多事多難のストラグル 4
とにかく大げさに、それでいてわざとらしく。
大きく深いため息をついたユウリは、自分の背丈ほどのダストボックスに手をつく。
雨が降る前に掃除を済ませておきたいというのは分かるが、雨が降るのであれば、掃除をしたこと路で無駄なのではないか。
たとえまた汚れてしまったとしても、掃除する事が1番大事なのかもしれないが、夕暮れに染まるシェアハウスの庭はやはり広すぎた。
「何ボケッとしてんのよ」
「別に、所帯を持つならこじんまりとした家がいいって思ってね。台風の度にこんな事やらされるなんて冗談じゃない」
「わ、私も、同感、です」
濡れた落ち葉が詰められたポリ袋を軽々とダストボックスに押し込む綾香、急に会話に参加してきた詩織。共に学校ジャージに身を包む2人に、ユウリは思わず肩を竦めてしまう。
用事を後回しに出来ない性分の綾香が掃除につき合わせて来るのは想定内だったが、詩織まで箒をもって用意して待っているとは考えもしなかった。
もちろん、顔を赤くした詩織がどもりながら口走った言葉も。
「詩織、アタシ達はこれを片づけて来ちゃうから先にシャワー浴びて来なさい」
「あ、あの、私も、お手伝い、します」
「気持ちは嬉しいけど、流石に無理よ。濡れた落ち葉って本当に重いんだから」
「そうだよ。明神は特別バカ力なんだから、華奢な氏家が真似できる訳ないじゃん」
胸元で拳を握ってアピールしてくる詩織に、ユウリはダストボックスを軽く叩きながら言う。
綾香が片手に1つずつ持っていたゴミ袋はそれぞれが70リットル。飛ばされてきたビニール袋やペットボトルのような軽い物ばかりとはいえ、70リットルの袋を満たすゴミは決して軽くはない。
「……そうよ。アタシくらいのバカ力じゃないと、負けわんこをリードで振り回すことも出来ないものね」
「ハハハ、暴力反対」
「暴力でなければ分かり合えない事もあるのよ――詩織、シャワーを浴びたら彩雅姉の方を手伝ってきて」
ヒクヒクと痙攣する綾香の目元に、からかい過ぎたユウリはダストボックスを押して歩き出す。中身の重さはキャスターが軋みを上げるほどだが、綾香の拳ほどではない。自分の蒔いた種とは言え、ユウリに自殺願望などない。背中に感じる視線を気にもしない。
ユウリの憎まれ口など気にしていないのか、それとも気にしてもしょうがないと思っているのか。綾香はため息を1つついて、並んで歩きはじめる。
先ほどまでの言葉のやり取りが嘘のように2人の間に会話はない。そこにあるのは湿気交じりの生ぬるい空気と軽い足音だけ。
しかし、ユウリは不思議とそれが嫌ではなく、そして戸惑っていた。
色仕掛けが通用する相手でもなければ、それをしたいとも思えない。綾香が嫌いという訳ではなく、綾香に色仕掛けを仕掛けたくない。
"報酬"次第では、地獄へと叩き落とし、恨まれる相手だというのに。
「アンタ、詩織に手を出したの?」
「はぁ?」
「詩織がアンタの事を気にしてたのは気付いてたけど、あそこまでじゃなかったでしょ。アタシ達が居ない間に何かしたんじゃないでしょうね」
「俺ほどの美少年が珍しいってだけでしょ」
「こんな業界に居るんだから、顔がいいだけで詩織があんなに懐く訳ないじゃない。詩織を泣かしたらアンタを泣かすから」
「……そんな命知らずじゃないよ」
綾香達が居ない間。記憶がないあの日の言及にユウリは肩を竦める事しか出来ない。自分は詩織に何もしていないが、詩織が自分に何かをしていた。そんな事を言ったところで、不安定な心に付け込んで誘ったと思われてはたまらない。
「何か、言う事はないわけ?」
唐突に、それでいて堂々と。
ユウリの困惑など知らない綾香は、ようやくたどり着いた勝手口のスリットにカードキーを滑らせて、ダストボックス専用のスペースを開けながら言う。
弁解のチャンスを与えたつもりなのか、それともこれが最後通牒なのか。
綾香の真意を計りきれないユウリは、曖昧に微笑みながらダストボックスを専用のスペースに入れる。
授業や仕事では顔を合わせる事もなくなっていたが、毎日ではないにしろ、朝晩と顔を合わせていなかったわけではない。それなのに、綾香は2人きりなれる環境作って問い質してきた。
こうなってしまえば、ユウリにできる事など現状維持以外にはない。信用を回復するには、結果を出すしかない。ボディーガードとして結果を出そうにも、その状況に至って時点で失態を重ねるだけなのだから。
「最近は水道のしめ忘れもないし、特にないかな」
「……まあいいわ、何かあったら言いなさいよ。仮でもなんでも、アンタはアタシ達のマネージャーなんだから」
呆れ果てたようにため息をついて去って行く。よほど返事がお気に召さなかったのか、その足取りは何処か乱暴で、夕焼けで更に赤くなった髪は激しく揺れていた。
謝る訳にもいかず、ユウリは綾香の背中を見送り、まだ閉めていなかった専用スペースからダストボックスを引きずり出す。
専用スペースはダストボックスとほぼ同じサイズで、塀を内側に出っ張らせる形の箱型となっている。表と裏は合金制の扉がはめられており、施錠は扉を閉めるだけで行われるが、開錠は内側からカードキーの操作によってのみ作動する。朝のゴミ出しには苦労するが、セキュリティとしては完璧だ。
だからこそ、ユウリの目は表側の扉についた痕跡を捕らえていた。
バールを無理矢理差し込んだような、この家のセキュリティのレベルを甘く見ていた痕跡を。
「ガーボロジー、か」
塗装が削られた痕跡を指先でなぞりながら、ユウリは腑に落ちないと形の良い眉を顰める。
ガーボロジーは生活ゴミから対象の私生活等を読み解く探偵の技術。一見ただのゴミ漁りのように見えるかもしれないが、ただのゴミ漁りで得た情報から対象を描き出す高等技術だ。
怪しまれずに相手を知る事を目的とした技術だけに、シェアハウスのセキュリティレベルを見誤っていた事実がどうにも噛み合わない。3人の素性を知らず、お近づきになりたいと考えた誰かの犯行なら、対処に動いた陳からユウリに嫌味の電話が来ているはず。
なら、これは誰がやったのか。
ダストボックス専用スペースは区の清掃業者が触れる事から、よほど乱暴な事をしたり、中に人を入れたまま閉じたりしない限りは警報が鳴らないようになっている。
だからこそ、ユウリには理解が出来ない。
なぜ、この家が狙われたのか。
なぜ、警報が鳴る前にやめられたのか。
なぜ、逃げ切る事が出来たのか。
もしセキュリティに対しての威力偵察だとするなら、この3つの疑問に対して答えを出せる人物が関わっているという事になる。
この家にレインメイカーが住んでいる事を知り、この設備のセキュリティレベルを理解し、この時までユウリに存在を知られないようにできていた誰がが。
レインメイカーの弱みを握ろうとしていた、獅子身中の虫が居るという事になるのだから。




