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レインメイカー  作者: J.Doe
ドリズル・チューズデー
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邪魔者だらけのディスタンス 5

『……もしかして、ユウリ?』

「エミ、ちょっとごめんね」


 聞き覚えのある声に、ユウリは携帯電話をネックストラップから外して後ずさるように2人から距離を取る。

 聞き間違えでなければ、その声は他の誰でもない。その声は、狗飼(イヌカイ)美緒(ミオ)のものだった。


「びっくりしたよ。まさか美緒に子供が居たなんて」

『子供が居たらあんな家には住んでないわよ。適齢期真っ只中の未婚女によくそんな事を――じゃなくて、そんな事より、この電話の持ち主の女の子は居る?』

「居るよ。この携帯電話の持ち主のエミで合ってるなら」


 どうしてこの番号を知っているのか。口を突きそうになる質問を堪えて、ユウリは2人へと視線を向ける。エミの察しの良さはユリの予想以上だったらしく、勝手に別れを拒みながらも勝手に人見知りをしている詩織といろいろ話をしている。


 もしかして、それも詩織のそばに居るための作戦なのでは。


 ボディガードとして間違っているつもりはないが、どうにも考えが物騒な方ばかりに行ってしまう。誰もが伊勢裕也のように分かりやすく対立してくれれば苦労はないが、ユウリがそうして来たように、暴力という切り札はその時まで隠し持って初めて効果を発揮するものだ。

 美緒がどういうつもりでエミに電話を掛けて来たかは分からないが、ユウリにはこれ以上掛かり合う気などなかった。

 間違いなく、美緒はユウリに面倒事を押し付ける腹積もりなのだから。


『ユウリ、申し訳ないけ――』

「嫌だ」

『話くらい聞きなさいな』

「絶対に嫌だよ。弱視の子供の世話も、美緒が焦るような案件も、俺の手に負える訳がないでしょ」


 ほらみろ、とユウリは鼻を鳴らす。

 確かに借りは作ったが、伊勢裕也の情報で相殺したはず。もしできていなかったとしても、保護対象を代わりに保護したのだ。それで過去の貸し借りの事を持ち出されてはたまらない。君子は危うきに近づかず、美少年は相手を選ぶのだ。


「あの子は俺が責任を持って近くの交番に連れて行くから、そちらさんで――」

『ユウリィッ!』


 美緒のつんざくような大声にユウリは咄嗟に携帯電話から耳を離す。耳元にスピーカーがあったとはいえ、ライブにも耐えたユウリの右耳は耳鳴りがし、鼓動はドクドクとうるさいほどに音を立て、許容を越えた耳への衝撃に腕には鳥肌が立っている。

 どうして自分の周りの女達はこんなにも強いのか。

 危機感に緊張する体とは裏腹に、いやに冷静な精神がスピーカーから聞こえる自分の名前をしっかりとらえていた。


『ユウリ、お願い。その子の命に関わる事なの』

「……話を聞いてどうにかなるもんじゃないでしょ」


 これ以上大声をだされてはたまらない、とユウリは少し涙ぐんだ目を指で軽くこする。無条件で相手の要求を受け入れる理由はないが、先ほどと一転して真摯な声色の美緒。そもそもユウリが美緒の話を聞かないようにしていたのは、戦うには相手が悪かったから。

 しかし美緒は本当に余裕がないのか、そんなユウリを無視して懇願する。


『今は時間がないけれど、後で必ず事情は説明するから。その子を少しの間だけ、守って欲しいの』

「お断りだよ。俺にも連れが居てさ、流石にこんな事には巻き込めない」

『あなたが明神の関係者と一緒に居るのは分かってる。それでも、こっちも人手が足りないのよ』

「……そこまで知っててよく頼めるね。増員の要求は?」

『出来ない。下手に動けばその子の正体と所在も、公安の介入もばらしてしまう事になってしまうから』

「それは、確かにそうかもしれないけど」

『お願いよユウリ。私達が下手を打てばその子は母親を失ってしまうし、その子を失ってしまえば母親も平気ではいられない。母親の携帯電話のGPSを辿ったのだけど、最終地点で真っ二つに壊されてた。その子を守れるのはもうあなただけなのよ』


 そうは言うけど、とユウリは右手の指先でピアスを突く。

 本当にただの一般人が動かなければ行けない状況だというのに、美緒は未だに権力や過去の事件のちらつかせようとはしない。ユウリの罪状を盾にカバーストーリーの矛盾を突いていけば、美緒のターゲットである明神に一矢報いられるかもしれないのに。

 美緒を信じてその事実を受け入れるのなら、美緒はユウリと対等な立場での協力を望んでいる。

 ユウリお得意の被害妄想じみた考えを尊重するのなら、エミを受け入れた時点でユウリはおしまいだ。エミが明確な敵対者であっても、ユウリに対するなんらかの罠であっても。ユウリが美緒の立場なら、エミが武装テロ組織のジュニアソルジャーである証拠を捏造してまとめて殺す。相手が吐かない情報ほど価値がある物はないが、絵に描いた餅はどれだけ頑張っても食べられない。短絡的と言われても、ユウリはそうやって明神に辿り着いたのだ。

 しかし、それはどちらであっても、あの狗飼(イヌカイ)美緒(ミオ)が追い詰められているという事に他ならない。


「……ねえ、その子のために今日のデートを台無しにするのと、俺のおごりで3人で遊び回るのどっちがいい?」

「デ――」


 デート。意識はしていたが脳内で文章化していなかった言葉に、望みはしていたが言葉にされるとなんだかたまらない衝動に、詩織は体をくの字に折って咳き込む。口をつけようとしていたミネラルウォーターは公園に綺麗な虹を掛け、勝手に手を繋いでいたエミはさして動揺もせずに華奢な背中をさすってやっていた。

 その光景にユウリは左手で顔を覆ってしまう。エミを怪しんでいいやら、美緒を疑っていいやら、詩織を情けなく思っていいやら。とにかく状況は無意味に複雑で、無闇に猥雑だ。

 エミを1人にしておきたくない詩織とエミをそばに置いて欲しい美緒。

 幸か不幸か、2人の答えが一致しているが、目的はおそらく違う。それこそ、エミというターゲットと自分という隠し札を使って相手をおびき寄せるのが目的かもしれない。そもそもユウリはエミという少女の正体もその意味も知らないのだ。

 エミだけを守ればいいのなら考えようもあるが、ユウリにはエミを見殺しにしてでも詩織を守る理由がある。

 だからこそ、ユウリは詩織に答えを委ねた。詩織のためにも、美緒のためにも、エミのためにも。すぐに答えを決めなければならない。

 そして口元をハンカチで拭い、詩織は顔を上げた。


「わ、私は、その、私を頼ってくれたエミちゃんの、力になりたいです」

「この先、アイツらが予定を空けられるかなんて分からないよ。もしかしたら、もう2度とないかも」

「……だからこそ、です」


 急に態度を変えたユウリに事態を察したのか、詩織は腰に回された小さな腕に手を添える。

 綾香の楽しんで来なさいという言葉や、彩雅の丁寧なヘアセットや服のコーディネート、そしていつも以上に大事にされていたようなユウリのエスコート。それらに詩織はこれがデートである事をどこかで期待していた。優しく差し伸べてくれた手も、女慣れしているユウリの1部だと思っていた。

 だが、そこまで自分を尊重してくれるのなら、と詩織は小さな手を握った。


「私は、こ、このデ、デデデートを、ユウリさんがくれた時間を、あ、後味悪く、終わらせたくない、です」


 どもりながら、それでもいつものように強情に言われてしまえば、ユウリにはもう拒否は出来なかった。


「……いいかい、これは俺と彼女からの貸しだ。組織じゃなくて、美緒に貸しておくんだ」

『ありがとう。この借りは必ず返すから』


 裏切れば殺す。詩織達に聞かれないように囁いた答えに満足したのか、裏切りの定義を聞かずに切れた電話にユウリは肩を落とす。

 やはり面倒事を押し付けられてしまったが、この貸しは大きなものになるだろう。ユウリは護衛対象が増えた緊張感から小さくため息をつく。

 美緒は公安の人間である以前に、自分と同じ側の人間であるような気がしてならないのだ。


「お母様、ですか?」

「いいや、知り合いだって。母親が見当違いな方向に探しに行っちゃったから、渋谷に戻って来るまでの間だけ預かって欲しいって」


 ずっと気を遣っていてくれたのか、距離を空けてくれていた詩織にそういって、ユウリはエミにきずだらけの携帯電話を差し出す。赤の他人の携帯電話を調べられるのだから、これからの美緒の連絡は全てユウリの携帯電話に来るはず。もっとも、お互いに連絡が出来るだけの余裕があればの話だが。

 先ほどの会話ですっかり信頼を失ってしまったのか、エミは詩織の背に隠れたまま、ユウリと目を合わせようともしない。エミの事を想いやった上での発言であったとしても、エミの主観ではユウリが自分を置き去りにしようとした事実は変わらない。

 分かって欲しいとは思わないが、ユウリは歩み寄らなければならない。

 少なくとも、ユウリは責任ある社会人なのだから。


「エミ。お母さんが戻って来るまで、俺達と一緒に遊びに行かない?」


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