勉強不足のペナルティ 4
「いろいろな事は1度置いておくとして、今すぐ聞かせて欲しい事があるのだけど。ユウちゃんはどこで――いや、どうやって泊まってるわけ?」
「質問の意味がわかんないな」
完璧な笑みを張り付ける彩雅に、ユウリも作り笑いを浮かべて答える。
手を重ねられただけで、その手には武器もないにも持たれていない。だというのに人を絆させるための完璧な微笑からは威圧するような雰囲気が感じられ、ユウリの背には冷たい汗が背筋を伝っていた。
「どこから見てるのかは分からないけど、車まで見守ってくれてるのは知ってる。身奇麗なところを見るに、シャワーなどが使える環境で寝泊りしてるというのも――だけど、星霜学園の目立ってしょうがない制服じゃホテルにも入れない。となれば、不法な手段を使っているように思うのも当然よね」
「何それ。星霜学園に忍び込んでるとか、服を調達してるとか思わないの?」
「毎日その辺を歩いていて違和感を持たれないほど服は用意できないでしょう。それに、ピアスを盗まれるのを恐れてるユウちゃんが出来るって理由だけでリスクを犯すとも、自分の荷物を他の人や他の場所にものを預ける事なんてするとも思えないわ。そして最低限の私物を鞄に詰め込んでるから、教科書を学校に置いて来ざるを得なかったはずよ――さあ、正直に言いなさい」
手を払う事も、真っ直ぐ向けられた人目から逃れる事も出来ず、ユウリは表情が凍り付いていくのを感じる。
2人の妹分達のためにユウリを試し、紛争地帯から来た過去に臆しもしない彩雅。そんな女傑の追及を逃れる方法など、交渉ごとを得意していないユウリに思いつけるはずもなかった。
「……テキトウな女の人に泊めてもらってる」
観念したように紡がれた答えに3人の時間が止まる。
一流企業の社長令嬢である自分達のボディガードが、援助交際をして毎日の寝床を探している。
その予想外の境遇に綾香は一気に無表情となり、詩織は顔を真っ赤にして口をパクパクとさせ、彩雅はついに完璧な微笑を凍りつかせていた。
「は、はあ!? アンタ、自分が何やってるか分かってんの!?」
「心配しなくても病気は持ってないし、俺の存在がアンタらに迷惑を掛ける事はないよ。未成年と寝てるなんてバレたらヤバイのは向こうだしね」
愚直な性質からか、一足先に会話に復帰した綾香にユウリは肩を竦める。
最低限の物資と資金を与えられてはいるが、資金のほとんどが護衛に必要な物資に消え、住居の保証人になってくれるような人間もいない。
倫理的に間違っていたと理解していても、ユウリには他に取れる手段はなかった。
だというのに、彩雅の華奢な手はユウリの手をを突き放すでもなく、ただただ握っていた。
「……アヤちゃんとシオは今晩のご飯の用意をお願い」
「え、今日は彩雅姉がビーフシチュー作ってくれるんじゃないの――ってそれどころの話じゃなくて!」
「それは明日ちゃんと作ってあげるから、今日はシオちゃんの料理を見てあげてちょうだい」
もはや日常に戻りつつある綾香に、軽く頭を下げて詫びた彩雅はユウリへと向き直る。
「ユウちゃんはお姉ちゃんと空き部屋の掃除するわよ」
「いや、今夜の約束をもう取り付けてあ――」
ユウリはそう言って慌てて手を振り払うも、彩雅はこれ以上の抵抗を許さないように華奢な手で浅黒い肌の頬を包み込む。
男女の体温差からか生まれたどこひんやりとした温もりと、覗き込んでくる目にユウリは困惑したように黙り込んでしまう。
脅迫を主体としていない強制力は、紛争地帯で生きていたユウリにはあまりにも異質なものだったのだ。
「言う通りになさい。あなたには下されるべき辞令が下されていないことが分かったわ」
「下されるべき辞令?」
「ええ。ワタシ達が共同で生活している住居への逗留、およびプライベートタイムの護衛よ」
「……聞いてない、って言い訳も出来ない訳だ」
戸惑いつつも彩雅を信じて黙っている2人を横目に見ながら、ユウリは合点がいったとばかりに嘆息を漏らす。
綾香が"近づくな"と言ってきたのは、素行の悪そうなユウリから2人を遠ざけるため。
詩織が怯えながらもユウリとの対話を望んだのは、少しでも粗野な見た目のボディガードを知るため。
彩雅が身の危険を覚悟してユウリを試したのは、本人の言葉通り2人を守れるかを試すため。
自分という不穏分子との同居を知ってしまえば、3人の態度や行動を理解することは出来る。
だが、陳が護衛対象達との同居を隠していた事がユウリには理解出来ない。
それでも、陳が恐れている敵を撃退するまで、"報酬"が与えられない事は確かに理解出来た。
「そういう事になるわね。レインメイカーおよび、あの家の責任者として許可するから、もうそんな事はやめなさい」
「やめてどうするのさ。俺みたいな紛争地帯帰りの奴と可愛い妹分達と一緒に住ませるって?」
「見くびらないでちょうだい。あなたは、ユウちゃんはあの子達とワタシが信じた子なんだから」
どうかしてる、とユウリは情けなく眉尻を下げる。
ボディガードが近くに居る事で安全性を高めたいのは分かるが、他のリスクを考えた上で無視しているような彩雅にユウリは呆れてしまっていた。
情だけで人を繋げるのなら、不知火ユウリなどという少年は存在しなかったのだから。
それでも見慣れたものとは違う微笑みは優しげで、手札として利用される事もユウリには不思議と嫌ではなかった。




