一触即発のスケプティカ 4
人に視線を向けられる事に苦痛を感じた事はない。どれだけ自分の容姿が整っているのか、どれだけその容姿が人目を惹くのか、ユウリは誰よりも理解している。その認識が本人のナルシズムから来るものであっても、裏付けは容姿を利用し破壊工作を繰り返した実績が証明している。
ただ、なんというか、居心地が悪い。
度の過ぎた三白眼、戦場で見た猛者とは違う鋭さの目つき。赤いフレームの眼鏡越しの視線が、見惚れるでもなく、値踏みをするでもなく、ただユウリを凝視してくるのだ。
「……御用がないのなら、お暇させていただいても?」
「用事があるのは、そちらでは?」
どうにも要領の得ない回答に、ユウリは舌打ちを堪えてため息をつく。
ユウリが赤いメガネの女と出会ったのはこれで3度目。1度目は伊勢と口論をしていた時。2度目は彩雅が自分を迎えに来た時。
そして、これが3度目。1度目のように誰かに遣わされた訳ではなく、2度目のように武装している訳でもない。
赤いメガネの女は、自分の意志でユウリを会議室に引きずり込んだのだ。
「業務の事でしたら、明日にでも打ち――」
「寝ぼけとんのか、こんとぉすけ」
「……はい?」
「おどれが面倒掛けさせたんじゃろうが、おどれがあがぁな子供に夜中出歩かせるような真似させたんじゃろうが。大概にせにゃしごうしたるぞ、あほんだら」
ずいと顔を寄せて来る赤いメガネの女に、ユウリの脳裏にいつか見たテレビでの光景がよぎる。
極端に短い上着に極端に太いスラックスの学生が超至近距離でにらみ合う光景。
これが、メンチを切られているという状況なのか、と。
荒くなる語気に、聞き馴染みのないイントネーションに、いまいち理解できない単語。教育に悪いと観させてもらえなかった任侠映画のよう。
言葉の意味を正確に理解する事は難しいが、赤いメガネの女が怒っている事だけはユウリにも理解できる。ユウリが逃げ出したから彩雅が大金を叩き、そんな彩雅に付き合って夜中に名目上だけの同僚の尻拭いに付き合わされてしまえば無理もないだろう。
「大変ご迷惑をおかけしました。以後、お手を煩わせる事がないように善処いたします。この度は本当に申し訳ありませんでした」
「心にもないことを、こんくそあほんだら」
口先だけの謝罪に赤いメガネの女は不愉快そうに吐き捨てる。
悪いと思っても居なければ、感謝だってしていない。それでも面倒を掛けさせた自覚くらいはユウリにもある。最悪、赤いメガネの女は器物破損未遂と不法侵入未遂の片棒を担がされていたのだから。
だが、ユウリは謝れない。陳がユウリの肩を持っているのも、彩雅の横槍があっての事だろう。後継者問題で揺れる氏家とは違い、艸楽には明神に勝てずとも、負けないだけの力がある。彩雅がユウリを必要とし、汚れ仕事をユウリに押し付けたい陳は彩雅との衝突を避けているだけだ。
「おどれ、これからどうするつもりじゃ?」
「どうするって、徐々にやりやすい形を作って職務を全うするだけですよ」
「ならその形を具体的に言うてみい。"ほうれんそう"は社会人の常識で職場の義務じゃ」
言えるはずもないだろうが、と赤いメガネの女は鼻を鳴らす。
暴力に訴えて事態をかき乱し、立場を捨てて逃げ出したユウリ。トライトーンレコードという企業ではなく、1人の個人として戦ったユウリが選ぶ方法程度、容易に想像がつく。
「言えんのやったらうちが言うたる。おどれはまた繰り返すつもりじゃ。詰め腹を切ってでも、1人でやり通すつもりじゃ。おどれの手にゃ余くりかえるって分っとろうに」
タブレットのメンソールの香りと共に吐き出される言葉に、ユウリは何も言い返せずに黙り込む。
事実、ユウリは以前のように1人でレインメイカーのマネージメント業務を行おうとしていた。
前回は詩織のおかげで危機をやり過ごす事は出来たが、それは全て"カズ"と呼ばれるマネージャーがユウリの代わりに業務を肩代わりしただけ。以前のような業務形態に戻るかはまだ決まっておらず、決まっていたとしてもこの期に及んで他者の介入をユウリは簡単には認められない。
たとえ、3人から夢を奪う事になってでも。綾香との約束を破る事になっても。
「じゃけえ、うちと協力しんさい。悪いようにはせん」
「いえいえ、これ以上ご迷惑をお掛けしたくありませんので」
予想外の言葉に戸惑いながらも、ユウリはなんとか作り笑いを維持する。
マネージャーとして不適格の烙印を押されたのか。ボディガードというもう1つの顔がばれたのか。それとも、彩雅の男として警戒されているのか。
赤いメガネの女がユウリの事をどう捉えているのかは分からないが、自分の排除に動く人間は居るだろうとユウリも考えていた。それこそ、現状でユウリを必要としているのはレインメイカーの内2人と、汚れ仕事要員を必要としている陳くらいだ。
そもそも、陳からの依頼はレインメイカーを守る事であって、レインメイカーの活動を守る事ではない。赤いメガネの女に看破されてしまったが、その認識に変わりはない。斉藤泉や伊勢裕也に襲撃を許したのはレインメイカーとしての活動中の時間のみ。星霜学園やシェアハウスでのプライベートでは、伊勢のガーボロジー以上の害を許してはいない。自分の不出来さを認めるようで歯痒いが、レベルの高いセキュリティのおかげだ。
だからこそ、ユウリは続けなければならない。3人を守り続けて"報酬"を手に入れなければならない。
だからこそ、ユウリには赤いメガネの女に自分を懐柔される訳にはいかない。
赤いメガネの女が彩雅に信用されている事は間違いなく、彩雅に取り入るためにユウリを利用する必要もない。それこそ、ユウリを完全に排除するつもりとしか思えない。
柔和な笑みに隠したユウリの頑なな態度に、赤いメガネの女はため息をついて、懐から1枚の紙をユウリへと突き出す。
ドーパミンと唾液の過分泌、特定の物への異常な恐怖感と錯乱の気があり。アルコール反応がなく、支離滅裂な言葉をしゃべり続ける症状から、合成麻薬フラッシュポイントを摂取した思われる。
やや読みづらい崩れた文字で鑑定結果、的外れのレシピが書き殴られた時代遅れの紙カルテ。ユウリはその内容に驚愕から目を見開いてしまう。
ユウリだけが気付いていた真実を書かれたそれは、赤いメガネの女がユウリと同じ真実に辿り着いていた証明。
斉藤泉も伊勢裕也もフラッシュポイントを摂取して、あの凶行に及んだのだと。




