華麗奔放のラショナリスト 1
ユウリは突き刺さるような無数の視線に耐えながら、レンガが敷き詰められた裏門への道を歩いてた。
素手の右手を掴む手はやわらかく、木々に映えるのは亜麻色のボブヘア。流れてくる香りはシャネルのチャンスオータンドゥル。やや高めのヒールはレンガを叩いて硬質な音を鳴らし、そのせいもあってか、同じブレザーの背はユウリよりも高い。
物理的な理由を除いても届かないだろう言葉を噛み殺しながら、ユウリはどうにも離されそうにない右手に視線をやる。気を遣われているのか、黒革の手袋を纏う左手には視線すら向けられなかった事実が、その女の要領の良さと敵対する事の難しさを理解させてくる。
やがて着いた正門には1台のベンツが停められており、ひとりでに開いた黒塗りの扉が2人を迎え入れる。
引きずり込まれる訳でもなく、押し込まれる訳でもなく、ユウリはやんわりと後部座席に連れ込まれる。
既に疲労感に囚われつつある体を受け止めたシートは、ユウリが今まで乗ってきたジープやワゴンとは違うトラックとは違う上等さを感じさせた。
「どうかしたの、ユウちゃん?」
「……別に。それより、ユウちゃんてなにさ」
「不知火ユウリだからユウちゃん。お姉ちゃんの事もお姉ちゃんって呼んでいいわよ」
「やだね、姉なんかいらないっての」
そう言って覗き込んでくる女とミラー越しの厳しい視線にユウリは鬱陶しそうに眉間に皺を寄せる。
右手は未だにつかまれたまま、覗き込んでくる目は真っ直ぐで、勝手に作られたあだ名は名前よりも長くなっている。
全力で食って掛かって来た綾香とも、目を合わせる事すら難しかった詩織とも違う。一言一言が自分を翻弄し、向けられる視線はどこか値踏みするよう。
その女の名前は艸楽彩雅。艸楽貿易株式会社の社長の1人娘であり、レインメイカーの最年長のリーダーであり、ユウリが最後に出会った護衛対象だ。
「ごめんなさいね、本当は最初にワタシが話をするはずだったのだけど……」
「アンタの手が空いたとしても、あの猪女――じゃなくて、明神が同じクラスだったんだから遅かれ早かれでしょ」
車が走り出したのを切っ掛けのように切り出した彩雅に、ユウリは手を振り払いながら答える。
接触には指定された順番があり、最年長である彩雅は対人恐怖症気味の詩織よりも後だった。その事に疑問を感じなかった訳ではないが、綾香のようなサバイバリティを感じさせない彩雅にはその任が重かったように思えた。
ユウリよりも高い身長の体躯は起伏に富みながらも、基本的にはすらりとしており、綾香のように人を殴り倒せそうには見えない。
「話は聞いてるわ、大変だったみたいね」
「話を聞いた上でって事は牽制かなんかのつもり?」
そう言って苦笑する彩雅にユウリは顔を顰めて肩を落とす。
監視宣言をした綾香と目を合わせたがらなかった詩織。その2人が慕っている彩雅がどんな事を吹き込まれていても驚きはしない。何より2人の保護者のような彩雅が、ユウリのような得体の知れない存在を嫌うのは当然だ。
しかしそんなユウリの考えとは裏腹に彩雅は首を横に振っていた。
「今はそうじゃないけど、最初はそのつもりだったのは事実よ。あの子達より先に接触して、ユウちゃんがどういう人かを知っておきたかったの。あの子達の話を聞く限り杞憂だったみたいだけど」
「非常識な暴力野郎とか、言われたんじゃないの?」
「悪い子ではないけど、どこか危うくて、見ててあげないと不安でしょうがない。責任感の強いアヤちゃんだけならまだしも、人見知りなシオちゃんにまでそう言わせるんだもの。手放しで信用するわけにはいかないけど、牽制したりなんか出来ないわよ」
予想外な2人の自分への印象にユウリは思わず言葉を失ってしまう。それこそ最悪な印象を吹き込まれ、2度と近づくなと言われるすらユウリは予想していたのだ。
陳への信頼が厚い事は分かるが、だからといって自分を信用する理由にはならない。自分よりも優秀なボディガードを雇うのは容易く、監視していなければならない厄介者を傍に置いておく理由はないはず。
だというのに、2人はユウリの擁護に回っている。大企業の令嬢と芸能人という立場を理解していないはずがないのに。
「それで、聞いておきたい事があるんじゃないかしら?」
「……それもアイツらに聞いてたのか」
クスクスとおかしそうに笑う彩雅の言葉に、未だ困惑しているユウリは呻くように答える。
しかし抱えた疑問を解消するには、どんな些細なものでも情報を手にしなければならない。
後の憂いを断つ為にユウリは暴力的な手段に訴えているが、紛争地帯で生きてきたユウリと違い、スマートに解決できる人間は居る。それでも自分が雇われている理由すら、ユウリには分からないのだから。
「レインメイカー、っていうかアンタ達ってボディガードが必要なくらい人気あるわけ?」
「聞いてた通り、ずばり聞くわね」
意趣返しのようなユウリの問い掛けに、肩を竦めた彩雅は思案するように唇に人差し指を当てる。
「そうね。時間は掛かったけど、デビューシングルがチャートに載って、こうやってそれぞれに仕事がいただける程度には人気はあるって考えてもらっていいわ。アヤちゃんはスポーツやダンス系のイベント、ワタシはモデルやドラマの端役。お金で人気を買ってるとか"いろいろ"言われているみたいだし、関わってくれてる皆の人力のおかげもあるけど、全てレインメイカーに人気があるからだと考えているわ」
「でも氏家には仕事がないんでしょ?」
「それはシオちゃんを含めた皆の誤解よ。シオちゃんにはあえて余計な仕事をしてもらってないの。あの子には作詞とボーカルアレンジを担当してもらっているから、出来るだけ神秘性というか、ミステリアスな雰囲気を持っていて欲しいのよ」
「ちょっと待って、作詞とかってアイドルの仕事なの?」
「そういう事をしないユニットがあるように、ウチはそういう事をするユニットなのよ。アヤちゃんは振り付け、シオちゃんは作詞と簡単なボーカルアレンジ、アタシは作曲と編曲と総合プロデュース。流石にマネージメントとかはトライトーンのエージェントにお願いしてるけど、そういったところがレインメイカーが前に出れた理由だと思っているわ」
「言ってる事は分かるけど、それだけで前に出れるもんじゃないでしょ」
「その通り。明神の圧倒的な財力、氏家の優秀な製作能力、艸楽のマーケティング能力。それとワタシが先手を打つ意味合いでやってたモデル業の影響もあったはずよ」
聞いていなかった情報にユウリは訝しむように眉を顰める。
「アンタだけ先に活動してたって事?」
「そういう事。ワタシはお姉ちゃんだから、先にいろいろ業界の事を知っておこうって思ったの」
その多彩な才能に感心すべきか、それとも才能をひけらかさないところに感心すべきか。どちらともつかない感想に、ユウリは黒く塗り潰したような髪に指をかき入れる。
3人がそれぞれ上等な教育を受けてきたのは分かっていたが、爆弾の設置や電装系の工作とは大きく違うその才能はユウリには計り知れないものだった。




