勉強不足のペナルティ 3
「ゴメン、教科書は全部ロッカーに置いて来たんだよね」
「……やっぱり、アタシがやるしか――」
「だ、だからゴメンって!」
拳を握りしめる綾香にユウリは両手を合わせて詫びる。
星霜学園指定の鞄は革製のブリーフケースか、比較的小さめなボストンバッグのみ。そしてユウリの足元に置かれているのは、帰宅部の人間が使う事などほとんど無いボストンバッグ。それなのに、教科書は一切ないという。首席を維持し続けるために中学の3年間を勉強に注いだ綾香には信じられなった。
「あ、あの、よろしければ」
「ありがとね」
ユウリは詩織がテーブルに置いたグラスを口に運ぶ。シンプルなグラスを満たす紅茶は上等なものなのか、口内に広がるフルーティな香りと甘みは上品に感じられた。
「お口に、合いましたか?」
「うん。こういうのって缶とか売ってないのかな?」
「売ってる訳ないでしょ。詩織が毎朝淹れてサロンの冷蔵庫に淹れておいてくれるんだから――最近は、子供舌の誰かのせいでフルーツティーばかりだけど」
「え、何で?」
どこか意地の悪い笑みを浮かべる綾香の言葉とどこか楽しげな彩雅の微笑みにユウリは首を傾げる。
護衛として全員がどこで何をしてるかをある程度把握はしているが、わざわざサロンにまでついて来たことはない。それどころか、サロンに来たのはこれが2度目。ユウリが紅茶をごちそうになる可能性すらなかった。
「あ、あの、別に何か思ってた訳じゃなくて、甘いものが好きって可愛いなとか、趣味が合って嬉しいというか、来てくれたら嬉し――」
「分かったから、よく分かんないけど分かったから」
それ以上は何も言わないで、とユウリは普段よりも口数の多い護衛対象に肩を落とす。
対人恐怖症気味で会話もどもりがちな詩織。だというのに言い訳染みた本音の暴露だけは、しっかりとユウリの胸中を踏み荒らしていた。ユウリの中にある"男らしさ"に子供っぽい舌という項目などない。これ以上詩織の言葉を聞く事はユウリにとって苦行でしかなかった。
「そもそも、最初からピアスなんてしてなきゃこんな事にならなかったんじゃない」
そう言いながら綾香はユウリの胸元、手首、指、と視線を這わせる。両耳のピアスと左手の手袋を除けば装飾品はなく、ピアスさえ外せば担任である蘭に怒られることもない。
綾香と彩雅の明るめの地毛の色も、詩織の青いヘアバンドも注意された事はなかった。
「だってさ、いちいち着けたり外したりするのも面倒だし、ピアスって外すと穴が埋まっちゃうじゃん。それに盗られたらやだし」
「誰も人が着けてたピアスなんて盗りゃしないわよ」
「俺みたいに目立つ美少年だとそうはいかないんだよ。こんな場所を作ってもらったアンタらなら分かるでしょ?」
そう言って大仰に両腕を広げるユウリに、綾香は返す言葉もなく、肩を竦める。
家の力に頼るのは極力避けたかったが、家が所有している学園に通っている時点でその影響から逃れる事は出来ない。成績などで便宜を図られる事はないが、専用のサロンは間違いなく特例的処置の賜物なのだから。
「でも、実際多いわね。左4つで右2つもなんて。何か意味でもあるのかしら」
「別に。俺みたいな美少年は何やっても似合うからってだけだよ――そんな事より、そろそろ迎えが来る時間なんじゃない?」
どこかきつい視線と髪を勝手にかきわける彩雅の手を払いながら、ユウリは時計を顎でしゃくる。
時刻は17時前。用事のない生徒はもう学校に残っていない時間だ。
「そうは言うけど、課題はどうするのよ?」
「そちらさんを車まで送ったら教室に行って教科書を取ってくる。頑張ってはみるし、最悪できなくても2年生は出来るでしょ」
だからさっさと帰り支度を始めて、と言外に付け足してユウリはテーブルに広げたプリント纏め始める。
今回は綾香の恩情に縋る形にはなったが、陳は依頼人の娘の時間を奪っているユウリを許すかは分からない。精々ユウリが出来る事といえば、すみやかに3人を帰す事くらいだった。
だというのに、荷物を纏めるユウリの手を彩雅の華奢な手が握るようにして止めていた。




