一触即発のスケプティカ 2
「職務に戻れ、だって?」
ブラインドを下げられた窓。暗い木目調で揃えられたデスクや本棚。臙脂のベルベッドのソファ。
派手ではないが、品と質を良く整えられたトライトーンレコード社屋。社長室で信じられないとばかりに問い返すユウリに、スピーカー越しの男の声が言う。
『そうだ。こちらにも事情があってな、お前を外す訳にはいかなくなった』
「ちょっと待って。俺が誰に何をしたのか、そもそもどうしてこんな事が起きたのか。家の事情に明るいそちらさんなら分かってるんじゃないの?」
あまりにも一方的な陳大文の言い分に、ユウリは馬鹿馬鹿しいと肩を竦め、手元に調査報告書として残された筋書きに視線を落とす。
無責任な仕事ぶりでトライトーンの信頼に泥を塗り、藤原宗吾直々に解雇を言い渡された伊勢裕也。その事で自暴自棄になった伊勢は合成麻薬フラッシュポイントを摂取。ハイになった精神は失敗に引きずり寄せられ、逆恨みから仲間を連れてレインメイカーを襲撃。目的はレインメイカー3人の身柄とミックス中の楽曲データと思われる。
ここまでは、ユウリが描いていた通りの事実。問題はここから先だった。
麻薬の接種によって精神に異常をきたし、スタジオに飛び込んできた伊勢裕也。マネージャーである不知火ユウリはとっさの機転によってレインメイカーは無事脱出させただけでなく、伊勢裕也が目をつけていた楽曲のデータを死守。3人を無事にシェアハウスまで送り届けた不知火ユウリは、自分が囮になって逃げ回る事でレインメイカーを、残された伊勢裕也と仲間達の目を惹きつけようと奔走する。
現に伊勢裕也はレインメイカーを見逃した仲間達と乱闘騒ぎを起こしていた。伊勢裕也は仲間達によるリンチによって歯を全損する重傷。地下駐車場で倒れていた仲間達も、腿にボールペンによる腿への刺傷や金属バッド等による打撲を負った。
スタジオの手配、地下駐車場に残されたワゴンや鉄パイプ。それらの用意周到さから、衝動的な犯行ではなく、悪質な凶器準備集合と拉致計画と思われる。
陳の直筆で綴られたストーリーによると、伊勢裕也達は勝手に自滅し、レインメイカーは不知火ユウリによって守られた、という事らしい。
不知火ユウリが暴力を振るい、命惜しさに逃げ出したという事実もなく。
だからこそ、ユウリは陳から告げられた沙汰に納得がいかない。
ただ一方的に施された許し。未だ燻っている明神への敵対心すら、意に介していないような言葉。
ここまでお膳立てされてしまえば、ユウリだけでなく、レインメイカーの3人も事態に気付いてしまうだろう。
ユウリは利用されたのだと。氏家詩織を、可愛い妹分を守ろうとした艸楽彩雅だけでなく、血を盾にしてくる伊勢と祭主という2家を排除しようとした明神に。
伊勢裕也にフラッシュポイントを与えたかもしれない、明神に。
『それに関しては、俺も聞かせてほしいと思っていたところだ――どうなのですか、藤原殿?』
ユウリからの疑惑をやり過ごそうとしたのか、それともなすりつけようとしたのか。
陳の急な問いかけに対して、プレジデントチェアに座ったまま沈黙を守っていた藤原宗吾は、困ったような笑みを浮かべた。
「確かに伊勢君を入社させたのは僕だけど、あの件に関してはしてやられたという気分だよ。まさか、こんな事になるなんて思わなかったからね」
「だったら、何で相談も報告もしなかった? 口にした事はなかったけど、アンタは俺の役目を分かっていたはずだよ」
「人に理解を求めるなら不知火君にも分かって欲しいね。陳さんから君の紹介状があったように、伊勢君にも亮太君からの紹介状があったんだ。それに泣かせてくれるじゃないか。父の不義理を詫びるために、腹違いの妹を家族として近くで支えたいなんてさ」
「それで、その腹違いの妹を傷つけようとしたクソ野郎を雇ったのか。俺みたいなどこの馬の骨か分からない奴を雇うなら、関係者と血が繋がってる奴を雇っても変わらないって」
「……本当に、君は驚くほどに日本語が達者で、嫌になるほど皮肉が素直だ――そうだよ、トライトーンの社長になったあの日に明神と連なる家に忠誠を誓ったからさ」
分かるだろ、と藤原はユウリの厳しい糾弾にお手上げだとばかりに両手を上げる。
トライトーンレコードの設立には3家の力が働いており、本来なら藤原の入る余地などなかった。
しかし明神敬一郎は家の力でのバックアップを約束し、藤原宗吾を社長に推薦。実力と血縁主義の明神らしくないが、氏家と艸楽もそれを承諾するしかなかった。両家に明神の決定を退ける力はなく、トライトーンレコードを手に入れる事で勢力を拡大させる切っ掛けと見ていたのだ。
だが藤原が入社を認めた伊勢が犯罪を犯したのも、ユウリが機転を利かせて最悪の事態を避けたのも紛れもない事実。カバーストーリーがあろうとなかろうと、氏家亮太の顔色を窺って犯した失態は消えない。




