諧謔弄しのエスケイプ 4
「アイツらに、俺の獲物に手を出したら殺す」
「怖い事を言うのね」
「美緒が、俺に怖い事を言わせたんだ」
脱力していく体を誤魔化すようにユウリは虚勢を張る。これまでも体験した状況ではあるが、今回はあまりにも相手が悪すぎる。
対象は満足させなけばいけない相手ではなく、殺しても構わない相手、あるいは、殺すべき相手。
行うのは相手に応えてやるだけの一方的なサービスではなく、自分が心から望んだ殺人。
場当たり的な戦闘が苦手なのはユウリも自覚していたが、現状はそれよりも遥かに酷い。
先に強硬手段に出たのは自分で、この場を切り抜ける切り札もない。
そしてユウリは抵抗をあきらめたように、ゆっくりと浮かせていた頭をマットレスへと下ろした。
「これは仮説なのだけど、ユウリは麻薬に関わった事があるわね。それも来日するずっと前」
「だったら、なんなのさ」
「本当に分からない?」
「今度は、そちらさんがハッキリ言いなよ」
この期に及んでもまだ試すような美緒の態度に、ユウリは苛立ちを隠しもせずに吐き捨てる。
間違いなく、ユウリは美緒にずっと試されていた。目が覚めてから、あるいは、気を失う前から。
ユウリが望むだけの答えを持っているか、それ以前に同じ空気を吸うに値する存在なのかを。
だが、ユウリには美緒がどうして自分を選んだのかが分からない。
「なら、率直に話すわ――私とユウリはとある目的から、明神から離れられない状況にある。ユウリの目的は分からないけど、私は国防の観点からもより深く明神の事を知らなければならない。しかし私は明神に近づく事すらできなくて、ユウリは自由に動くための後ろ盾が必要。そこで、私はあなたを信用したいし、あなたと協力したいと思ってるの。麻薬の知識があって、危険に対して鼻の利くあなたと」
女にここまで言わせないでちょうだいな。下手くそなウィンクをする美緒に、ユウリは怒るのも馬鹿馬鹿しくなり、深いため息をつく。
狗飼美緒は、嘘をついている。明神に近づけないという嘘だ。
現に他の誰でもない、美緒自身が無能と称した伊勢裕也が明神の接近に成功している。本当に明神に近づきたいのなら、どんな手段を使ってでも、トライトーンの内部に入って行けばいい。血の繋がりがなかろうと、麻薬をやっていたユウリを手札にするよりは確実だろう。
つまり、狗飼美緒は安全地帯から明神の内情を探りたいだけ。皮肉にも、美緒の言葉通り、同じように目的があって明神から離れられないユウリを利用して。
美緒もユウリと同じように、明神が敵かどうかを知りたいのだ。
「どうして、フラッシュポイントの捜査で明神の事を知る必要があるの?」
「フラッシュポイントの製造地域が、明神の途上国支援の地域と見事に被ったから。何か所かは"フェイスレス"とかいうテロリストだかの攻撃で潰れちゃったらしいけど」
美緒の口から洩れた聞き覚えのある名前にユウリは言葉を詰まらせてしまう。フェイスレス、つまり、来日前のユウリが周っていたのは明神の金がばらまかれた紛争地帯で、フラッシュポイントの製造工場を見つける度に燃やしていた。陳と出会ったあの場所にも、出荷前のフラッシュポイントが溢れていたのだ。
「だとしても、危ない橋を渡る理由にはならないね。俺が美緒の飼い犬になって何のメリットがあるってのさ」
「私の首輪ならユウリを守れるし、鎖が届く範囲なら自由も許してあげられる。いつまでとは決められないけれど、いずれは首輪も外すつもりよ」
「そちらさんの都合を俺に押し付けないでよ。いくら俺に後がないからって、人身御供前提の取引なんて受けてたまるか」
「ユウリが望むなら、私が最後まで面倒を見てあげてもいいけど?」
「冗談でしょ。自分の面倒も見れないくせに」
「それは、お互い様」
うりうり、と顔を突いて来る美緒の指を避けるようにユウリは身をよじる。
幸運にもフェイスレスの正体までは知られていないようだが、これ以上はもう誤魔化せない。分かっていても、ユウリは打開策を模索し続ける。退職金代わりに陳大文の情報を売ろうにも、明神をマークしていた美緒が知らないとは思えない。
ユウリが最近来日した事も、麻薬に関わっていた事も、そして左手の事も。美緒は全て知っており、ユウリには交渉を出来るだけのカードはない。それどころか、国防という単語を口にした美緒に正体がばれてしまえば、今度こそユウリはおしまいだ。
ただ1つの誤りだけを除いて。




