順従謙黙のアバンドン 1
軽自動車の後部のシートで、ユウリはエンジン音を聞きながら、ジャケットのポケットに手を入れる。
指先に感じる材質とサイズから察するに、名刺かメッセージカード。ベッドから降りた時にでも、美緒に入れられたのだろう。
逃す気はない、と。あきらめる気もない、と。目の前で艸楽の令嬢に身内扱いをされれば当然だろう。
何より、狗飼美緒は真実を言っていた。
フラッシュポイントの製造地域が、明神の途上国支援の地域はほぼ同じ。そしてユウリは紛争地帯と言い換えられるそこで、テロリスト相手に破壊工作を行っていた。必要があれば、軍や武装テロ組織から武器を盗んで。敵わないと判断すれば、顔と名を偽って潜入し国の有力者に近づいて。
そして現地で盗み出した武器の豊富さ、安定とは程遠い国の内情、過去の因縁を鑑みて思ったのだ。
全ての背景に、明神が居るのではないか、と。
「どうして、あそこに居るって分かったの?」
もしかして、とユウリはアレルギーの事を鑑みて、助手席に座らせた彩雅へと問いかける。
配下でないとはいえ、規模の大きい明神に艸楽が忠誠心を示そうとしているのか。そのための伊勢を守るためのスケープゴートを求めているのか。
麻薬の不法所持に武装した人間を集めての騒乱罪。立証されるそれらだけでも、うやむやにするために暴行犯である自分を探しに来たのではないか、と。
ありえない発想だという事は分かっている。だが斉藤泉が不起訴になっていた事実も、この軽自動車の運転手が白井ではなく、赤いメガネの女である事も、ユウリの危機感を刺激してやまない。
しかし、彩雅の返事はにわかには信じがたい物だった。
「人海戦術。お金と人をたくさん使ったの。あけすけに言うと封筒が立つくらいくらいよ。隠れるなら外国人街の六本木周辺だと思って、網を張ったのが裏目に出たわね」
「……バカなんじゃないの。俺の代わりなんていくらでも居るのに」
「居る訳ないじゃない。暮らしと立場を捨ててまで、本気であの子のために怒ってくれる人なんて」
そう言って微笑むルームミラー越しの彩雅に、ユウリは苛立ちからそっぽを向く。
命すら掛けて打った最善の一手を金で買いたたかれた。今の自分には簡単には出せない金額だと分かっていても、ユウリは不快感から、手袋が軋みを上げるほどに固く拳を握る。
暮らしと立場を捨てたのは、保身が不可能だと理解していたから。あのまま現場に残っていれば、口封じされていたかもしれない。
結局、ユウリが任務を放棄して逃げ出した事に変わりはない。その上、明神に近づこうとする第3者に助けられ、取引まで持ちかけられた事も。
「シオちゃんが言ってたのよ。ユウちゃんは何も聞かないでくれたって、何も言わせないでくれたんだって」
自分の一手を台無しにしたのは彩雅だけではなかった。パニックに陥っていた詩織に察してくれというのも酷な話であり、最初からうまくいくはずのなかった自分の無様にユウリはついに頭を抱えてしまう。
時間がないと説明もしないままスタジオを飛び出し、その挙句の美緒に助けてもらえてなければ、4人共無事ではいられなかったのだから。
美緒には明神に対するカードになると買い被られ、彩雅には詩織を守ったヒーローのように買い被られ。
それがユウリにはひどく滑稽で、ひどく情けなかった。
「だから、ワタシが全てを話すのよ。話さなかったシオちゃんも、聞こうともしなかったユウちゃんも誰も悪くない。勝手にしゃべったワタシが悪いの」
そう言って微笑んだ彩雅の顔には、いつもの笑みはなかった。




