見当違いのサルヴェージ 4
ガチャリと閉められた重厚な金属製のドア、カチリと点けられた時代遅れの蛍光灯。
照らし出された角材などを横目に、ユウリは自分を含めたありとあらゆる物に神経を張り巡らせる。
楽屋に用意されていたレモンケーキ。1度開封された痕跡があった彩雅の好物からは、微かにニコチンの香りがしていた。
関係者、それも家族を除けばレインメイカーとユウリしか知らないはずの彩雅にとっての毒。それを知っている可能性があったのは、ここに居てはならない人物だった。
「いろいろ聴きたい事はあるけど、どうしてアンタがここに居るのさ――斉藤泉」
ユウリが振り返りながら口にしたのは、かつて彩雅に刃を向け、投獄されているはずの女の名前。
アレルギーに対する危機感の薄さからか、それともアレルギーを隠す事すら彩雅が利用していたのかはユウリには分からない。だが自分と彩雅の会話を盗聴し、彩雅がタバコアレルギーである事を知っていながら外装とする他の人物は思い当たらなかった。
「気安く人の名前を呼ばないでくださいよぉ、虫唾が走るじゃないですかぁ」
唯一の入り口である扉を背にする女――斉藤泉に、ユウリはバカバカしいと肩を竦める。
見覚えのあるペールカラーのスーツを着込んだ泉は、どう見てもカタギには見えないブラックスーツの男を2人引き連れており、自分達に対する敵意は疑いようもない。香水と煙草以外の臭いも混じらせた臭いをまき散らし、ユウリはその不愉快さから顔を顰めた。
しかし勝利を確信するように笑みを張り付けた顔には隈が浮かび、亜麻色に染められていたショートカットの髪は好き放題伸ばされ、根元には地毛の黒が顔を出し、毛先は乾燥しきっていた。
「俺を先に狙うっていうのは正解だと思うけど、利口とは言えないね。アンタみたいなクズになにが出来るって言うんだ。どうしてかは分からないけど、自由になれたんならどっかに逃げちゃえば良かったのに」
スラックスのポケットに両手を入れて、ユウリは威嚇するように口角を歪めて犬歯を露わにする。
楽屋で泉を無力化したあの後、泉は確かに警察に連れて行かれたはず。
だが事実として泉はユウリを殺すための戦力をそろえて再び現れていた。ユウリが普通のマネージャーではないと理解しているというのに。
「うっさいんですよぉ、クソナマイキな低学歴が」
「うっさいじゃないよ。愛しい愛しい艸楽に毒を盛ったクズの癖にさ」
「そんなの、ちょっとしたお仕置きですかぁ。彩雅さんも結局子供ですからねぇ、私みたいな大人がしっかりと見てあげなきゃいけないんですぅ」
嘲笑うような笑みを浮かべていたユウリは、泉の間延びする言葉に顔を不愉快そうに歪める。
ただでさえ、タバコは数本食べるだけで死に至る猛毒。それを盛られた相手がタバコアレルギーの彩雅となれば、ちょっとしたお仕置きでは済まされない。
そんな醜くもは半端な殺意を前にして、ユウリは感情が冷めていくのを感じていた。
「殺しときゃ、良かったのかな」
ポツリと呟かれたユウリの言葉に、今度は泉と引き連れられた男達が酷薄な笑みを浮かべる。
確かに泉はユウリに敗北している。だがそれはあくまで非戦闘員である泉が、ユウリの不意打ちによって敗北しただけ。男としては華奢なユウリに対して、"用意された"戦力を誇示している現状とは違うのだ。
「何言ってるんですかぁ、死ぬのはあなたですよぉ。彩雅さんに纏わり付く害虫がぁ」
「ほざくなよ。お優しい艸楽にも見捨てられた負け犬が」
余裕に満ちた言葉を紡ぐ泉に、ユウリはポケットに入れていた左手を勢い良く振り抜く。咄嗟にブラックスーツの男達は顔を守るように腕を交差させるが、ユウリの言葉で頭に血が昇っていた泉は反応が遅れてしまう。
そしてバックスペース内には、声にならない悲鳴と硬質で鈍い音が支配する。
ファンデーションを雑に塗られた肌に突き刺さり、上顎骨を砕いたのは透明なビー玉。黒革の手袋を嵌めた手からは放たれたのは、金属探知機にも引っ掛からないユウリの武器だった。
想像を絶する苦痛に泉の体が床に崩れ落ちたのを切っ掛けに、ユウリは足元の角材の端を踏みつけ、ブラックスーツの男達が飛び出す。
宙空に跳ね上げられた角材を掴むなり、ユウリは角材の重量に身を任せるように正面に飛び出してきた男を殴りつける。決して豪腕とは言い難いユウリの打撃ではあるが、不意打ちである事が功を奏してか、サングラスを掛けている顔に叩きつけられて崩れ落ちる。
予感と予測から、角材を手放したユウリは膝を床に打ち付ける男の顔を蹴り飛ばして背後へと飛び退く。その判断が正しかった事を裏付けるように、その瞬間までユウリが居た場所には屈強な肉体の右ストレートが繰り出されていた。
しかし2人目の男はそれすらも織り込み済みであるように、左フックを繰り出そうとする。
ユウリは素早くスーツの右袖に入れた黒革の手袋を纏う人差し指を一気に引き抜く。
時代遅れの蛍光灯に照らされたのは漆黒の糸。樹脂製の組紐とチタン製のリングで作られたワイヤーソーだった。
自分の脇腹を抉ろうとする拳を半身になる事で避け、ユウリは男の振り抜かれた左手首にワイヤーを掛けて一気に締め上げる。ワイヤーの鋭角な起伏は男の肌を突き刺し、男がもがく度にその肌を切り裂いていく。
逃れる事を諦めた男は自由な右拳でユウリを殴ろうとするが、ユウリは男の左腕を封じたワイヤーを引き寄せる事で重心をずらさせて膝裏に回し蹴りを入れる。
乱暴にバランスを崩された男は膝から床に崩れ落ち、ユウリはその後頭部に膝を叩き込む。障害すら残りかねない暴行に男の脳はグラリと揺らされ、その勢いのまま額から地面に倒れていく。
男が動かなくなった事を確認したユウリは、右手の人差し指をワイヤーソーのリングから抜いて男の左腕をワイヤーから解放する。
舐められていたおかげだろうか、とユウリは張り詰めた緊張を解きほぐすように深呼吸をする。
数え切れない人数を殺してきたテロリスト、そんなユウリの正体が露見していれば話は違ったかもしれない。だが決してスマートとは言えない楽屋での襲撃が幸運を呼んだのか、泉はユウリを"ケンカが強いだけのマネージャー"と考えていた。
しかし、これからはそうもいかない。
襲撃の失敗はレインメイカーを疎ましく思っている者達に筒抜けとなるはず。
現に襲撃者の余裕のなさを表すように、ビー玉と共に床に転がっているはずの角材が見当たらないのだから。
「これで分かったでしょ。アンタみたいな負け犬には何も出来やしないんだって」
咄嗟にしゃがんで頭上でワイヤーを張って、背後から振り下ろされた角材を受け止めたユウリは、そのまま背後に飛ぶようにして不意打ちの仕手に背中からぶつかる。
無様にも床に転げたユウリは、押し倒した襲撃者の方も見ずに肘を叩き込む。
肘には肉と骨を打った感触、背後からは激痛から呑まれた息。それらを感じながらユウリは素早く立ち上がり、角材を遠くへと苛立たしげに蹴り飛ばす。
無力化させた経験も、頭蓋の1部を損傷させた自信もあった。とはいえ、ユウリは予想外の1撃を許してしまった。暴力の対象が3人でなかっただけ。
それは泉の困窮極まった状況を裏づけ、ユウリの油断をしてしまった事は間違いないのだ。
「アンタの目的が俺を殺して艸楽を手に入れる事だって事は分かってる。でも1つだけ分からないんだ。アンタの件に関して介入したのは誰なのかさ」
「……言う訳ぇ、ないじゃないですかぁ」
「いい加減に利口になりなよ。あの時アンタを殺さなかったのは艸楽が居たからだって分かってんでしょ――アイツらの邪魔をするなら、マジで殺すぞ」
そう言ってユウリは泉の両腕を踏みつけて、その細い首にワイヤーソーを巻きつける。
文字通り生殺与奪を握られた状況。煙草でも香水でもない、不愉快な香りに苛立つユウリによって。
だというのに、青黒い暴力の痕跡を顔に浮かべながら泉は笑みを張り付けた。
「絶対に、言いませんよぉ。後悔すればいんですぅ。あなたもぉ、彩雅さんもぉッ!」
「そっか――なら、もういいや」
仕方ないとばかりにため息をついたユウリは、ワイヤーソーのリングを掴み両手を躊躇いなく引いた。
不要な花を手折るように。美しいものとそうでないものを選別するように。




