依々恋々のスタースタッド 1
黄色いラインが走る、やや暗めの店内にシンセサウンドが響き渡る。週末の昼間とあって店内には人影が多く、ユウリは小さな手を引いて壁際へと逃れる。
レインメイカーのポップに夢中になっている詩織はともかく、エミの小さな足が踏まれそうにあるのは流石に見ていれらなかったのだ。
結局、ユウリ達は行動だけは当初の予定通り、渋谷でデートを続けていた。シェアハウスの防犯上の都合、シェアハウスに近づく事で氏家詩織という個人の存在を匂わせないために、3人でのデートを続けなければならなかったのだ。
「ユウリって、意外と優しいんだね」
「俺は優しいよ。女の子には特に」
何かを掴んでいないと落ち着かないのか、ユウリはシャツの裾を掴んで来るエミに微笑みかける。
好都合な事に、あれからエミの携帯電話が鳴らされる事はなく、通話ボタン以外のボタンはやはり反応しない。信頼を取り戻すために携帯電話を返したが、もし友人や知り合いから通話が来れば出ない訳にはいかないが、通話先の相手に居場所を話される訳にもいかない。
エミにとってはいつもと違うちょっとした非日常でも、ユウリにとっては慣れ親しんだ日常なのだから。
だがそんな懸念など知らないエミは小さな口を尖らせた。
「エミの事、邪魔者扱いしてたくせに」
「誰だって自分のデートが1番大事でしょ。エミみたいに利口な子はすぐに男達が放っておかなくなるから、きっとすぐに分かるようになるさ」
「……そんなのありえないよ。エミは皆とは違うし」
「だからいいんだって。世界有数の美少年であるこの俺が保証してあげるよ」
少なくとも、容姿が並みならユウリも詩織もここには居ない。
自身の容姿の良さを自覚し、どんな状況でも磨き上げ、利用して来たからこそ、ユウリは紛争地帯で勝ち抜いて陳に見いだされたのだ。
顔を俯かせるエミにとって、弱視がどれだけ辛い事なのかは視力が2に近いユウリには分からない。だが、人と違うという武器の有用性は誰よりも知っている。それこそ、弱視を切っ掛けに出来る強かさがあれば、彩雅のように口先で人を扱えるようになるだろう。エミがそれを望むかまでは知らないが。
「じゃあ、ユウリはエミとデートしてくれる?」
「覚えておくといい。女が女優なら、男は探偵だ。相手が何も期待してない事くらい分かるんだよ」
この話はおしまいだ、とユウリは華奢な肩を叩き、エミの手を引いてアイドルコーナーへと戻る。
聞こえてくる分かりやすい誘い言葉掛ける男に、顔を引き攣らせ手体を硬直させる護衛対象。エミに世の中というものを教えるには、格好の教材があった。
「ゴメンね、その子は俺の連れなんだ」
肩を叩いてただ一言。男は顔を引き攣らせて、軽く会釈をするなり、足早に立ち去ってしまう。声を掛けて来たユウリの容姿の良さに驚いたのか、それとも子供を連れている事で面倒な何かを誤解したのか。何にせよ、もうここから離れた方がいいだろう。
10秒あれば人を殺す事など容易く、10分あれば人を集めて来る事も容易い。
何より、男の目が、少しだけ血走っているように見えた。
「す、すいません。その、夢中になってしまって」
「いいよ。これだけしてもらえるなら、その気持ちも分からなくはないし」
いつのまにか買っていたCDを胸に抱く詩織にそう言って、ユウリはデコレーションされた黄色いフリップの縁を指先で撫でる。カラフルな手書きの字からは熱量が伝わってくるようで、無断使用された写真に文句をつけようとも思えない。そもそも、肖像権というものをいまいち理解しきれていれないユウリには何もできないのだが。
しかし、ポップに顔を寄せたエミの一言で和やかな空気は完膚なきまでにぶち壊されてしまう。
「ねえ、この子シオリに似てるね」
悪気のないエミの言葉にユウリが睨みつけるなり、詩織は信じられない速度でそっぽを向く。流石にまずい事をした自覚があるのか、伊達メガネの向こうの目は泳ぎ、表情はいつかのように強張っている。ユウリが気を遣って名前で呼ばないようにしていたのは、氏家詩織という名前が人の注意を引いてやまないから。教えてしまった名前を訂正する事は出来ず、開き直って氏家と呼ぶ事も出来ない。
「……名前が同じだからって、意識とかしちゃってるみたいでさ。エミは好きなグループとか居る?」
「キッス」
「渋すぎでしょ」
なんとなくお茶を濁すつもりが、予想外の返事に戸惑いつつも、ユウリは満足しただろう、と詩織に目配せをする。
フロアの端にあるエレベーターへと2人を手を引いて行く。ポップの写真は散々撮っていたよはず。今の所、美男美女のカップルに目を奪われる人は居ても、詩織の正体に気付いた人間は居るようには見えない。立ち去るなら今がチャンスだろう。
扉が開いたエレベーターは運良く無人。ユウリは2人を押し込むなり、閉ボタンを連打してエレベーターを閉めた。
「す、すいません。ユウリさんも自己紹介されていたので、その……」
「別にいいさ。以後、気を付けてくれればさ」
窓から渋谷の街並みに目を凝らすエミの背中を見つめながら、ユウリは小声で詫びて来る詩織に肩を竦めてみせる。
変装までしているのだから、素性をばらすような真似はしないだろうとユウリが勝手に思い込んでいただけ。詩織は名前を明かしてしまったが、詩織が得た信頼のおかげで美緒に貸しを作れたのだ。ユウリに文句を言う筋合いなどない。
もし知り合いの誰かに今日の事がばれたとしても、ユウリが知り合いに似ている女子を連れ回す軟派な男になればいい。カメラのレンズの反射光などは一切感じず、週刊誌などの尾行の気配はないのだ。打つ手などいくらでもある。
「あ、あの、厚かましい事を言ってもいいですか?」
「言ったでしょ。今日の俺はアンタのものだよ、好きにすればいい」
「そうじゃなくて、その……」
どもるだけに飽き足らず、口ごもり始める詩織に、ユウリは困ったように指先で頬をかく。
なんとなく、言いたい事は分かる。それを望まれた事も1度や2度ではない。応えてやるのは簡単で、ユウリはいつも期待に応える事で自分の立ち位置を作ってきた。これまでに要求されて来た事を考えれば、詩織が上手く切り出せない程度の要求など可愛らしい物だ。
だというのに、そのいつも通りがなぜか出来ない。
未だに胸中で燻っている明神への復讐心を考えれば、詩織ほど利用できる手札もない。どんな切っ掛けでもユウリなら女を籠絡するのは容易く、他の誰でもない詩織が勝手に利用されに来ているのだ。綾香でもユウリに文句は言えないはず。
だというのに、損得勘定とは違う何かにユウリは戸惑い、簡単な事も出来ないでいる。応えてやる事が嫌という訳でも、詩織を心底嫌っている訳でもないのに。
だがそんなユウリを置き去りにするように、ディスプレイの数字は無慈悲に1階を示す。
だからユウリは、仕方ないとばかりに笑って見せた。どちらにしても選択肢など、もはや存在せず、そうさせたのはユウリ自身なのだから。
「ほら、行くよ――詩織」
「……はい!」
差し出した手を握るその手は柔らかく、なぜか、ユウリには手袋越しにも暖かさを感じられたような気がした。




