恥知らずのドープヘッズ 3
「見逃すことはできないけれど、罪を償うのを見届けることはできるわ。優秀な弁護士を紹介してもいい。だから、こんなことはもうやめて――」
「ふざけんじゃないわよ! アンタが、アンタが邪魔をしなければ私だって!」
「あんな強引なやり方は姉貴分としても生徒会長としても認められないわ!」
「強引だった? 当たり前でしょ、卑怯だって誹りを受けるだけで明神が手に入るんだから! 姉貴分なんて方便で明神と氏家の上に立ったつもりのアンタにはわからないわよ!」
「明神は誰の力にもならない! だからアヤちゃんだって頑張ってるんじゃない!」
「いいえ、私なら明神綾香を懐柔できた! 明神が手に入れば私のプロデビュー後は安泰だった! 私だってプロ棋士になっていればこんなことしなかった! それなのにアンタが私の自尊心をめちゃくちゃにしたのよ! アンタのせいで私は明神をはめようとした卑怯者で、艸楽に裁かれた極悪人よ!」
「いや、間違ってないでしょ。何もかも人のせいにできる面の皮の厚さが証拠だし、勝負に負けた時点で明神綾香はアンタに関心も持っちゃいなかったと思うよ」
棋士という言葉にピンときたユウリはつい口を挟んでしまう。
運動部がユウリの勧誘に気を吐いていた頃に加古美佐子に聞かされていた将棋部の話。綾香を無理やりにでも勧誘しようとするも敗北し、当時生徒会長だった彩雅にペナルティを課された将棋部に所属し、綾香の勧誘を主導した部員が蓮華だったのだ。勧誘などはしていないと言っていたが、それも禁止されていただけかもしれない。どういう手段を使ったのかは知らないが、相当に痛手を負わされたたはず。それこそ、客寄せの飾りにぴったりのユウリを彩雅の関係者だということであきらめるくらいには。
「……どういうつもりか知らないけれど、ずいぶん言ってくれるじゃない。彩雅に手ほどきでもされて自信でも持ったのかしら?」
「生憎だけど、ベッドの上なら俺の方が経験豊富でね。アンタも大人しくしてればいつかチャンスがあったかもしれないのに」
残念だったね、とわずかに頬に朱が差す彩雅を無視してユウリはおどけるように言う。
歳の割に濃いメイクは取引相手への牽制。強い香りの香水は匂い隠し。ユウリへの接触は彩雅の動きを把握するため。もしかしたら独自に動いていた智子を彩雅と同じように利用していたのかもしれない。同じ穴の狢であればこそ、使える手駒は早い者勝ち。学園内での権力闘争に敗れただけ。
何より、蓮華がここまで落ちぶれたのは蓮華自身の選択だ。
明神綾香は敗者をむやみに傷つけたりはせず、艸楽彩雅も妹分達に手を出さなければ無関心のままでいられた。蓮華が綾香を利用しようとしなければ彩雅が出張ってくることもなく、明神に関係する者達に忌避されることもなかった。
結局のところ、姫島蓮華は自分で引いたいばらの道から逃げ出し、家の再興などというお題目を使って自棄になっているだけ。気付いているのかいないのかは知らないが、家の者も止めないのだから同罪だ。
「そちらさんなんだろ。最近渋谷で質の悪いドラッグカクテルをばらまいてるのはさ」
「だったら何なの」
「1つだけ聞かせて欲しいんだよね。そちらさんに材料を売っていたのは誰?」
詩織とのデートをする予定だったあの日。ホワイト親子に向けられた追手の質は低かったが、情報遮断の手腕は見事だった。エイミーの携帯電話に電話をかけ続けるような原始的なものでなく、ジャミングを行いながらミーガンが気付いて携帯電話を壊すまで補足していた位置。美緒達の介入が成功していなければあの日の勝者は間違いなく蓮華達だった。
家の力も何もなく、ただの子供が麻薬市場に介入できたのは誰かの力添えがあったはず。高度の情報遮断技術を持ち、狗飼美緒を翻弄できる誰かの。
「私のシマを荒らしたあの人達に義理なんてないけど、アンタが知りたいなら絶対に教えない」
「あっそ、俺なりの親切のつもりだったんだけどね。尋問みたいな拷問――じゃなくて、拷問みたいな尋問なんてそちらさんも嫌かなって。でももうだめだ。”本当に悪いとは思う”けど、全員覚悟してもらうよ」
「ユウ、ちゃん?」
「艸楽が言ってた通り、売るやつも買い奴も完全な自業自得だ。ここに長居もしたくないし、さっさと片付けよう」
子供悪ふざけ程度であって欲しいと思っていたのか、それとも最悪の想定通りになってしまったのか。
すっかり戸惑ってしまっている彩雅にユウリは肩をすくめて見せる。
彩雅と美緒に個人的なつながりがある以上、この場で起きていることを黙って見過ごすことはできない。恩がある詩織ならともかく、彩雅と美緒はけん制しあう仲なのだ。後に彩雅がこの現場にいたことを知られてしまえば無用な恩を売りつけられるか、明神への踏み台にされかねない。彩雅は綾香への裏切りには耐えられないだろう。
だから、とユウリは不敵に笑い、ネクタイを乱暴に緩めた。
「アンタは俺がどうすればいいかだけを言えばいいんだよ」
「……お願い。レンちゃんを、わたしの親友を止めて」
「任せて」
ユウリは両手に隠し持っていたビー玉を同時に投げつけ、大仰に両手を広げて見せた。
「艸楽が俺にかけた金額を後悔させたりなんかしないから」
風を切って飛び出したビー玉は2人の男の顔へと叩きつけられて鈍い音を鳴らす。
予想通り、練度は相当低い。
顎で下がっていろと指示し、男が崩れ落ちるのを眺めながら、ユウリはゆっくりと蓮華へと歩み寄っていく。
おそらくホワイト親子に向けられた追手と同じく、麻薬やはした金で集められた烏合の衆。蓮華には彩雅のようなカリスマはなく、陳のような人を見る目もない。彩雅がそこまで理解していたとは思えないが、この機に一切合切を奪ってしまえば蓮華は2度と麻薬ビジネスなどできなくなるだろう。リスクが高いからこそ信用が大事で、自分の身が可愛くなるのだから。
「何をぼさっとしているの!」
蓮華の金切り声で我に帰った2人の男は慌ててユウリへと駆け出す。それぞれの手には隠し持っていた刃渡り15センチほどのナイフと3段ロッド。ユウリをまっすぐ見つめる目は多少血走っているものの、通常の依存症患者のよう。
「安心した、わけじゃないけど」
蓮華の商品はフラッシュポイントではなく、美緒の言っていたできの悪いドラッグカクテル。
切り付けんと乱暴に振るわれたナイフを半身になってかわしつつ、ユウリは左袖に指先を入れて勢いよく引き抜く。
ジャラリと硬質な音を立てて現れ出たのは鋼鉄製の多節鞭。ぬらりと鈍い光をたたえたそれはユウリの腕に追従するように大きくうねり、男の首へ巻き付く。男は頸動脈を締め上げられるような圧迫感に意識が眩みそうになるも、ユウリがそれを許しはしない。
「何ボサっとしてんのよ! 薬が欲しけりゃとっととそいつを片付けなさい!」
「やれるものならやってみればいい。薬は手に入っても俺ほどの美少年は手に入らないんだから」
蓮華の金切り声に応えながらユウリは両手でつかんだ多節鞭を強引に引き寄せ、ぐらりと傾いた男の側頭部に円錐状の柄の先を突き刺す。いくら相手が非力なユウリでも、鋼鉄で突き刺されればただではすまない。3人の仲間がなす術もなく倒されていたのを見ていた最後の男の顔がひきつる。ケンカや暴行沙汰の経験がないわけではないが、所詮は素人同士の殴り合い。加減などわからなくても酷くて骨折させる程度。ユウリのように障害が残るかもしれないようなダメージは与えない。与えられない。
だというのに、ユウリはためらいもなく多節鞭を振るい、男の腕に絡みつかせていた。
「恨むならクライアントの恩情を台無しにしたそちらさんのボスを恨むんだね」
男は強引に引っ張られる多節鞭をつかんで抵抗する。ユウリの強みは躊躇いのなさと豊富な武器と戦術。健康的でなくても、平均的な成人男性と渡り合える腕力ではない。それを誰よりも分かっているユウリは、あっさりと多節鞭から手を離して自分の腰へと手を伸ばす。そして次に出てきたのは何の変哲もない20センチ程度の警棒。
「これで最後、だと良かったんだけど」
ユウリは多節鞭を離されてバランスを崩された男の顔に振り払うようにして無骨な警棒で殴りつける。
手に感じるのは歯を折った確かな感覚。そして腰には、ただがむしゃらにしがみついてくる誰か。
これで最後だと良かった。
ユウリは腰に巻きつく腕を引きはがしもせずに、色が変わるほどに力を込められた手に触れる。
ショートカットのブリュネットは乾燥してまともりもなく、すっかり崩れてしまっているアイラインを引かれた目はここに居た誰よりも血走っており、顔はすっかりこけてしまっている。アルと言葉にならない声で繰り返す唇はひび割れて血が滲み、焦点の合わない瞳孔はそれでも琥珀色の瞳を覗き込んでいた。
他人の空似であればどれほど良かったか。
とても弱い人だったことは知っている。そこにつけ込めたからユウリは彼女を利用できたのだから。
ユウリの腰にしがみついているのは風貌こそやや違うものの見覚えのある女性。
その女は来日したユウリが利用した1人で森崎仁の姉、森崎奈津美だった。




