依々恋々のスタースタッド 7
コンクリート打ちっぱなしの壁には植物の蔦が這い回り、正面側に置かれたバスケットボールのゴールにはネットの代わりにデザインチェーンが賭けられている。
大きな十字架のレリーフが特徴的だが、教会に見えない。そんな青山の住宅街では異彩を放つ建物をユウリは見上げていた。
「ここは、お店?」
「はい、彩雅さんの出てらした雑誌に載っていたんです。それで、ちょっと気になる物があって」
じゃあ、どうして最初に来なかったのか。
口を突きそうになった言葉を飲み下し、ユウリは車内からずっと掴まれていた左手を引かれて建物に引き込まれる。もしあの時にあの場所に居なければ、エイミーを助ける事は出来なかった。そのつもりがユウリになくても、子供の命と気になっていた店を比べる事は流石にできない。
吹き抜けの天井には黒いシャンデリア。コンクリートの階段を上った2階には、ジュエリーやライダースジャケットで飾られたショーケース達。運が良かったのか、人影のまばらな店内は統一感のあるデザインで価値を持たされているよう。
門限破り誘い文句ではなかったらしく、詩織はユウリの手を引いてショーケースを次々に見ていく。流石に手を繋いでいるところを人に見られるのはまずい、とユウリは手を離そうとするも、商品の物色に夢中な詩織の華奢な手は力を一切抜いてくれない。
それをただの照れ隠しとでも受け取ったのか、女性店員も遠くからニコニコと微笑んでいる。不慣れな妹分に教育を施してくれなかった事に思うところはあるが、彩雅が施した詩織へのプロデュースには感謝するしかないらしい。同好の士を装ったナンパはされたが、誰も氏家詩織に気付くかなかったのだから。
やがてお目当ての商品を見つけたのか、詩織は店員を呼ぶために手を上げて、すぐに顔を俯かせる。店の独特の雰囲気は気にならなくとも、まだ赤の他人は気になってしょうがないらしい。
その事を察したのか、ずっとユウリ達の様子を伺っていた女性店員は、言葉を交わさずに詩織が指差した商品をショーケースから取り出す。
それは、星の形をしたピアスだった。
「こ、これを、下さい」
「はい。お支払いは?」
「きゃ、キャッシュで」
「少々お待ちください」
ようやくユウリの手を離した詩織は、財布から取り出した4万円をレザー制のカルトンの上に置き、代金を受け取った女性店員は恭しく一礼をして奥へと下がって行く。
止める間もなかったその光景に、ユウリは思わず顔を顰めてしまう。お家事情はどうであれ、詩織はある程度以上に自由になる金があるらしい。
それだけレインメイカーの仕事が繁盛しているのかもしれない。
そんな事を考えていたユウリだが、ふと思いついたように詩織の耳元に口を寄せた。
「ピアスって大丈夫なの? 学校は許してくれないし、艸楽にもお伺いを立てた方がよさそうな気がするけど」
「んひぃ! い、いえ、その……」
耳に掛かる吐息に体を跳ねさせたかと思いきや、詩織は口ごもったまま、更に顔を俯かせてしまう。
5千以上の買い物に躊躇してしまうユウリとは違うだろうが、4万円という額は無駄にするには大きすぎる。
しかし、詩織は俯いたまま首を横に振った。
「ゆ、ユウリさんに、その、う、受け取って、いただきたいんです」
「……ごめん。信じてもらえないだろうけど、催促したつもりはないんだ」
女にいろいろ買わせていた。世間話のつもりの失言を思い出したユウリは、バツの悪さを誤魔化すように両手を合わせて詫びる。
貢物を用意しろとでも誤解されたのか。つまらない冗談をいちいち真に受ける詩織に対して、ユウリの言葉はあまりにも配慮に欠けていた。
「俺が返品をお願いするから、詩織は何も気にしなく――」
「ち、違うんです」
自分以外の悪い男に騙されなければそれでいいが、今度ばかりは自分が悪い。
無自覚なハニートラップはユウリが許せず、金銭が絡む事でいい加減な対応は綾香と彩雅が許さないだろう。
しかし詩織はユウリのシャツの裾を握って首を横に振っていた。
「わ、私は、レインメイカーです」
レインメイカーという単語にユウリは言葉を遮ろうとするも、詩織は俯かせていた顔を上げてアンバーの瞳をまっすぐ見つめる。
線の細い顔はすっかり紅潮し、青みがかった瞳の目はどこか潤んでいる。
だがユウリにはその様子が、暴力を前に怯えていたあの時と違って見えていた。
「あ、雨を呼べば、雲で空は見えなくなって、しまいます」
詩織はそう言いながら、皮袋の上に置かれた銀製の星を手に取る。6つの角は光を受けてはキラキラと輝き、手の込んだレリーフは小さいながらもその存在感を強く誇示していた。
まるで、他に目を向ける事を許さないように。決して、見失ってしまう事がないように。
「だ、だから、この星をあなたに捧げさせて下さい」
「……いいね、気に入ったよ」
込み上げて来た笑いをかみ殺して、ユウリは緊張から強張っていた詩織の肩を軽く叩く。
雨乞いの祈祷師なら雨をやましてくれ。
どこまでも自分の言葉に翻弄されているだけとユウリは思っていたが、詩織は自分なりの受け取り方で、自分なりの答えを出していた。
洋服、宝石、車にセスナ。色々な物を貢がれてきたが、星だけはもらった事がないのだから。
「お包みしましょうか?」
「いいや、ここで着けていくから」
お釣りを持って来た女性店員にそう言って、ユウリはつけていたピアスを片っ端から外してショーケースに置かれたままの皮袋の上に置いた。
くすみ、崩れ、歪んだピアス達。いくつもの戦場を一緒に共にして来たそれらと決別するわけではない。
ただ、ユウリには詩織の気持ちが嬉しかった。
そして、ユウリは左耳に着けた新しいピアスを見せつけるようにツートンの髪をかき上げる。
「どうだい、似合うでしょ」
「……はい、とても」
門限を過ぎている事を忘れて、少し前に命のやり取りをした事も忘れて。
この瞬間だけは、ユウリも心から笑えた気がした。
●
「それで、不知火君は先生に何度同じ事を言わせるつもりなのでしょうか」
教室やカフェテリアと違い、どこか狭苦しい印象を受ける生徒指導室でユウリは口角をヒクつかせる蘭と相対していた。
淡々と紡がれた言葉は獰猛な怒りを内包し、表情はいつにも増して無感情。そこから察せられる呼び出しの理由など、1つしかない。
再び訪れた窮地で、ユウリはゴクリと唾を飲み込む。
「髪は、切りましたよ。先生のお手を煩わせるのもどうかと思っていましたので」
「そうですか。そこまで想っていただけるなんて、教師冥利に尽きるというものです」
ユウリの意味のない妥協点をアピールに、蘭はわずかに口角を上げる。以前から注意していたピアスは数が減り、最近では切ってあげようとした髪は確かに短くなっている。髪色にまだ問題はあるが、ユウリは確かに蘭の期待に応えようとしていた。
それがどれだけ些細であっても、その事実は何よりも大きい。
だから、蘭はその手伝いをすることにした。
「では、空いた手で不知火君の耳たぶをいただきましょう」
「せめてピアスって言ってよォッ!」
殺される、と叫びながら指導室を飛び出したユウリの背中を見送り、蘭は余裕綽々とばかりに足首を回す。
決着の時は近い。蘭は教師として廊下を走る事は出来ないが、20キロ競歩なら1時間30分を切れるのだから。




