邪魔者だらけのディスタンス 3
明治通り、宮下公園の脇に1台のワゴンが止まる。シルバーのボディカラーがファミリーカーのようでもあり、やや大きいボディも窓ガラスにくまなく貼られたスモークが業者の車にも見えなくもない。
いつもよりはやや日差しの弱い、休日の渋谷の華やかさとは違う、異様なその車に道行く人は気にする様子もなく通り過ぎていく。渋谷という人の多い街では多少の違和感など、違和感じみた日常に消えていく。
だが、スライドドアを開けて現れた人物に、数人の女が思わず足を止めてしまう。
風になびくブロンドと黒のツートンヘア、筋の通った中性的な顔。華奢に見える体には細身の白いシャツに黒いカラーパンツ。20度を越えた気温ではめられた手袋は異様だが、却って服の飾り気のなさが、少年の端正な容姿を際立たせるよう。
歩道に降りた少年は手袋をはめていない右手を差し出す様は、気障でありながらも絵になっていた。
そんな少年の手を社内から伸びた白く細い華奢な手が恐る恐る掴み、優しく日の下へと引き寄せられる。
ふんわりと巻かれた鴉の濡れ羽色の長髪、銀色のメタルフレームの眼鏡を掛ける顔は線が細く、庇護欲をそそるような儚さと美しさを湛えている。しかしミントブルーのフリルシャツとホワイトのフレアスカートを纏う体は、その印象を裏切るように女性らしさを起伏で主張していた。
紛う事なく、2人は美男美女だった。
「合流に関しての変更があれば連絡する。手筈通りによろしく」
ユウリは運転席の白井にそう言って、スライドドアを閉めながら背中に詩織を隠す。辺りにはユウリ達を気にしている男女が数名居り、無遠慮な視線に詩織はすっかり怯えてしまっていた。
このまま帰れるならそれでもいいが。
まあ、無理でしょう、とユウリは小さくため息をつく。何かを勘違いした詩織が肩をビクリと震わせるが、まぶたと髪を失う恐怖に比べれば軽い物だ。もしおめおめとワゴンに乗って帰ってしまえば、ユウリはまたあの恐怖を味わう事になるのだ。
だからこそ、ユウリはこのままで居る訳にもいかない。シェアハウスに住むまでのユウリは、話し掛けて来た女性の家を渡り歩いていたのだから。
そして、ユウリはシャツの袖を握ってくる華奢な手を取った。
「とりあえず、ここから離れようか」
「……は、はい」
ユウリは赤く紅潮した顔を俯かせたままの詩織の手を引いて歩きはじめる。勇気をもって話し掛けようとして来た女性達に軽く微笑みかけ、詩織の顔を覗き込もうとした男達にも微笑みかけて。ずっと詩織を追い続けている週刊誌などの目を欺く事も考慮した彩雅のプロデュースで別人のようなではあるが、人目を惹く整った顔は氏家詩織以外の誰のものでもなく、まじまじと詩織の顔を見られる事だけは避けたい。
変に顔を隠せば猜疑心を煽ってしまうが、美しく飾り立てれば注目を集めてしまう。自分のルックスを武器にして来たユウリは自覚しているが、こればかりは詩織にも理解してもらわなければならないだろう。
「あ、あの」
「ああ、ごめん。歩くの速かった?」
「い、いえ、そんな事はありませんが……」
首を傾げるユウリに詩織は首を横に振る。握ってくれた手は優しく、歩く速度は急かすような真似はせずに歩幅に合わせてくれている。その思いやりを嬉しいと思う反面で、ユウリが女連れに慣れているような気がして詩織の胸中は複雑で、つい手を強く握り返してしまう。
それこそ、その女たちの中にはサーシャという女も居たかもしれないのだ。
そんな詩織の懸念も知らずに、ユウリは線路の向こうに見える建物を指差していた。
「それで、あの黄色いCDショップ行きたいんだっけ?」
「はい。その、レインメイカーのポップを、作って下さったらしくて」
「へえ、新曲もまだ出てないのに凄いね」
販売スケジュールを思い出しながら、ユウリは感心したように言う。ジョーカーの発言を受けて発売後に更に販売数を増やしはしたが、じわじわと販売数が増えるという演歌のような売れ方。大手CDショップに取り上げられたのは、トライトーンの社員達の尽力だけでは無理だっただろう。
「ユウリさんは、ご覧になりたいものないんですか?」
「ピアスはちょっと見たいけど、それくらいかな。自分の金で、なんて久しぶりでよく分かんないし」
この際に全部外してしまおうか、とユウリはピアスが1つ足りない耳を指先でつつく。失くしてしまったピアスの穴は埋まりつつあり、もう1度穴を空け直すのも違う気がする。意味があって空けた穴だが、当然のものなってしまった以上、意味はあっても意義はない。ただのファッションなら、蘭に目をつけられないような物に切り替えるべきかもしれない。
「それは、女の人に、ですか?」
「そりゃあね。質にはバラつきがあったけど、とにかくいろいろもらったよ」
「いろいろ?」
「洋服、宝石、車にセスナ。もらわなかった物なんて、星くらいじゃないかな」
潜入用の制服や女の服。ろくに磨かれてもしてなければ、返り血まで付いていた原石。エンジンがうるさいジープに、ユウリが手を入れるまで誰も手入れをしていなかったセスナ。その全てが略奪品だったとは言えず、ユウリは曖昧に微笑む。詩織は過去のユウリへのプレゼントに興味があるようだが、身柄を含めて何もかもを奪われそうになっていた詩織に聞かせるにはあまりにも刺激的すぎた。
今日というこの日は詩織への恩返しに捧げたものであり、自分のつまらない過去の話をするべきではない。自分の過去の異性関係に詩織がやきもきしている事など知らずに、ユウリは話は終わりだとばかりに高架下へと詩織の手を引いて歩き出す。
現在の時刻は13時で門限は17時。CDショップを覗くだけなら十分だが、他にも行きたい店があるのなら時間を無駄には出来ない。
だから、早く行こう、と手をつなぎ直したユウリは、視界の端に飛び込んで来た小さな人影に詩織を抱き寄せた。
「ゆ、ユウリさん!?」
「ちょっと静かに。俺みたいな美少年がこんな事をしてやるなんて、ありえないんだからね」
うわ言のように心の準備が、と繰り返す詩織を無視して、ユウリは薄暗い高架下に目を凝らす。
現れたのは、1人の少女。背丈はユウリの胸にも届かず、背中のリュックに背負われているような錯覚を覚えるほどに小さい。
それでも、ユウリは少女から目を離そうとはしない。
背に隠した護衛対象に駆け寄って来る少女。いくらここが平和な日本でも、その2つの要素が噛み合ってしまえばユウリも平静を保つ事は出来ない。
何も知らない子供を利用しての特攻攻撃、いわゆる子供爆弾ほど防ぎがたい攻撃はない。
このままどこかに消えてくれるなら、ユウリの考え過ぎ。もしも向かって来るのなら、容赦は出来ない。
しかし少女はユウリ達をみつけるなり、満面の笑みを浮かべて駆け寄って来てしまった。
仕方ない、とユウリはポケットからビー玉を取り出す。出来れば周囲に被害を出さずに場を収めたかったが、標的が標的だけにそれは難しいだろう。氏家詩織に仕掛けられた姦計には、血と麻薬が絡んでいたのだから。
だが、ビー玉を握る左手を振り被るも、ユウリはそのまま動きを止めてしまう。
特効を仕掛けて来るだろうと踏んでいた少女は、何もない歩道で派手に転んでしまったのだ。
ユウリは詩織を背中に隠したまま、少女の様子を伺う。少女の背中のリュックが爆発しなかった事から、少なくとも時限式の爆弾が仕掛けられていた訳ではない。そもそも爆弾でない可能性もあるが、遠隔操作できる爆弾が仕掛けられている可能性もある。
確認しなければわからないが、確認している頃には死んでいるかもしれない。
今朝のような選択を迫られているのに、今朝とは違う内容の深刻さにユウリはついしてしまいそうになった舌打ちを堪える。少女を見殺しにする事になるが、いっそこの距離で爆発してくれていた方が楽だったかもしれない。
ユウリがそんな事を考えていると少女は強かに打ち付けた鼻を両手で押さえ、ゆっくりと顔を上げて言った。
「お母さん……?」
「え、最近の若者ってすごい」
「ち、違いますよぉ!」
突然の子持ち疑惑と心から感心するようなユウリの視線に、詩織は先ほどまでの緊張感も羞恥心もなく、大声で否定する事しか出来なかった。




