身の程知らずのユーサープ 5
「どうして、相談してくれなかったの?」
フローリングの床には吐き散らかされたビー玉と折れた歯、そして荒い呼吸を繰り返す伊勢裕也。
たった数分で惨状と化したスタジオのソファで、鋭い視線と共に投げ掛けられた問いかけにユウリは静かにため息をつく。シャツには返り血がこびりついており、状況は誰の目からも明らかだった。
「……俺が、ボディガードで、俺がソイツを敵だと判断したから」
「そんな事が、理由になるとでも? 伊勢が何か企んでる事くらい、アタシ達でも分かってたのに」
「分かってたら、どうなんだよ。伊勢は間違いなくレインメイカーの敵で、ボディガードとしてもマネージャーとしても見逃す訳には――」
「分かったような口を利くな!」
俯いたままのユウリの態度が癇に障ったのか、綾香はユウリの両頬に手を添えて顔を上げさせる。勝気な印象を与える綾香の目は、嘘偽りを許さないようにまっすぐ琥珀色の瞳を見つめている。
怒りなのか、失望なのか。ブラウンの瞳は、どこか涙ぐんでいるように見えた。
「ソイツはね! 認めたくないし、不愉快でしょうがないけど、仮にも身内なのよ!」
全てが合致したにユウリは体中から力が一気に抜けていくのを感じる。
ガーボロジーを仕掛けられたのは、伊勢があの家に3人が住んでいる事と台風が直撃した日に2人が居ないと知っていたから。
簡単にスタジオ内に侵入できたのは、伊勢がこのスタジオを手配していたから。
見逃されていたのは、詩織の身内だったから。
誰も教えてくれなかった。そんな言い訳などできるはずもない。そんな言い訳をしたところで、綾香達の期待を裏切ったのは自分で、情報網のなさもただの力不足。伊勢でさえ、彩雅の煙草アレルギーを知っていた。
不知火ユウリは、レインメイカーのボディガードは、事もあろうか、護衛対象の身内を殺そうとしていたのだ。
「アンタが、アンタが伊勢の動きを教えてくれれば、アタシが伊勢を潰すことも出来た! アンタがアタシとの約束を守ってくれれば、アンタだって――」
「やめなさい」
声を張り上げる綾香を制止する彩雅。ユウリはその様子をぼんやりと眺めながら、綾香の手をすり抜けるようにしてソファに体を預ける。
あの瞬間、ユウリは任務を越えて伊勢を排除しようとしていた。綾香が止めてくれなければ、本当に伊勢を殺していただろう。
その暴力に理由があったとしても、そこに理性はなかった。ユウリの行いにも正当性はない。
だからこそ、ユウリは出来るだけ言葉で事態を収拾をつけようとしていた。
情報を集める事で3人を守れると理解していたから。
理解していたはずなのに、ユウリは自分の感情を優先したのだ。
「……ごめん」
自然と口を突いた言葉にユウリは思わず、口元にシニカルな笑みを浮かべてしまう。
綾香がしようとしていた事を理解していなければ、誰かがレインメイカーと自分をはめようとしていたと思っていただろう。
しかしユウリは綾香を裏切った。与えられたチャンスにも気付けなかった。
ユウリを信用していたからこそ、綾香は授業に出ていない事を責めもしなかったのに。
「嫉妬してたんだ。金持ちで学歴があって、簡単に就職できるソイツにさ」
だってずるいじゃん、とユウリはおどけるように返り血の跳んだスーツの肩を竦める。
寝る間も惜しんでルートを練り続けた。コンディションを無視してでもスケジュールを調整した。
別に、自分の努力を認めてほしかった訳ではない。レインメイカーの活動などどうでも良いという気持ちにも変わりはない。
ただ、3人の足を引っ張ってしまった事が、悔しかった。
「ちょっと頭を冷やしてくるよ。事態の処理とかいろいろお伺いを立てなきゃいけないから、アンタらは迎えが来るまでロビーで待ってて」
「伊勢さんは大丈夫なの?」
「死ぬほど辛いだけで死にはしないよ。出来るだけ長く苦しめてやろうと思ってたから」
ユウリは降参するように両手を上げながらソファから立ち上がる。
ユウリの考えが正しければ、もう時間はない。制限時間は近く、そして切れた。
動かなければ、次に何か失うのはユウリだけはない。




