半袖の白いシャツに赤いリボンタイ、やや短めな灰色のスカート。夏服を完璧に着こなした綾香はこめかみに青筋を立て、眉間に皺を寄せ、人差し指で机をガツガツと叩いて。

 しかしユウリは綾香が目の前に居ようとも、飄々とした態度が崩しもしない。綾香が怒る理由は理解できるが、ユウリは自分が怒られる筋合いはないと思っていた。それどころか、結果的に3人を危機から遠ざけたのだから、遅刻くらいは大目に見てほしいとも。学生としては間違っていても、ボディガードとしては間違ってはいないはず。


「アンタ――その人って、うちに来るまでに迷惑掛けてた人なんじゃないでしょうね?」

「俺の名前、知ってるよね?」


 どれだけ怒っていても気遣いだけは忘れない綾香の囁くような問い掛けに、ユウリは先ほどのようにネクタイの裏の刺繍を見せつける。ユウリの強い要望で名前は日本語で刺繍されており、それはどう読んでもアルとは読めない。

 それよりも、とユウリはさりげなく教室の扉へと視線を向ける。次の授業の支度を終え、談笑にふけるクラスメイト達の向こう。スライドドアのすりガラスに映ったのは、咄嗟に逃げ出したであろう人影。

 また面倒事がやってきた。言葉にする代わりにため息をついたユウリに、綾香はそれよりも大きなため息をついて怒りを誤魔化す。暖簾に腕押し、糠に釘、電灯の紐とのスパーリング。無駄な事を続けるよりも、綾香にはユウリの態度が気になっていた。


「どうかした?」

「……別に。分かっちゃいたけど、美しさってのも罪なんだなって」

「アンタみたいな女顔が珍しいだけなんじゃないの?」

「あるいは、そちらさんみたいな猪女が珍しいかだね」


 自分でケンカを売って来たくせに、眉間の皺を深くして睨んでくる綾香を無視して、ユウリは新しくなったピアスを指先でつつく。

 人の視線を感じるのは今に始まった話ではないが、今回ばかりは事情が違う気がする。確証がある訳ではないが、ユウリには漠然とそう思えていた。

 遅刻するような人間が珍しくて見ていた、という事は流石にありえないだろう。それくらいなら明神綾香という有名人を見に来た、という方が説得力があるが、それも今更。わざわざ教室にまで来るようなミーハーな人間なら、ファーストライブ後には教室に押し掛けていても良いはず。


 そこから考えるに、おそらく相手の目的は明神綾香ではなく、不知火ユウリ。何もかもが怪しくてしょうがない転校生なのではないか、と。

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