咬牙切歯のフェイスレス 2
「まずは聞け、レッドフィールド。俺は明神グループからの交渉役、決してお前を殺しに来た訳じゃない」
「じゃあ、殺されに来たのかい?」
どこか印象の薄い名前の男に告げられた"ターゲットの名前"に少年の眉間には皺が寄り、張り付けられていた笑みは険しいものへと変わって行く。
「その事でまず誤解を解かせて欲しい――改めて自己紹介しておこう。俺の名前は陳大文。明神ホールディングス株式会社所属のエージェントで、お前と交渉するように遣わされた交渉人だ」
面倒だとばかりに肩を竦めた陳と名乗った男は、ジャケットの内ポケットから取り出した携帯電話を差し出して捲くし立てる。
しかしユウリは信じる気はないとばかりに、油断なくナイフを構える。
自分と同じように物陰に潜んでいたのか、それともなんらかの方法でここに急行したのかは分からない。だが、陳と名乗ったその男は臆病で姑息な自分の背後を取っていた。
それは並べられた3つの1流企業が寄越すだけの戦力であるという事であり、相手がいかにユウリを"どういう意味"でも重要視しているかを表すようだった。
「お前が明神に持っているイメージは理解しているが、それは大きな間違いだ。あの方々にお前が考えているような過去はない」
「どうだか。被害者面するのは簡単だし、アンタを含めたソイツらは全員俺の敵だよ。話を聞いてやる必要なんかないね」
「お前が求めている"真実"を証明してやる。そう言ってもか?」
瞬間、ユウリの表情から一切の感情が消え、陳はようやく話を聞く気になった少年の手に携帯電話を押し付ける。
後ろで1つにまとめられた暗いブリュネットの髪。分厚いウェリントンフレーム越しの黒い瞳。整ってはいるが、どこか素朴な雰囲気の顔立ち。
携帯電話のディスプレイに映し出されたその女をユウリは知っていた。
「そこで、お前にとある方々の護衛を依頼したい」
「……護衛?」
「そうだ、御身を様々な敵に狙われている方々がいらっしゃってな」
あっけにとられたユウリは咥えていたタバコを地面に落としてしまう。
企業にとって都合の悪い存在に対しての暗殺、あるいは情報の抹殺。そういった事をやらせるための暗殺者として自分を求めているのだと考えていたユウリには、陳の言葉は予想外以外のなにものでもない。
何の後ろ盾もなく破壊工作をしていた自分を使うメリットは、捨て駒に出来る点にあり、決して大事な存在を守れるという点ではないはずなのだ。
「お断りだよ、俺は傭兵でもボディガードでもない。そもそもアンタらのような大企業なら、俺みたいなつまらないテロリストを使う必要はないじゃんか。テロリスト舐めすぎだよ」
「ほざくなよ、フェイスレス」
交渉の場に引きずり出されてなお抵抗を続けるユウリに、陳は周りを見ろとばかりに両手を広げる。
辺りに散らばる瓦礫の間から見えるのは、焼けた死体と砕けた酒瓶。ユウリは酒を用意して構成員達を家屋の中へ誘導し、玄関に向かってに向かって威力を発揮するように指向性爆弾を家屋1つ1つに、家屋の前には生き残りを殲滅するための地雷を設置していた。
ここに潜伏していた武装テロ組織の規模からいえば、妥当なようにも思えるが、個人が用意するにはあまりにも膨大だった。
「気付かぬ内に憑り入られ、気付いた時には焼野原。顔も誇りもない卑怯者とはよく言ったものだ。この羽振りの良さと思い切りの良さをこの目で見なければ、テロリスト殺しのテロリストなどただの都市伝説だと思っていたぞ」
「……別に。爆弾でもなんでも奪えばタダだし、麻薬を売買しているような連中なら死んでも構わないでしょ」
「奪えればな、な。俺とあのお方が買っているのはそういった点だ」
嘲るように鼻を鳴らす陳にユウリは肩を竦めて強がってみせる。自ら名乗った覚えはないが、フェイスレスは確かにユウリを、痕跡1つ残さないテロリスト殺しのテロリストの名前。そんなフェイスレスとユウリ・レッドフィールドを結び付けた陳に弱みを見せられるほど、卑怯を貫いてきたユウリは自分の力を過信できない。
だが、得体のしれない来客と敵対する理由もない。請けたくなるほど魅力的な理由はあるが、請けられない理由もある。
「いやいやいやいや。いくら俺が天才で美少年だからってなんでも出来る訳じゃないんだって。テロリストが護衛なんてした事がある訳ないじゃんか」
「どうかな。明神という大きな組織を狙い、1人で転戦し続けるよりはずっと簡単だと思うがね」
「……アンタ、マジで嫌な奴だね」
「ほめ言葉として受け取っておこう――先の救出がお前の目的、明神との関係性を窺わせた組織を殲滅した結果の1つだというのは分かっている。それでも目的のためであれば姑息にも卑怯になれるお前が、テロリスト殺しのテロリストが必要だ。その体だって、ここに潜り込むために作ったんだろう?」
突きつけるような陳の言葉に、ユウリは深いため息をつきながら薄汚いシャツを纏う自分の体を見下ろす。
最低限の筋肉を研ぎ澄ますように鍛え上げられた痩躯。それは違和感なく状況を進めるために演出を施す、いわばキャンバスのようなものだった。
必要とあれば食事を抜いて貧困を演出し、必要とあれば化粧を施して美しく装い、必要とあれば地を流して自分を救わせた。
誰にも悟られる事なく、誰にも縛られる事なく、誰にも知られる事もない。それがユウリの強みで、唯一の切り札だった。