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レインメイカー  作者: J.Doe
クラウディ・サンデー
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乾坤一擲のパーミング 3

「アンタ、どうしたのよ」


 天窓から夕日を差し込ませるサロンで、椅子にぐったりと腰を掛ける少年に綾香は問い掛ける。

 事の始まりはこの日最後の授業であり、担任の(アララギ)が受け持つ授業でもある数学だった。

 昨日与えられた課題も終わっていないユウリに、授業中呆けてられるほどの無謀さはなく、分からないなりにテキストの問題に向き合っていた。

 そのおかげかユウリは蘭に注意される事もなく、授業を終える事を出来た。


 だというのに蘭は授業後に咎めるような視線をユウリに向け、課題に提出期限は設けていないという言葉を残して教室を後にしていた。

 その光景を自分の席から見ていた綾香は、蘭の言葉がずっと引っ掛かっていたのだ。


「どうしたってのよ。朝には居なくなってたし、彩雅姉も詩織も心配してたんだから」

「別に、アイドルのそばに男が居たらトラブルになるって思ってさ。それより、朝6時になるとロックが自動的に解除される事くらいは教えておいて欲しかったんだけど」

「そんなの知らなかったし、女みたいな顔して何言ってんのよ」


 返された無慈悲な言葉に表情を凍りつかせるユウリの顔に、綾香はどこか見覚えのある質感を感じる。具体的に言うのなら目の下。元々の浅黒く焼けた肌とは僅かに違う、化粧の乗りが悪いと嘆いていたクラスメイトの顔にも似た整えられたような質感。

 違和感に気付いた綾香は居ても立っても居られず、ユウリの細い顎を正面から掴んで顔を上げさせる。


「アンタ、コンシーラー塗ってるわね。場所を考えると、隠してるのは隈かしら」


 追求とその無遠慮な手からユウリは逃れようともがくが、思いの外強い綾香の握力はそれを許さず、やや吊り上がり気味の目は琥珀色の瞳の下を覗き込んでいた。


「寝ないで課題やってたの?」

「そんなに俺が真面目そうに見える?」

「真面目そうには見えないけど、無駄な苦労を背負いたがるようにも見えないわ」


 証拠を抑える事で相手の動きを封じるいやらしさを持つ反面で、3人のために暴力という効果的な手段に訴えられるボディガード。そんなユウリが無意味に夜を明かすとは綾香には思えなかったのだ。

 勘が鋭いのか、それともただの当てずっぽうだったのか。分かりかねる綾香の言葉に、ユウリは観念したように口を開いた。


「……寝れなかったんだ」

「もしかして、部屋に何か仕掛けられてたの?」


 怪訝そうに顔を歪める綾香に、ユウリはそうじゃないと首を横に振る。


「ダメなんだ。閉じ込められる感覚が、自分がどういう人間か見せ付けられるみたいで」


 自嘲するように微笑んで、ユウリは力の抜けた綾香の手を取る。

 手袋で隠した醜くく汚れた自分の手とは違う、美しくも足掻く事を知っている綾香の手。

 それは何よりも、3人とユウリの世界を分かつようだった。


 今この瞬間にも脳裏でフラッシュバックしているのだ。


 家畜のように入れられた鉄格子の冷たさが、値踏みするように向けられた視線が、手袋に閉じ込めた過去が。


「俺はろくな教育も受けちゃいないし、平気で人を利用するようなクズだけど、アンタらに嫌な思いをさせたいわけじゃない。だから無理に俺に構う必要はないんだよ。金が入ればすぐにでも近くの家に移るし、車を用意してくれるのならそれだけでいい」


 陳が恐れている敵も、彩雅がリスクを冒してでも自分を近くに置く理由も分からない。

 だからこそ、ユウリは3人のとっての害悪になる訳にはいかない。

 生まれのせいで危機に晒されている3人を利用しているのは、紛れもなく自分なのだから。

 しかしユウリがゆっくりと離した手は、間髪入れずにユウリの頭部をバスケットボールのように掴んで、視線を溌剌とした美しさを湛える顔に釘付けとさせた。


「いつ、誰がアンタの事を迷惑だなんて言ったの?」

「いや、そうじゃないけど――」

「なら、アタシ達を言い訳にしないで」


 安心させるように、それでいて自嘲するように浮かべられたユウリの微笑みに、綾香はどこか怒気を孕ませた言葉を紡ぐ。

 ユウリがフラッシュバックする記憶に苦しんでいるように、綾香もただただ気に入らないのだ。

 諦めたような色を写す琥珀色の瞳が。整った顔に張り付けられた希薄な微笑が。分かり合う事すらしないその姿勢が。

 明神家とその他の家の違いなど、綾香はとっくの昔に理解している。理解しているからこそ、綾香も言うべき事を口にしなければならない。


「確かにアンタを日本に連れて来たのは陳よ。だけど、アタシが決めたの。他の誰でもなく、アタシ達がアンタを受け入れたの」


 穏やかな声色で本心から詫びた綾香は、険しくなっていた表情を自然とやわらかな微笑みに変える。


 仕方がないから、アタシが教えてあげる。


 あの時遮られてしまった言葉は紛れもなくそれで、この瞬間も綾香がユウリを下に見ているのは紛れもない事実。

 人と人の間には有形無形の壁があり、綾香はどう足掻こうともそれを退ける事が出来なかったのだ。

 だからこそ同じ夢を見てくれた2人は綾香にとって大切な存在であり、詩織の心を守り、彩雅が認めた数少ないユウリには感謝している。

 感謝しているからこそ、綾香はユウリにより近くに来て欲しいと思っていた。


「アンタが言ってたように、任務次第で学歴は最高の物が手に入る。血や家に思うところがあるなら、それに負けないプライドを持ちなさい。もしアンタをバカにする奴が居るなら、将来ソイツの目を見て言ってやればいいのよ。ざまあみろって。少なくとも、この明神綾香がアンタを監視し(みて)てあげるから」


 なんて薄っぺらい言葉なのだろう。

 自分の行いと立場から綾香はそう思うも、ユウリの鞄からはみ出している何度も消しゴムで消した後があるプリントに自然と顔が穏やかな微笑みを象っていく。


 だからなのだろうか。


 綾香が自然とユウリの隣に腰を下ろし、顔から離した手でやんわりと自分の膝にその頭を導いたのは。


「でも、今は少しだけ休んで――ユウリ」


 どこか硬質な黒髪を指で梳きながら、綾香はゆっくり目が閉じられていく様を見守っていた。

 サロンの窓から覗き込む面白そうだといわんばかりの視線と、どこか複雑そうな黒髪越しの視線にも気付かずに。

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