意気衝天のストレングス 4
親切心とお節介のせいで与えられたお説教にため息をつきながら、綾香は高等部の校舎裏にある庭園の連歌の道を歩いていた。優しげに咲いた花達も、柔らかな芝も、夕風に揺れる木々も今の綾香にはただの背景と化していた。
小等部から大学部まである私立星霜学園は、都内にあるというのに広大な土地面積を保有しており、綾香は先々代の資産運用に疑問を感じてしまう。それぞれの校舎の他に図書館、体育館、室内プール、屋内と屋外に多目的グラウンド。実験製作棟、部活棟にいたっては学部ごとに用意されている。
施設の不備を理由にさせないために資産を注ぎ込んだのは分かるが、明神家がオーナーであるからこそ、綾香は学園が窮屈に感じてしまうのだ。
誰もが星霜学園を明神家の試験場と勘違いし、挙句の果てには綾香達に媚かケンカのどちらかを売る。
明神家の血縁主義と実力主義を考えればありえないと理解できるが、明神家に類する人間でなければ誤解してもおかしくはない。おかしくはないが、その誤解を押し付けられるのは綾香はゴメンだった。
綾香達には時間が惜しいというのに、誰もが勝手な理由で自分達の時間を奪っていく。
今この瞬間、紫煙をまき知らしながら綾香を取り囲んだ男女3人ずつの生徒達のように。
「よう、明神さんちのお嬢さんが何の用だよ」
「何の用? 笑わせんじゃないわよ下郎共が」
綾香は正面の男子生徒を睨みつけながら吐き捨て、取り囲む生徒達は分かりやすい侮辱に顔を歪める。
首元を飾るネクタイの色は3年生を意味する緑色だというに、綾香に彼らを敬うような姿勢はない。それどころか、固く握った拳を隠そうともしなかった。
「分からない? 彩雅姉――艸楽さんに嫉妬するのは勝手だけど、氏家さんに八つ当たりしないでって言ってんのよ」
「……やだ、あの根暗。明神さんにに泣きついたの? 本当に最低ね」
「最低なのはどっちよ。群れて臭い煙を撒き散らしてるだけのアンタ達と才能を磨き上げたあの子、比べるまでもなく最低なのはアンタ達じゃない」
正直なところを言えば、綾香の中にはある種の選民思想があった。
優秀な人間が重用されるのは当然で、そうでない者達は努力してその価値を研鑽しなければならないのだと。
だからこそ綾香達は幼い頃から誰もの期待に応え続け、条件付きで夢を追う事をようやく許された。
成績総合主席をキープし続け、その名に泥を塗らない誓い、初めてアイドル活動という夢を許されたのだ。
ようやく掴んだ夢を壊す事など、綾香に出来るはずがない。
「……あんま調子乗ってんじゃねえぞ。艸楽と藤原が居なきゃアイドル活動も出来ないくせに、ジョーカーにも勝てないくせに」
「レインメイカーの事に彼は関係ないし、それでもアタシ達はいつか必ず勝つわ。アンタ達と違って、アタシ達は立ち止まらないから」
吹きかけられるタバコ臭い息にも、振り上げられた拳にも、綾香は挑むように顔を逸らそうともしない。
目の前の男子生徒を殴り倒すのは容易いが、一方的に殴られるのは辛いかもしれない。
それでも綾香は負けない。負けられないだけの理由と衝動があるのだから。
「そうだね。ここまで来ればその猪っぷりも尊敬に……は値しないや」
聞き覚えのある少年の声に綾香は咄嗟に握った両拳を突き出し、胸倉を掴んでいた男子生徒の胸を殴ってしまう。
弾かれるように地面へと倒れこんだ男子生徒は苦しそうに蹲っているが、綾香の関心は遥か背後から聞こえてきた少年の声だけに向けられていた。
振り向いた綾香の視界に入ったのは予想通り、口角を卑しげに歪ませている不知火ユウリだった。
「お前も2年か。今年の2年は礼儀ってもんを知らねえのか」
「もちろん知ってるよ、尽くすべき相手を選ぶって事もね――ふかしてるだけでハイになれるなんて、よっぽど素敵な頭をしてるんだね」
微笑みかけるように小首を傾げたユウリは、詰め寄ってきた男子生徒の顎に軽いジャブを打ち込む。
突然の攻撃に男子生徒は痛くもないジャブに対応出来ず、思わず目を瞑ってしまった。
ユウリはその隙を見逃す事無く、男子生徒のシャツの襟を強く引き、引かれるままにバランスを崩した男子生徒の鳩尾に膝を叩き込む。
今まで経験してきたケンカとは違う暴力に、感じた事のない苦痛。身長も体格も勝っているはずの男子生徒は、呼吸もままならないまま地面に崩れ落ちた。