一触即発のスケプティカ 3
『率直に申し上げますが、藤原殿の判断は拡大解釈と言わざるを得ません。伊勢裕也が氏家亮太氏の身内であっても、氏家の人間ではないのですから』
「それを外様の僕に分かれだなんて、陳さんはなかなか酷な事を仰る。姓が違っても、血がつながっていなくても、自分の子供ってのは可愛いものなんですよ」
わざとらしく、それでいて嫌らしい笑みを浮かべたままの藤原に、陳はため息をついて諭すように言う。
『明神に関わる人間として、どれだけ酷だろうと理解していただかなければなりません。私は不知火の能力を買ってトライトーンに入社させましたが、伊勢裕也に薄い血以外の価値がありましょうか。伊勢裕也の尻拭いをしながら、ボディガードとしての役割を果たし、私では介入できなかった窮地を突破して見せた不知火以上の価値が』
「それは本当に立派な事だと思うし、申し訳ないとも思っているよ。本当に僕は優秀な部下を持てて幸せだ。社長冥利に尽きるね」
「……もうやめよう、続けるだけ無駄だ」
どうあっても2人にも責任を認めさせようとする藤原に、ユウリは苛立ちを隠そうともせずに吐き捨てる。
2人の言葉を額面通り受け取るのであれば、藤原宗吾は血を盾にされて伊勢裕也を拒絶できず、陳大文は氏家と藤原の妨害によって事態に介入できなかったという事になる。
だが、ユウリはそれを素直に信じたりはしない。野良犬のように施しを受け入れる訳にはいかない。
たとえ、伊勢裕也への暴行を不問にされたとしても。口封じを恐れていた陳が自分の肩を持ったとしても。
ユウリには明神を疑うだけの理由があり、藤原の裏切りは許しがたい。藤原宗吾にとってはたった1回のみすかもしれないが、ユウリからすれば、命を懸けた護衛任務の失敗。任務に復帰しようにも、このままうやむやにされてはたまらない。
『待て不知火、気持ちは分かるが降りてくれるな。お前以外の誰に任せられると言うんだ』
「自分の都合ばかり言ってないで、成果か譲歩の1つでも見せてみなよ。安全地帯から偉そうな事だけ言って協力してるつもりなら、俺はもう付き合いきれないよ」
だから、俺の話に乗って来い。ユウリは自分の言葉の裏に陳が気付いてくれるように祈りながら、挑発するように鼻を鳴らす。
斉藤泉の襲撃、伊勢裕也の入社。それらの事からユウリに信用させなかったのは陳の落ち度かもしれないが、こじれた状況を陳に報告しなかったという点においてユウリと藤原は同罪。その上で陳はユウリに任務の復帰を望み、ユウリは他の誰にも出せない"報酬"が欲しい。
そもそも、陳が提示した"報酬"がなければ、ユウリは大金を払ってでも自分に執着した彩雅や、取引を持ちかけて来た美緒に乗り換えている。
だが、このまま任務を放棄してしまえば"報酬"は得られず、ユウリは改めて口封じの対象とされてしまうだろう。
だからこそ、ユウリは陳を話に乗せなければならない。そのためにユウリは氏家でも艸楽でもなく、藤原と伊勢に後れを取った陳の話に乗ったのだから。
そして、深いため息をついて陳は言った。
『……分かった。藤原宗吾氏の人事への不介入を徹底させ、お前にトライトーン関連の人事データの全てを開示し、謹慎命令を解除しよう』
「おや、僕はお飾り社長から窓際社長になってしまったという事かな。雇われ社長ってのは辛い物だね」
『伊勢裕也の入社を報告しなかった事も、麻薬におぼれるような人間である事を見抜けなかった事も、藤原殿の不注意から起きたものです。どうかご理解ください』
「別に、構いはしないさ。今の僕があるのは、敬一郎君のおかげだからね」
空元気なのか、それとも本当に心から何とも思っていないのか。
相変わらずのいやらしい笑みを浮かべる藤原を横目に、ユウリは安堵から小さくため息をつく。
任務を続けたいユウリと任務を続けさせたい陳。同じ目的を持っていたからこそ、陳はユウリの望みに気付く事が出来たのだろう。
両者の望みはただ1つ。不安材料の排除、すなわち、藤原宗吾をレインメイカーの近くから追放するという事。
いくら家の事情に疎いユウリでも、詳細な人事データを開示されれば、明神周辺との関係を辿れる。陳を信用できないのであれば、利用すればいいだけだったのだ。
もっとも、最大の懸念は未だ燻っているのだが。
「では、不知火君は明日より職務に復帰。出社しなかった期間は……そうだね、心労で寝込んでいた事にしよう。乱闘騒ぎに巻き込まれた噂が漏れてしまうかもしれないし、入社直後にそんな事が起きたら寝込むのも当然だろう」
「まあ、いいでしょう。今度はお願いしますよ、社長」
スプレーで黒く塗りつぶした髪へと伸ばした手を止め、ユウリは胸ポケットから取り出した伊達メガネを掛けて立ち上がる。これからは藤原宗吾の動きにも気を配らなければならないが、今はただこの腹立たしい男と距離を取りたい。
何せ、暴力を振るっても許された前例を得てしまったのだ。心がどれだけ拒否していても、この施しはあまりにも魅力的だ。
やはり、調子が良くない。
意味はないのに悪影響ばかりの考えを切り捨てるように、ユウリはドアを開け、見慣れたはずの廊下の光景に足を止めてしまう。
廊下の壁に体を預け、薄い胸の前に腕を組み、容姿の何もかもを台無しにするような度の過ぎた三白眼。
そこに立っていたのは、いつかの赤いメガネの女だった。




