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レインメイカー  作者: J.Doe
ドリズル・チューズデー
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負けず嫌いのカタリズム 6

『森崎選手らに大きく遅れて、A組のアンカー不知火選手がスタート! 日本人離れした端正なルックスに女性陣の歓声が上がる!』


 水平になるのではないかと思うほどに体は前傾に、踏み出した足のストライドは跳ねるよう。まるでその姿は野に放たれた獣のよう。

 綾香を猪と言っていた自分の有り様。そしてどうにも俗っぽい実況に笑いをこらえながらユウリはただひたすらに先を進んで行く。

 アンカーが走るのは400メートル、他のランナーの倍のトラック1週。トップを走る森崎とユウリの差は約20メートルほど。

 おそらく、その事から綾香は自分でこのリレーに決着をつけようとしていたのだろう。他の競技に選ばれなかった事を良い事のように言い、50メートル走を毎回8秒フラットで走っていたユウリをあてにはせず、自分がリードを取る事で勝とうとしていた。

 しかし、偶然にも明神綾香対策の切り札である艸楽彩雅によってその勝ち筋は崩される。勝ちを焦った綾香は転倒し、A組は2位から4位に転落。誰が見ても、C組の勝利は揺るがない。

 不知火ユウリという存在を理解していない、蘭響子以外の誰もがそう考え、そして裏切られた。


『おっと不知火選手、ぐいぐい追い上げて――いや、B組のディリオン選手とD組の椎葉選手を追い抜いた! これには走り終えた陸上部の連中もおったまげだ!』


 白人の少年と東洋人の少女の背中を追い抜き、森崎との距離をぐんぐんと縮めて行くユウリ。それこそが、響子がユウリをアンカーに選んだ理由だった。

 スポーツ推薦を受けた特待生3人と競わせ、400メートルという短くはない距離を走らせ、最後には勝つために、顔色一つ変えずに50メートル走を"毎回"8秒フラットで走っていたユウリをアンカーに選んだのだ。


『残り50メートル、森崎選手と不知火選手が後続を大きく突き放す! ラストスパートだ!』


 背後に迫る脅威と煽る実況の声に更にペースを上げた森崎と近づきつつある限界にユウリは顔を歪める。50メートルならタイムを合わせて走るという悪ふざけも出来るが、400メートルは基本的に貧弱なユウリには長い。走り慣れている森崎と競っているとなれば、その負担ももちろん大きい。荒く息を吸う肺は痛く、心臓はうるさいほどに鼓動を刻み、足は熱くて重い。楽に勝てるとは思っていなかったが、ここまで苦戦するともユウリは思っていなかった。


「――ねが――」


 そもそもなんでこんな事に。ユウリは自分の行いを棚に上げる。赤の他人が和紗にケチをつけたのが気に入らなくて、みっともないほどに勝利にこだわっていた綾香を見ていられなかった。たったそれだけの理由で、ユウリは自分のスタイルを曲げたのだ。


「――って、ユウ――」


 歓声の向こうから微かに聞こえる声に、ユウリはクスリと笑みをこぼす。

 ずっと、分かっていた。どうしてずっと綾香が怒っていたのか。誰にずっと怒っていたのか。

 綾香は、自分を許せなかったのだ。

 伊勢裕也ごときに後れを取った自分を、詩織を助けられなかった自分を、ユウリを許してやれなかった自分を。

 根拠のない全能感と彩雅が一緒に居てくれる安心感から、自分を大物だと勘違いしていた。今回ユウリが不問とされたのも、結局は家の力に頼ったからに過ぎないのに。

 だから、ユウリは嫌ってくれればいいと思っていた。詰られても、殴られても、嬲られても、今更悲しんだりも怒ったりもしない。つまらない事で明神から離れる方が不利益だと感じていたのだ。

 だが、綾香はそうはしなかった。苛立ちと無力感を競技の練習で誤魔化し、理性的に自分を制御する事で明神として相応しくなろうとした。


 勝手だと思う。自己陶酔も過ぎている。他者をないがしろにしている事だって理解している。それでも綾香はユウリを許そうとも、ユウリに許されようともせずに、ただもがき続ける事しか出来なかった。


 結局、ユウリが綾香にしてやれる事など、たった1つしかない。


「お願い! 勝って、ユウリ!」


 気に入らない背中を抜き去って、綾香の勝ちへの執念を晴らしてやる事だけ。

 そして、ゴールに張られていたテープがはらりと待った。


『ゴール! 苛烈なデッドヒートを制したのは――2年A組の不知火ユウリ選手! 顔も良くて運動も出来るって何なんだコイ――いえ、明日からの運動部の勧誘は避けられないでしょう。とにかくおめでとうございます! この結果でA組の優勝が確定しました!』


 妬み交じりのスピーカー越しの声、割れんばかりの歓声を聞きながら、ユウリはゆっくりとスピードを落として歩く。焼け付いたような喉で唾を飲むように、ゆっくりと状況を理解していく。

 自分の前には誰もおらず、まとわりついて来たテープは鬱陶しくて、響子は誰よりも高く拳を突き上げている。


 疑いようもなく、勝ったのはユウリだ。


「……お、前、マジで、なんなんだよ」

「見ての、通りの、美少年だよ。ケ、ンカを売る相手を、間違えたね」


 大きく肩を上下させて問い掛けて来る森崎に、ユウリは呼吸を整えながら立てた親指をまっすぐ下に向ける。元々なかった年上への敬意は気配すらなくなり、森崎はがっくりと肩を落とした。勝てると見込んで挑んだ得意分野での勝負に、衆目にさらされた状態で負けたのだ。もはや憎まれ愚痴を聞く気力すら涌かない。

 そんな森崎を置き去りにして、ユウリは運営委員の生徒が差し出して来た1位のフラッグを受け取って待機列へと歩いて行く。脇を通り過ぎた生徒達はユウリに妬みの視線か、まっすぐな称賛を送る。それが支配層による被支配層に形ばかりの称賛だと理解しても、ユウリには関係ない。

 目指していたのはただ1人。すっかり乱れた赤みがかったブリュネット。困惑の視線を向けて来るブラウンの瞳。響子を除けば、誰よりも勝利を望んでいた護衛対象ただ1人。

 そして宙空をさまよう擦り傷がついた手に、ユウリはフラッグを差し出した。


「大したもんでしょ。俺ほどに優秀な美少年はそうそう居ないよ」

「居てたまるもんですか。こんなに手の掛かる奴」


 そう言って微笑んでくれた綾香の笑みが美しくて、その唇がありがとうと声もなく紡いだから、ユウリは気恥ずかしくて肩を竦めた。

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