華麗奔放のラショナリスト 3
どこか異質な空気が包み込むスタジオ。瞬く眩光とレンズを前に、真っ白なバックペーパーを背に。
淡いブルーのデニムシャツ、ミントグリーンのキャミソール、真っ白なスキニージーンズ。
用意された衣服を着こなし、完璧な笑顔を浮かべていた彩雅を遠くに眺めながら、ユウリは辺りの様子を窺っていた。
照明などの器具に工作された痕跡はなく、彩雅の貴重品と口にする物はユウリが管理している。彩雅もユウリという存在に感化されたのか、差し出された物を口にしている様子はない。
ならば、なぜ自分は撮影現場にわざわざ連れて来られたのだろうか。ユウリはずり下がり始めていた野暮ったいデザインの眼鏡を上げる。
先に接触してきた綾香、こちらからの接触を待っていた詩織。その前例は、待っていればユウリから接触してくる事を示しており、前触れもなくイレギュラーな護衛を突発的に連れて行く必要はないはずなのだ。
星霜学園に潜入しているのはより近くで自由に護衛をするため。マネージャーはボディガードという立場を隠すため。
分かっていても、疑問は晴れそうに無い。
「以上で終了です。艸楽さんお疲れ様でした!」
張り上げられた声を切っ掛けのように、スタジオ内が騒がしくなっていく。厳かという訳ではないが、艸楽彩雅という女が作り上げた美貌は、受けて側にも一種の緊張を強いていたらしい。
深く一礼をした彩雅が撮影スペースが出るなり、スーツ姿の男が近づいていく。
「今日も良かったよ、彩雅ちゃん。どこのブランドも彩雅ちゃんを指名する訳だ」
「ありがとうございます。それもこれも小林さんと皆さんのおかげですよ」
高いヒールを履いているせいか、ほぼ同じ視線の小林というプロデューサーに彩雅は微笑み掛ける。浮かべた微笑は相変わらず完璧なもので、小林の脂ぎった顔が次第に緩んでいく。
彩雅の完璧な応対がよほど満足だったのか、小林はジャケットのポケットからタバコの箱を取り出しながら口を開く。
僅かに強張る彩雅の表情にも気付かずに。
「それで、なんだけど今夜食事にでも――」
「あ、あの、すいません」
彩雅の人たらし振りをむざむざと見せ付けられたユウリは、小林の言葉を遮るように割り込む。
個人的な交友関係まで断たせるつもりはないが、何も把握できていない現状で、護衛対象と誰かが1対1になる状況は避けたい。詩織の教室のように遠隔操作出来るトラップでも話は別だが、現状で行える防衛手段はあまりにも少ない。
何より、小林がタバコの箱を取り出した時、完璧な微笑を曇らせた彩雅を他者と1対1には出来なかった。
「なんだ。ここはガキの来る場所じゃないぞ」
「すい、ません。艸楽に、その、緊急の連絡が」
「顔を合わせている話以上に大事な話などあるものか。室内で手袋、挙句の果てにピアスなんぞ着けてるなんて。礼儀も知らんのか」
小林の睨みつけてくる視線から逃れるように、ユウリは途切れ途切れの言葉を紡ぎながら俯く。その手はスーツの袖を握り、見えづらい角度を向いている顔は申し訳なさそうに歪んでいる。
あからさまなその態度はスタッフ達の視線を集め、スタジオ内の雰囲気を不穏なものへと変えていく。
目の下には僅かに隈が浮かび、スーツは若干サイズが合っていない。
どこか未熟さを感じさせるマネージャーと、それを叱責するプロデューサー。ユウリが間違った事を言っていないだけに、その視線は新人に対する同情的なものと、ベテランに対する咎めるようなものになっていた。
「小林さん、うちの新人がご気分を害してしまい、大変申し訳ありません。この子の無礼はワタシの無礼、どうかお許し下さい」
「え、いや、あの……」
空気の変化と意図と察したのか、彩雅はユウリと小林の間に割って入り、恭しく頭を垂れる。
若干見上げていた顔から、下げられた頭の後頭部。突然変わった状況に小林は脂ぎった額に冷や汗を浮かばせる。
艸楽家党首候補1位にして、芸能活動の傍らで名門校で主席を守り続けている才女。その彩雅が下げた頭は決して安いものではない。
それこそ、ただのプロデューサーの進退が決まってしまうほどに。
「そうですよぉ、小林さん。ピアスだって似合ってるしぃ、この子も可愛くてモデル向きなのにぃ、小林さんのせいで業界に怖い印象持たせちゃったらどうすんですかぁ」
そう言ってペールカラーのスーツをやや着崩した女が、背後からユウリに覆いかぶさるように抱きつく。
突然の行動にユウリは脱力感に襲われながらも手袋をした左手で拳を握るが、女に髪をグシグシとかき乱され、なすがままにされてしまう。
「不知火君でしたっけ? モデルやりませんかぁ? アンドレイ・ペジックさんみたいにいろいろな服とか着れますよぉ」
「いや、その、前に出るより、艸楽様達のお役に立ちたいので、その……」
「なにそれぇ、超可愛いぃ!」
陳につけられた偽名を呼ばれたユウリは、エスカレートし始めた女から逃れようともがく。だが荷物を持った両手とこの状況では、上手く相手を引きはがす事が出来ない。
暴力に訴える事も出来ずにユウリがもがいていると、見かねたように、それでいてどこか楽しげに微笑んだ彩雅がやんわりと女を引き剥がした。
「泉さんもそこまでにしておいてあげて――ユウちゃん、1度控え室に戻りましょう。そちらでコールバックを」
「はいはぁい、最後に話しておきたい事があるんで後で顔出してくださいねぇ」
間延びした挨拶をする、泉と呼ばれていた女を置き去りにして、ユウリは一礼をして彩雅を連れてスタジオを出る。着替えや彩雅の制服を置いておくための控え室はスタジオの隣であり、ユウリはジャケットのポケットにしまっていたキーで扉の施錠を解く。考えたくもないが、艸楽彩雅という女子高生アイドルの制服の価値は決して低くはないのだ。




