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レインメイカー  作者: J.Doe
ドリズル・チューズデー
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依々恋々のスタースタッド 6

 車窓を流れる夕方の明治通りをぼんやりと眺めながら、ユウリは小さくため息をつく。


 16時ごろ、渋谷区井の頭通りのカラオケ店にて、鉄パイプなどで武装したストリートギャング同士の乱闘が勃発。割れたガラス、スープバーのスープ、割れたガラスなどで構成員達に怪我人が出たが、奇跡的にも一般客は乱闘中に店から抜け出しており、そちらにけが人は居なかった。。


 予想通り、携帯電話には知らないアドレスからメールが届き、ディスプレイには簡単なカバーストーリーが綴られている。

 つまり、ユウリ達は巻き込まれただけの一般客という事になったらしい。

 拷問すら躊躇わない美緒の事だ。この事件はそういう事になったのだと、取り調べも決着をつけたのだろう。


 ただ1人、浮かない顔をした少女を置き去りにして。


「今日は、なんだか災難だったね」

「いえ、私が選んだ事ですから」


 詩織はそう言って微笑むも、その表情はどこか暗い。ユウリはせっかくのオフを無駄にされた事を、詩織が気に病んでいるのかと思っていたが、どうやらそれも違うらしい。

 見たいと言っていたCDショップのポップは見に行け、エイミーは無事に親に返した。

 なのになぜ。そんなユウリの疑問を察したのか、詩織はぽつぽつと語りだした。


「エミちゃんくらい、ではなかったかもしれませんが、小さい頃に大好きな乳母さんが居なくなってしまったんです」

「乳母、ね。どうして居なくなっちゃったの?」

「激務がたたってお体を。荒れ放題の屋敷に手を焼いて、誰も相手してくれなかった私の面倒も見て下さって。楽な訳がなかったんです。ハウスキーパーの方々はどんどんやめていって、最後は1人で私と、あの人達の面倒を見て下さっていました」


 あの人達という単語に、ユウリは彩雅の言っていた事を思い出す。

 ユウリの記憶が正しければ、氏家佳乃が家を出た後に氏家亮太は愛人とその間に生まれた息子である伊勢裕也を屋敷に連れ込んでいたはず。おそらく、氏家という家に勤めていたハウスキーパー達は夫妻への失望から屋敷を去って行き、詩織を見捨てられなかった乳母だけが残される事になったのだろう。


「あの方の目の下の隈が毎日濃くなって行って、どんどんやつれていって。それで、寝る前の本くらい自分で読めるようになろうと思って勉強したんです。カタカナや漢字は難しくて読めませんでしたが、ひらがなだけならなんとか読めるようになれたんです」

「すごいじゃん。識字率の高い日本でも、早いくらいなんじゃないの」

「私もそう思っていました。これでもう迷惑を掛けずに済むと、これできっとあの方も前みたいに元気になって下さると。あの方が、1人で床に就いた私を見て泣かれるまでは」


 詩織は力なく微笑むも、その手はスカートを強く握っていた。

 当時はその意味が理解できなかった。何故と問い掛ける勇気もなければ、その意味を知るだけの考えも及ばなかった。

 だが、必死に駆け寄って来るエイミーの姿を見たあの時、詩織はその意味を理解できたような気がしていたのだ。


「多分、あの方は悲しんでくれたんです。親に見捨てられて、身近な人々に疎まれていた私の事を」


 亮太は詩織に氏家の血が流れている事を嫌った。

 佳乃は生まれ来た時点で用済みだとばかりに詩織から興味を失った。

 そして、唯一自分の事を想ってくれた乳母も屋敷を去った。

 手紙を出せば受け取り拒否で手元に戻り、思い出そうとしてもまぶたにはあの光景が浮かぶことはない。

 その意味を理解してしまえばこそ、詩織は人が怖くてたまらなくなってしまった。

 平気で人を傷つけられる両親達の傲慢さも、人の温情に甘えながらも顔すら思い出せない自分の薄情さも。


「よ、余計なお節介だって事も、ユウリさんに、い、いっぱいご迷惑をお掛けしてしまう事はわかって、いたんですが、そ、それでも、私は――」

「そうじゃないさ」


 ユウリはどもり始めた詩織の言葉を遮り、力を入れるあまり強張っていた華奢な手に左手を重ねる。


「あの子には詩織が必要だったし、詩織にどうしたいか聞いたのは俺だよ。そちらさんがそれでいいって言うなら、俺は何だって良かったんだ」


 流石に事態の全容までは理解していなかっただろうが、エイミーの命を救ったのは間違いなく詩織だ。エイミーがあのまま渋谷を1人で歩き回っていれば、遅かれ早かれ敵の手に落ち、ミーガンの首と共に元シールズの夫への見せしめとされていただろう。ハリウッド映画ならありがちな設定だが、そのストーリーを始める前に終わらせたのは他の誰でもない詩織。無責任だとユウリが侮っていた詩織が、この結末を責任を持って選択したのだ。


 何より、ユウリは美緒が現れたあの時まで、今日の事件を自分に対する罠とも考えて動いていた。


 ミーガンが別れ際に考えていたように、エイミーは自分達の行動を制御するための枷で、事件という口実は不知火ユウリという個人のモラルを図るためのものだと。

 だから、判断を詩織に任せる事で選択から自分の意志を排除した。

 だから、美緒が敵対すべきではないと思えるように効果的な暴力を振るった。

 だから、2人の優しさを踏み躙った美緒とミーガンを責める資格を持ち合わせていなかった。

 美緒が1回口にしただけのフェイスレスという名前と自分を結ばれるのを恐れ、2人と同じようにユウリは詩織とエイミーを利用したのだ。


「まあ、時間が出来たらまた付き合ってあげるから。あんまり気にしない事だね」

「でしたら、その、もう1か所だけ寄っていいですか?」

「門限、間に合わないよ?」

「初めてのデートで、初めての門限破り、です」


 好きにしてくれ。そう言う代わりにユウリは肩を竦め、詩織の楽しそうな笑みが気恥ずかしくて、視線を車窓へと戻す。

 それでもいくつもの物をこぼれ落としていた小さな手は、黒革の手袋をしっかりと握り返していた。

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