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レインメイカー  作者: J.Doe
スプリンクル・マンデー
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順従謙黙のアバンドン 4

 窓1つないコンクリート打ちっぱなしの壁に、カップを置く音と女のため息が響く。

 頼んでもいないのに淹れられたコーヒーは頼み事の合図であり、面倒事が始まる予兆でもある。その事を理解させられていい顔を出来るほど、女の器は大きくない。

 現に、カップを置いた手は毎度のように掌を合わせているのだから。


指宿(サシヤド)、調べてほしい事があるの」

「パソコンの使い方ならこの前お教えしたはずなんですけど」


 半分閉じられた眠そうな目で心底嫌そうに顔を顰める部下に美緒は軽く笑いかける。

 好き勝手跳ねるショートカットの黒髪。幸の薄そう感で言えば日本一を自称するどこか印象の薄い顔。皺だらけのスーツを纏う低身長で肉付きもない、まるで少女のような痩身。

 美緒の悪い所だけを増長させたような女の名前は指宿(サシヤド)真尋(マヒロ)。美緒の2人目の部下だ。もう1人の部下は今頃、愚直に自分の役目を果たしているだろう。


「そうなのだけど、なるべく痕跡を残したくないのよ」

「そんなやばそうな案件絶対お断りなんですけど。パパが危ない事だけは絶対にするなって言ってたんですけど」


 うりうりと頬をこねくり回してくる美緒を振り払い、真尋は両腕でバツを作る。

 真尋にとって美緒は人生最大の窮地を救ってくれた恩人ではあるが、何度も何度も安受けはしていられない。もうスマートフォンの使い方を教えるためにゴミ貯めのような家に泊まり込むのはごめんなのだ。


 何せ、真尋の父は美緒の家に居るだけでヤニ臭くなったスーツに、娘が非行に走ったのではないかと見当違いな心配をしていたのだ。就職の報告をしただけで号泣していた父に畑のねぎ以外の心配をさせたくない。忘れて来たシャツを取りに戻る事すらあきらめるほどにあの部屋は汚いのだ。

 しかし美緒は余裕そうな表情を一切崩しもせずに、ポケットから携帯電話を取り出した。


「そんな事を言わないで――ここの備品をバレずに持ち帰ったその手腕を期待してのお願いよ」

「何でもするんですけど、真尋は狗飼課長の犬なんですけど」


 散々使い方を教えたスマートフォンの画面に写る画像に、真尋はお手の代わりにキーボードに手を乗せる。正確には、手を尽くして堂々と部の備品を持ち出す真尋の写真。この事が明るみになれば、真尋の父は文字通り泡を食って倒れてしまう。真尋の父にとっても、美緒は娘を更生させた恩人であり、言い訳など出来ないのだから。


「不知火ユウリって子供の事を調べてほしいの。年齢は10代、髪はおそらくブロンド。肌は少し焼けていて、瞳がアンバーの東欧系」

「3秒で調べるんですけど、ちょっとだけ待ってて欲しいんですけど」


 そう言ってぴったり3秒。真尋はディスプレイに表示された情報の羅列に顔を顰める。


「……情報が新しく作られているんですど。それもすっごい巧妙になんですけど」

「説明して」

「今まで生死不明扱いだった異姓同名の人間の戸籍を改造してるっぽいんですけど。おそらく、内部にも関係者がいるんですけど。命の危険はマジ勘弁なんですけど」


 日本最大のデータベースからはじき出された写真すらない情報に、美緒はポケットの煙草に手を伸ばしながら考える。

 不知火ユウリが明神と艸楽に近しい事は間違いない。令嬢がレインメイカーのメンバーであり、2家と近しい氏家も同様に。

 戦い慣れた様子から、ユウリの役目は汚れ仕事(ウェットワーク)を前提とした戦力だったのだろう。


「明神、氏家、艸楽の3家の周りで何か動きはなかった?」

「関係あるか分からないんですけど、氏家と関係のある伊勢裕也とその知り合い5名が渋谷区の病院に搬送されたみたいなんですけど」

「伊勢裕也が?」

「はい。フラッシュポイントをオーバードースに、歯が全損するくらい顔周りがぐーちゃぐちゃな重症っぽいんですけど」


 でもミンチよりはひどくない、と力説する真尋を無視して、当然のように白を切った美緒は脳裏をよぎる1つのストーリー順序立てていく。

 不知火ユウリと伊勢裕也は何らかの形で、あのスタジオを貸し切っていたレインメイカーと関わりを持っていたのだろう。特に伊勢裕也が明神綾香と艸楽彩雅と行動を共にしていた事は美緒達も掴んでいる。

 そして人為的な力が働かない限り、顔回りだけに重傷を負うというのはありえない。交通事故や大きな力で体を壊されたとしても、首などの近しい部分も損壊するはず。何より、不幸な事に美緒は伊勢に鉄槌を下す事は出来なかった。


 そこから成り立つのは2つの仮説。


 1つ目は、フラッシュポイントをオーバードースした伊勢裕也が、仲間を集めて3人に危害を加えようとしたが、不知火ユウリによって阻止されたというもの。

 2つ目は、全てを不知火ユウリが演出した茶番。フラッシュポイントをオーバードースさせた伊勢裕也に暴行を加え、自分で用意した武装犯達に殴られる事で自分から疑いの目を逸らそうとしたというもの。


 地下駐車場に居た武装犯達の証言次第ではあるが、美緒には1つ目の仮説が有力なように思えた。ユウリは美緒の存在に気付いておらず、伊勢裕也とフラッシュポイントの結びつきも漠然と知っていただけ。明神が指示を出していたというなら、そもそも伊勢裕也のような存在を内に入れる事自体が失策だ。

 それすらもポーズかもしれないが、3人に対しての横槍をちらつかせただけで美緒を殺そうとして来たユウリなら、伊勢裕也をためらいもなく壊せるだろう。


 しかし、ユウリは3人を守ったというのに、明神と際を分ったような事を言っていた。確かにユウリの行いは法律の観点からも擁護出来ず、氏家からすれば身内を害された事だけが真実となる。相互理解は難しいだろう。


 だとすれば、どうして艸楽彩雅は不知火ユウリを自ら迎えに来たのか。


 そもそも不知火という家は明神近辺には存在せず、血統という価値においてユウリは無価値。それどころか、愛人の子とはいえ、息子を傷つけられた氏家良太の顰蹙ひんしゅくを買いかねない。

 だからこそ、美緒は彩雅に対して警戒心を抱いてしまうのだ。

 艸楽彩雅は、"ユウリ"という少年の事を、自分を同じくらいに知っているのではないか、と。


「しばらくは私達で探りを入れつつ様子を見ましょう。顔写真とDNAデータを、うちの独立データベースに登録しておいてちょうだい」

「……DNAデータって、ドン引きなんですけど」

「変な勘繰りはよして。ちょっとピアスをもらって来ただけよ」


 うへえと顔を引きつらせる真尋に見せつけるように、美緒はポケットから取り出した銀のピアスとフラッシュメモリを取り出す。美緒も手段としてハニートラップを意識しなかった訳ではないが、その点においてはユウリの方が上手だったのは明らか。美緒は下手に手を出そうとも思わなかった。


「それはそれで正義の味方のやる事じゃないんですけど」

「正義の味方になったつもりはないわ。最初から最後まで、私は私達だけの味方よ」

「なにそれ、マジかっこいいんですけど」


 正義の味方でなくとも、まるでヒーローのよう。そんな美緒の言葉に感銘を受けながら、真尋はフラッシュメモリを備え付けのパソコンに取り付ける。中身はピアスに付着していたDNAを数値化したデータ。登録と言っても、それらの数値を入力して保存するだけの簡単な仕事だ。スマートフォンすら扱えなかった美緒でも出来る。

 だというのに、真尋はいぶかしげに眉を顰めて手を止めていた。


「……おかしいんですけど」

「どうかしたの?」

「この顔とDNAに近い情報が既に登録されているんですけど」


 そう言って真尋が美緒に見せたのは、1人の少女の写真。

 2つに結わいた髪は鮮やかなブロンド。日焼けをしていない肌は青白く、切れ長の目には琥珀色の瞳。東欧系の顔立ちは幼さを少し残しつつも、筋の通った美しさを湛えている。

 まるで、美緒が知る誰かのように。


「アレキサンドラ・ドミトリエヴナ・コチェトヴァ――ロシア人の女の子なんですけど」


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