ないものねだりのストレンジ 1
あれだけ眠れないと言っていたくせに。
リビングから玄関へと続くフローリングの廊下、その途中にある部屋へと綾香が進んでいく。その足取りはどこか荒々しく、朝の爽やかな空気には合いそうにはないものだった。
時刻は午前11時過ぎ、電子ロックが自動で解かれる時間はとうに過ぎている。だというのにユウリが起きて来ないのだ。
眠れるようになったのはいいことだ。3人と共に向かった現場でユウリはボディガードとは別に、慣れないマネージャーとしての仕事を頑張っていたのは知っている。だがユウリの卑屈な精神を変えるには規則正しい生活こそが必要だと考えている綾香には、このまま惰眠を貪らせてやる気などサラサラなかった。
「いつまで寝てんのよ、彩雅姉が作ってくれたブランチが冷めちゃうじゃないの!」
合金でも仕込まれているのか、重い感触の扉を叩きながら綾香は声を張り上げる。
しかし中からは返事が聞こえる様子はなく、電子ロックが解除されている事を知っている綾香は無遠慮に扉を開く。
高い位置にある窓は日光を差し込ませ、申し訳程度に置かれた机には彩雅の注釈つきの教科書と課題が広げられ、パイプベッドの毛布は主を匿うように膨らんでいた。
「……いい度胸じゃない」
かつてないほど低くドスの利いた低い声で言いながらながら、綾香はゆっくりと毛布に手を掛ける。
こうしている間にも彩雅が作ってくれたエッグベネディクトは冷め、それに伴い綾香は早食いを余儀なくされ、女子力の低下を招いてしまう。そもそも早食いの時点で女性らしさなどあってないものなのだが、頭に血が昇った綾香には彩雅に注意されるまでその事が分からないでいた。
「いい加減に、起きなさい!」
再度声を張り上げた綾香は毛布を力ずくで引き剥がし、そこに広がっている光景に思わず言葉を失ってしまう。
未だに目を閉じたままの整った顔、オーバーサイズな黒のスウェット。
それだけなら怒るだけで驚いたりはしない。問題はそこにある見覚えのない色だった。
未だ目を閉じた少年の髪が、見覚えのある黒と見た事もないブロンドのツートンだったのだ。
「さ、彩雅姉ェッ! ユウリがグレたァッ!」
「朝からうるさいし、人を名前で呼び捨てにすんなし」
リビングまで届かせる事を想定したのか、これまで以上の音量の声にユウリがついに起きる。
決して良いとは言えない起こされ方をしたせいか、端正な顔立ちは不愉快そうに歪み、さりげなく手袋を嵌めた左手は乱暴に生え際の辺りが金色の髪を乱暴にかきあげていた。
「あ、アンタ、そんなに課題に悩んでたの!? それとも誰かに何かされたわけ!?」
「違うから、近いから、うざいから」
オーバーサイズなスウェットの肩辺りを掴み、唾を飛ばしながら問い掛けてくる綾香をユウリはやんわりと引き剥がす。学校もなければ3人の仕事もない貴重な日曜日、いつまでも寝ていられると期待していたユウリには、寝起きに綾香の相手をするのは夜通しの哨戒よりもずっと辛く感じられた。
決して歌では使われないだろう綾香の声の音圧は強く、ユウリが僅かな目眩を感じるほどだったのだ。
「あ、あの、金もお似合い、だと思います」
「突然で意味もわかんないけどありがとう」
いつ間にか部屋に入っていた詩織に口先だけの礼を言い、ユウリは限りなく面倒な状況にただただ頭を抱える。
あれだけ強く猜疑心を持っていた綾香はユウリの髪色にただただ狼狽し、紅潮する顔を長めの前髪で隠した詩織は胸の前で手を組んでもじもじとしている。
紛争地帯でも見た事のないその光景はある種の地獄のようであり、ユウリは助けを求めるように廊下から状況を静観していた彩雅に視線を向ける。
ニコニコと楽しそうに意地の悪い笑みを浮かべていた彩雅は、ユウリの限界を感じたのか、綾香の早食い癖を危惧したのか、ユウリに助け舟を出してやる事にした。
「ユウちゃん、地毛はブロンドだったのね」
「……え?」
ストレスからの頭髪の変色なのだろうか。ストレスの原因は先日庭園で相対した彼らなのだろうか。この休日を使ってでもぶっ飛ばしに行くべきだろうか。
そんなところまで考えていた綾香の声はとても間抜けで、そんな綾香に諭されたのかと思うと、ユウリの目頭は情けなさから自然と熱くなっていた。




