見境なしのイングレーション 3
「やれない理由なんてないわ。いつだってやれるように頑張って来たんだから」
綾香にとってはそういう事なのだろうが。
理解していながらも、ユウリは苦笑いする詩織から視線を外す。
3人には悪いが、ユウリとしてはレインメイカーが解散してくれるというなら、これほど嬉しい事はない。
ライブ中にアーティストが殺された事例は過去にあり、ユウリの任務はレインメイカーの3人を守る事であって、レインメイカーの活動を存続させる事ではない。レインメイカーがなくなれば、3人はあのシェアハウスから出ていくかもしれないが、報酬さえもらえれば何の問題もない。
ふと、扉の外の気配にユウリは居住まいを正して立ち上がる。
ここは明神が所有しているビルで、明神がバックアップしているトライトーンのオフィスではあるが、ユウリの立場と任務の性質から事態を把握している者は少ない。たとえユウリがどれだけ優秀でも、テロリストがそばに居て嬉しい人間は居ないのだから。
「入るよ」
言うが早いか、ノックもなしに会議室の扉が開かれる。
薄ら笑いを浮かべる肉のついた顔、灰色のスーツを纏う腹の出た体。
見知った顔にユウリは、袖に隠していたワイヤーソーのリングから指を離した。
「藤原社長、ノックは当然のマナーかと」
「すまないね不知火君。待たせすぎてしまったから、ちょっと焦ってしまってね」
両手を合わせて詫びて来る立場上の雇用主――藤原宗吾に、ユウリは深いため息をつく。
無能という訳ではないのだろうが、どうにも信じきれない。
社会経験もない自分を問題なく働かせている実力は認めるが、彩雅の煙草アレルギーを知りながらも、注意を払っていなかった事実がユウリに猜疑心を抱かせるのだ。
「それで、今日はなぜ?」
「ああ。それなんだけど、君達もだいぶ忙しくなって来たからね。マネージャーをもう1人つける事にしたんだよ」
「……自分は、何かミスをしましたか?」
「いいや、不知火君の仕事は完璧だよ。先方にも評判はいいし、君のおかげで生まれた人脈もあるからね」
「でしたら――」
「仕事が減って不安だっていうのは分かるけど、レインメイカーは別行動になる事が多いだろう? いくら不知火君が優秀でも、3つ同時に同じ現場について行く事は出来ないじゃないか」
無様を承知で食い下がったユウリは、返す言葉もない正論に言葉を失ってしまう。
藤原が言うほどの結果を出せている気はないが、所詮は社会経験なんか一切ない子供。失敗はなくとも、不足はあってもおかしくない。
そして、藤原の手招きに応じるように1人の男が会議室に入って来た。
「伊勢裕也です。歓迎されていない事は分かっていますが、皆さんの足を引っ張らないように頑張らせていただきます」
おそらく20代中盤の東洋人。上等そうなスーツを纏う体は比較的背が高く、整っている顔は人のよさそうな笑みが浮かべている。
ユウリからすれば、ただそれだけの男にしか見えない。綾香のような剛毅さがある訳でも、彩雅のような底知れない実力がある訳でもなく、陳のような印象の薄さも感じさせない。
だというのに、傍らの詩織はユウリの袖を強く握っていた。
「詩織ちゃん」
歩み寄ってきた伊勢に、詩織は肩をビクリと震わせてユウリの背中に隠れる。
あからさまな拒否に伊勢は顔をわずかに引きつらせるも、なんとか目を合わせようとユウリ越しに詩織の顔を覗き込もうとする。
しかしダンス仕込みの詩織のフットワークは予想外に軽く、バリケードにされているユウリも伊勢もなす術もない。
やがて、伊勢はあきらめたように肩を落とした。
「父がした事は、本当に申し訳ないと思っているんだ。許して欲しいなんて簡単に言えるとも思っちゃいないよ」
だけど、と伊勢は両手を合わせて頭を下げる。
「お互いが歩み寄る事くらい出来たらいいなって、他の誰でもない自分が償えればと思ってるんだ。どうか、僕にチャンスをくれないか」
過去の行い、そして許し。
意味深な単語にユウリが内心で戸惑っていると、伊勢の肩を綾香が力強く掴んだ。
「それなら、まずはアタシ達についてもらおうかしら」
「え、明神様と艸楽様にですか?」
「ええ。明日から撮影とイベントが続くし、ちょうどいいんじゃないかしら。働きで誠意を示すなんてよくある話でしょう?」
戸惑う伊勢をよそに、綾香と彩雅は頷き合う。
伊勢という名字。詩織への執着。明神と艸楽という家に対する適切な理解。
2人はその意味を正確に理解しているのだから。
「ですが、自分のような新入りにそんな事が出来るのでしょうか」
「不知火さんには出来たわよ。それとも――明神と艸楽では、あなたを使うのに不足かしら?」
「……滅相もございません」
彩雅の言葉に伊勢は、背後に詩織を隠したままのユウリへと振り返る。責任の重大さに困惑しているのか、表情はどこか引きつっていた。
「不知火さん、未熟者でご迷惑をおかけするかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします」
「いえ、こちらこ――」
「調子に乗るなよ、クソ野郎」
差し出された手を握るなり、微かにささやかれた言葉にユウリは小さくため息をつく。
どうせ、いつかはこうなるだろうとは思っていた。
背中に隠した詩織の姿は、いつかサロンで見たものと同じだったのだから。




