依々恋々のスタースタッド 5
努力というものが苦手になったのは、ユウリが5歳くらいの頃。
別に理解していなかったわけではない。努力を越えた才能がある事も、努力して得た結果を奪われる事を理解していても、自分では手の届かない場所へ手を届かせられる存在がいる事も。批評家の声を気にするなと言っていたシベリウスでさえ、銅像という形での評価を引き合いに出していた。
だが、それでも生きていくには努力を続ける必要があり、過程が失くして結果は存在しない。
なら、最初から努力とそれを続けられる意志を持った人間が居たとしたら?
考えずとも分かる自問に、ユウリはフン、と鼻を鳴らす。
ユウリでも安っぽいと感じるデジタルサウンドの中で、その歌声は確かに価値があった。
「ユウリ遅いよ! せっかく詩織がジャンル別片思いソングメドレーを歌ってくれてたのに!」
「他のくくりはなかったのかよ。あと俺の目を見て歌うな、画面を見てよ」
ようやく戻ってきたユウリに文句を言うエイミー、顔を赤くしてわたわたとし始める詩織。顔を紅潮するほどに慌てていても、歌い続けられる辺りがプロとアマの違いなのか。とりあえずは、何も変わっていない室内の様子にユウリは安堵する。
気を遣ってくれたのか、それとも歌に夢中になっていたのか。おそらく後者だろうが、外に少しだけ漏れていたカラオケの音響のおかげで詩織達は乱闘に気付く事もなかったようだ。
「あれ、ドリンクは?」
「悪いね。別の要件が入って来ちゃってさ」
首を傾げるエイミーに、ユウリは詫びるつもりなどない軽い口調で言って脇に避けて入り口を空ける。
ようやく現れた母親に、エイミーは満面の笑みを浮かべ、すぐにむっとした様子でそっぽを向いた。
「もう! お母さん、勝手にはぐれないでよ! 変なTシャツなんか着ちゃって!」
「……ごめんよ、返す言葉もない」
頬を膨らませて怒るエイミーを、ミーガンは、胸の"エブリタイム呼吸"の文字から目を逸らさせるように抱き寄せる。
擦り傷こそあれど、無事な娘の様子に安心出来た。美緒達の協力のおかげでカルテルの追手も始末できたのだから、これ以上は望み過ぎというものだろう。残っている面倒事など、せいぜい公共の交通機関を使えないくらい。愛娘の命と比べれば、失った携帯電話でさえ安い物だ。
「君と彼がエイミーを見ててくれたんだね」
「は、はい」
「本当にすまなかった。心から感謝しているよ」
ミーガンは胸元の恥を隠すようにエイミーを抱き上げる。慌てて曲を止める詩織と容姿は似ているものの、平気で5歳児を持ち上げる足腰はユウリ以上に頑強なものだろう。タイトめなTシャツで露わになったボディラインはたくましく、肉感的でも筋肉質とは程遠い詩織とは似ても似つかない。
さて、と気合を入れるように腿を叩いたミーガンはエイミーのリュックサックを肩に掛ける。未だにフロアは片付いていないだろうが、これ以上ここに居座る理由はミーガンにはない。
それもこれも、これ以上は関わり合いになりたくないという、ユウリとミーガンの間に無言の相互理解が結ばれた結果だ。
ユウリは護衛対象のために面倒事に巻き込まれた赤の他人を、ミーガンは子供2人を守るために小隊規模の敵対者達を重傷まで追いやった赤の他人を近くには置けない。お互いが守る物を想えばそれも当然だ。
たとえ、ミーガンの肩に顔を乗せたエイミーが、どこか寂しそうに詩織を見つめていても。
「あの……」
「何だい?」
「エミちゃんに、プレゼントがあるんです」
緊張から体がわずかに強張るミーガンに、ユウリは余計な事はするな、と睨みつける。
散々襲撃を受けて来たのだから、突然の言葉に裏の意味を感じてしまうのは無理もない。ユウリも南アフリカで駆け寄ってきた子供に同じ事を言われた兵士が、その直後に爆死した事をよく覚えている。エイミーを預かったのも、ミーガンをおびき寄せるための餌を勘違いしてしまうのも。
しかし、それは詩織を傷つけていい理由にはならない。
既に護衛対象の温情を踏み躙られているユウリは、いざとなればミーガンに対しての暴力も躊躇えない。殺す事が最善と分かっていれば、先ほどの先頭でも躊躇わなかったように。
そして睨み合う容赦をよそに、詩織はミーガンの肩を乗せるエミに四角いプラスティックケースを差し出した。
「CD?」
「はい。私が世界で1番好きな音楽です」
見覚えのある黄色いビニール袋から出て来たのは、CDショップで詩織が熱心に見ていたCD。レインメイカーのファーストシングルだった。
「エミちゃんの趣味にはあわないかもしれませんが、聴いてもらえたら嬉しいです」
「聴く! 絶対聴く! ありがとう、詩織!」
裏表のないエイミーの喜ぶ様子に、ユウリとミーガンは少しずつ緊張を解いて行く。それでもユウリの指はワイヤーソーのリングに掛けられ、ミーガンの拳は固く握られている。
だから、詩織はシャツの胸元をくしゃりと握り、エイミーが笑う逆の耳元で囁いた。
「もう、寂しい思いをさせないであげて下さいね」
乞うようで、真に迫ったその言葉が、ミーガンを自然と頷かせていた。




