華麗奔放のラショナリスト 5
「彩雅さん、いらっしゃいますよねぇ」
「はい、ちょっと待ってくださいね」
扉の向こうから聞こえる泉の声に、彩雅はシャツのボタンに掛けていた手を止めて扉の鍵を開ける。
同じ女として準備に時間が掛かるのは分かって欲しいが、コールバックもせずにユウリと会話をしていたのも事実。
これ以上待たせる訳にはいかない彩雅は扉を開けて泉を迎え入れた。
「すいません、お待たせしちゃいましたか?」
「いいえぇ、待ちきれなくて来ちゃっただけですよぉ」
後ろ手に扉を閉めて鍵を掛けて、控え室のあちこちへ視線を向ける泉に彩雅は困惑する。
どうにもその視線が、ハンガーに掛けた自分の制服に向けられている気がしてならないのだ。
「それよりぃ、周りの人間はしっかり選ばないとダメじゃないですかぁ」
「何のことかしら」
「あのマネージャー、可愛い見た目に反して随分生意気な口利いてたじゃないですかぁ。彩雅さんが優しいのは知ってますけどぉ、ああいうのは悪影響にしかなりませんよぉ?」
めっ、と人差し指を立てる泉に、彩雅は完璧な微笑を浮かべる事で背筋に走る怖気を誤魔化す。
泉というディレクターと知り合ったのは最近の事ではない。泉が口説き落としてくれたブランドも1つや2つではない。
だというのに、見知っているはずの女が彩雅には異質な存在に感じられた。
何故なら、泉がユウリの素の口調を知っているはずがないのだから。
「盗み聞き、してましたね?」
「彩雅さんを守るためですよぉ。彩雅さんはもうちょっと自分の魅力を理解すべきですぅ。男と密室で2人きりなんてもってのほかですよぉ」
「……それくらい分かっていますし、泉さんに何かしていただく必要もありません」
「そんな、水臭いじゃないですかぁ。親友の事を思いやるのは当然でしょぉ。今までだってずっと忠告してたのにぃ、1人で抱え込んでばかりでしたしぃ。やっぱり彩雅さんは優しすぎますよぉ。その優しさに付けこまれてるのぉ、分かってますぅ?」
そう言って心配そうに眉を顰める泉に、彩雅はハッキリと理解した不快感から言葉を失ってしまう。
執着というには生温い妄執、泉を突き動かしているのは紛れもない憑執だった。
「あのがさつな女と地味子なんて捨ててぇ、彩雅さんのソロでやっていきましょうよぉ。あんなクソ生意気なマネージャーなんか居なくてもぉ、私がしっかり営業もマネジメントもこなしますからぁ」
黙り込んだ彩雅の様子に何を勘違いしたのか、泉は満面の笑みを浮かべて任せろとばかりに胸を叩く。
艸楽彩雅という唯一無二の才能を持ってすれば、あらゆるメディアの関心を独占するのは容易いと泉は確信を持っていた。
それこそ、ジョーカーのようなトップアイドルでなければ、対抗する事も出来ないだろう、と。
事実、彩雅は小林の言っていたようにブランドからの評判は良く、作曲した曲はデビューシングルだというのにチャート上位を記録している。その結果は彩雅の才能は疑いようもなく本物だと証明していた。
だというのに、彩雅はその美しい顔を歪めていた。
「……ごめんなさい」
「いいんですよぉ、間違いは誰にでもありますぅ。これから2人で――」
「あなたに勘違いさせてしまって、ごめんなさい」
悔恨するように、それでいて聞き逃す事がないように紡がれた彩雅の言葉に、泉は笑みを凍りつかせる。
親友同士なのだから謝る必要はない。心の中でそう思うも、泉はその言葉を口にできなかった。
どこか悲しげで、それでいて失望したように歪められた美しい顔。
彩雅が泉に困惑したように、泉もそんな彩雅を知らなかった。
「モデル業が本気じゃなかったなんて言わないけれど、全てはレインメイカー、ワタシ達の夢のための布石。ワタシにはあの子達が必要で、ワタシ1人で叶えた夢に価値なんてないの」
「な、何言ってるんですかぁ。私と彩雅さんは名前で呼び合う仲でぇ、モデルは2人で築いてきた絆じゃないですかぁ!?」
「だから、ごめんなさい――ワタシは"泉"という名前を苗字だと思って呼んでいたの」
ようやく彩雅の言葉を理解出来たのか、女――斉藤泉は言葉を失ってしまう。
スタジオ内の喫煙を注意もせず、彩雅の背後に居る人物達を理解した上でいい加減な仕事をしている会社。挙句、小林以外の誰もが名刺を渡そうとすらしなかった。そんな会社が1流企業の党首候補1位で、明神に関係する全ての人間達に無類の信用を置かれている彩雅の特別になれるはずがない。
彩雅の人を惹きつける魅力に犯された泉には、そんな事を考える事も出来なかったのだ。
「……あのクソ生意気なマネージャーに何か言われたんですかぁ? それともあのつまんないガキ共が彩雅さんを騙したんですかぁ? 大丈夫ですよぉ、私は彩雅さんを裏切りませんしぃ、あいつらから彩雅さんを守ってみせますからぁ」
泉のなんとか浮かべた引きつった笑みとその言葉に、彩雅はやるせなさを嘆くように首を横に振る。
「何度でも言ってあげる。レインメイカーはワタシ達の夢 。それに、ワタシの可愛い妹分達をバカにする人なんて、ワタシの世界には要らないの 」
「そんなの、そんなの嘘ですよォッ! 私と彩雅さんの絆は切っても切れないもんじゃないですかぁ!」
突き放すような彩雅の態度に泉は声を張り上げ、震え出した手をジャケットの内ポケットへと入れる。
立場ゆえの努力も、そのために生まれた強者ゆえの孤独も理解している。理解しているからこそ、彩雅には傍らに寄り添う理解者が必要だと泉は考えていた。
家柄があって成り立つ明神綾香と氏家詩織とは違い、直接彩雅の力になれる自分こそが、と。
だというのに内ポケットから抜き出されたナイフは、彩雅を守る為に用意していた刃は守るべき対象に向けられていた。
「そんな物を向けても無駄よ。ワタシは何があっても負けないし、負けられないのよ。だって――」
言葉を切った彩雅は、顔を上げて泉を真っ直ぐに見詰める。
震える手にナイフを握り、繰り返される呼吸は荒く、口角が引きつる顔は瞳孔が開いたブラウンの瞳を爛々と輝かせる。
不愉快にも、哀れとも思えるその光景を作り出してしまった彩雅は逃げる訳はいかない。
完璧な微笑みに隠した無関心で人を傷付けたのは1度や2度ではない。
それでも彩雅は隠し持つ刃を手放す訳にはいかなかった。
最高を生み出し続ける事で期待に応えること、それが可愛い妹分達の前を歩く自分の義務なのだから。
そして鞄の中で点る淡い光とゆっくりと回るキーノブを視界の端に、彩雅は口角を歪めて続けた。
「――ワタシは、あの子達のお姉ちゃんなんだから」