負けず嫌いのカタリズム 3
空になったグラスをテーブルに置き、ユウリは満腹と気まずさから吐息を漏らす。
レインメイカーの3人と再び同じ車に乗り、同じテーブルにつくようにはなっていたが、回数をどれだけ重ねてもその空気感に慣れそうにない。それがシェアハウスの食卓でも、いつかより1人多いサロンのテーブルでも。
サロンのテーブルについているのは、ユウリを含めて5人。
それぞれの学園カラーのラインが走る黒いジャージを纏うレインメイカーの3人とユウリ。
そして、ユウリが借りて来たパイプ椅子に座る和紗が居た。
「すまんのう、うちまで馳走になってもうて」
自分のために煎茶を淹れてくれた詩織に和紗は手を合わせて詫びる。
富裕層向けの学食が気になっていたのも事実だが、結果的に催促してしまうような気がして、責任感の強い子供達に昼食の事を尋ねられなかったのだ。もっとも、彩雅はその事を弁当作りに張り切っていた詩織に吹き込み、和紗は相伴に預かる事になってしまったのだが。
「い、いえ。その、えっと、お礼が、ずっとしたかったので」
「……げに可愛らしゅうのう。不知火も見習いや」
「俺みたいな美少年は少しくらい生意気なくらいでちょうどいいんだよ」
動きやすいように首元でまとめた黒の長髪を指先でいじる詩織に、いつにも増して鋭い目で睨んでくる和紗。
どうやら、あの時は美緒が居たから猫を被っていたらしい。
欺瞞能力の低い和紗の外面にユウリは胸中で毒づく。もし和紗がユウリ並みに優秀な外面を持っていてくれたら、ユウリもわざわざ遠い正門まで迎えに行き、身内の問題1つで進退が決まってしまう苦学生を演じる必要もなかった。
「そういえば、おにぎりとかそういうの大丈夫か聞いてなかったわね」
「別に、氏家が作ったのなら気にしないよ」
口元をナプキンを拭う彩雅の問いかけにユウリは首を横に振る。
紛争地帯暮らしのおかげで胃は強く、詩織が味付けを自分に合わせてくれている事は、サロンに常備されているフルーツティーの味で理解している。
現に、綾香の素養の高さ、詩織の奇を衒わない性質、彩雅の手腕。全ての前提が上手く噛み合ったおかげか、テーブルの上の重箱はすっかり空になっていた。
つまり、言葉にしないだけで美味しかったという事。
その事を理解してか、彩雅は口元にナプキン当てたまま、心底楽しそうに口角を上げる。
「あらあら、同じ墓に入ろう的な意味? それともご飯を毎日作って欲しい的な意味?」
「どっちでもないよ」
「も、もう少しだけ待っててください。レインメイカーでやりたい事がいっぱい――」
「知らないよ、好きにしなよ」
「おどれ、詩織を泣かせたら首都高の1部にしたるからな」
「アンタは黙っとけ。冗談に聞こえないから」
煽ってくるも彩雅にも、どういうつもりか分からない詩織にも、言葉の重みが本気の和紗にも。ユウリは誰にも付き合いきれないとばかりに吐き捨てて立ち上がる。女3人との言葉の応酬は勝機が薄く、その勝利に意味はない。
「もう、行かれるんですか?」
「うん。あんまりここに居る事を誰かに知られると面倒だし、鉛地が不審者扱い受けないように根回ししないとだし」
ユウリは前髪越しにうらめしげな視線を送ってくる詩織の額を軽く突く。冗談でも、結婚を匂わせて来た重すぎる詩織の言葉を忘れた訳ではない。関心はあっても執着はなく、伊勢のクーデターの時は責任感から守られてしまったが、出来れば同じ世界の人間同士で守り合える関係を築いてもらいたい。いちいち突かれた額を指先で擦りながら、はにかむように笑う詩織の精神はユウリには理解しがたい。
だが、その一方で綾香はユウリを無視するようにグラスを煽って立ち上がる。
「アタシも、次の競技の準備があるから」
「次は、100メートルハードルだったわよね。体力があるとは言っても朝から出ずっぱりなんだから、自己管理はきちんとなさいね」
「分かってる。詩織、ごちそうさま」
そう言って、綾香はジャージのジッパーを上げてサロンを後にする。同じデザインとシルエットのジャージを着ているというのに、ユウリと綾香では随分印象が違って見える。女性らしさとたくましさを絶妙な均衡で保っているその背中は、ユウリよりも頼りがいがありそうだった。
その頼もしさに甘えて護衛対象に窮屈な思いをさせている自覚くらいはユウリにもある。謝って許されるのなら、土下座でも何でもするが、それは綾香の失望をより深くするだけだろう。
だから、ついユウリは問い掛けてしまう。
「俺のせいなのは分かってるけど、そちらさんにもあんな感じなの?」
「あの子、素養は誰よりもあるのだけに凄く不器用だから――それと、ユウちゃんのせいじゃなくてワタシ達のせいよ」
「部外者は黙ってろって?」
「当事者でしょう。ユウちゃんも、ワタシ達も」
返す言葉もない彩雅の正論にユウリは言葉を詰まらせる。綾香の助け舟に気付けず、詩織を暴力の免罪符にし、彩雅に大金を遣わせて自分を探させた。勤務時間外に車を出させられた和紗の事も考えれば、ユウリに情状酌量の余地などない。綾香を怒らせてしまっただけでなく、向かいに座る詩織に俯かせてしまったのだから。
「不知火、どうしておどれは競技に出んのじゃ?」
「授業に出てない間に選抜リレーだけに決まってたんだよ。日本の気候が合わなかったとでも思ったのかね」
楽が出来ていいけど、と付け足すユウリのジャージの袖をつまみ、詩織は首を横に振る。
「た、多分、それだけじゃ、ない、です。走る距離も、長いですし」
「それだけじゃないって、こんな事になんか理由があるの?」
「選抜リレーはクラスに馴染めてない子と立候補者をが選ばれるのよ。ワタシ達も立候補したから、ユウちゃんと勝負する事になるわね」
「過保護過ぎる日本の教育方針め……」
彩雅の注釈に呻いたユウリは、再び椅子に座らせようとする詩織の手を払う。
ユウリと詩織はクラスに馴染めていない生徒ととして、綾香と彩雅は立候補者枠。伊勢対策のために登校しても授業に出ず、護衛の職務を半ば放棄していたのはつい先月。登校していた事実も知らない蘭からすれば、教師としての職務を遂行したに過ぎない。もっとも、ユウリも体育で図った50メートル走のタイムを蘭が勝手に集計していた事を知らないのだが。
だが、おそらくそれだけの理由で選抜リレーの選手を選んだりはしないだろう。
「民主主義アピールに俺が利用されたのは理解したけど、そちらさんはどうして?」
「分かりやすく参加をアピールできるから。勝ち負けを気にしてるのなんて、アヤちゃんと蘭先生くらいだし」
もちろん、負ける気はないのだけど、と彩雅はウィンクをする。
事実、この後も陸上競技が続く綾香は昼食は最低限の量を口にしただけ。2年A組に所属できたのは、綾香にとっても蘭にとっても幸運だったのかもしれない。
「さて――不知火、うちも付き合うけえの」
「いいの?」
「しゃあない。自分のけつは自分で拭くもんじゃけえな」
和紗は椅子に掛けていたスーツジャケットを羽織り立ち上がる。サロンの居心地の良さは後ろ髪を引いてくるようだが、3人専用という前提条件を考えるとユウリ同様に長居をするべきではない。
何より、早く面倒事を済ませなければ、綾香の競技に間に合いそうになかった。




