恥知らずのドープヘッズ 1
いつから放置されているのか。ユウリはすっかり荒れ果てた倉庫跡を車窓のスモーク越しに眺めていた。
いいから泊まって行け。彩雅の思いでアルバムもあるぞ。
そう言って引き留めようとして来る舅姑気分の2人を振り切り、艸楽邸を後にしたユウリが連れて来られたのは都内郊外の工場地区。
また面倒なことを始める気なのだろう。
隣で一言も話さないままの彩雅をちらりと見て、ユウリはスーツに隠していた装備を確認する。ありったけの装備を要請して来たのも、豪華絢爛な乗用車ではなく、地味なワゴン車を選んだのもこのため。ただでさえユウリと彩雅は人の目を惹く。放置された工場があるような地区にこぎれいな格好をした美男美女が居ればなおさらだ。
「ねえユウちゃん、フラッシュポイントって知ってる?」
「……そりゃもちろん。だけど、アンタの口からその単語が出るとはね」
思わず顔を顰めてしまいそうになるのを堪え、ユウリは唐突に投げかけられた質問に答える。
「紛争地帯発祥の合成麻薬で依存性が強い。打った後はどうしようもなく気分が高揚して感覚が鋭敏になる。まあ錯覚なんだけどね」
「覚せい剤のようなもの、と考えていいの?」
「依存症があるのは同じだけど、フラッシュポイントのヤバさはそんなもんじゃない。感覚が研ぎ澄まされるってことはその時のことが記憶に深く刻まれるってことで、強く刻まれた恐怖は妄執的恐怖症を発症させるんだよ。刃物で刺されて刃物自体を怖がるようになったり、とかね」
「治療は?」
「従来の依存症治療と恐怖症に対するセラピーをやって運が良ければマシになるかもって感じかな。あきらめた方が楽だと思うね」
整った顔に沈痛な表情を浮かべ、華奢な手はスカートをくしゃりと握り、彩雅は俯いてしまう。
黙り込まれてしまえば困ったのはユウリだ。
こういった場所が大口の取引場所に使われるのは想像に容易く、彩雅自身に依存症独特の様子はなく、捜索費用の回収に法を犯すほど愚かでもない。
厄介なことになった、とユウリはピアスに触れる。
艸楽彩雅は自分の問題に誰かを巻き込んだりはしない。妹分達を守るために最初からそのような状況に陥らないように人を利用していた。
ただ1部の例外を除いて。
妹分達を白井だけに任せさせ、夜中に和沙と2人だけで迎えに来させた例外としては新たな懸念に頭を抱えたくなってしまう。狭いどころか全くない詩織の交友関係と違い、彩雅の交友関係はむやみに広くて一方的に深い。智子がそうであったように、誰かが彩雅のために厄介ごとに首を突っ込んでいても、彩雅がその者に対して利用価値を感じていてもおかしくはない。もし彩雅が捜索費用でユウリに首輪をつけたつもりでいなければ。300万円程度ユウリは気にしないが、借りがあることで艸楽に首輪をつけられるのは面倒だ。美緒に逃げ隠れする意思がなかったとはいえ、彩雅はユウリを見つけているのだから。
「ユウちゃん、その、ごめ――」
「謝らなくてもいいよ。そちらさんの両親を説得してくれるなら」
ユウリを振り回している自覚があったのか。ユウリの皮肉るような言葉が意外だったのか。
彩雅は呆気にとられたように表情を崩し、クスリ、と笑みを浮かべる。
「……ごめんなさいね。男の子なんて連れて帰ったの初めてだから」
「俺ほどの美少年ならそう思いたくなる気持ちはわかるけどさ。がっかりさせるのも悪いし、ちゃんと説明しておいてよね」
「そうね。愛する娘の次にきれいな相手だもの。2人とも盛り上がっちゃうわよね」
「俺は安くないってわかってると思ってたんだけどね」
未だ顔に険が残っているが、ようやく肩の力が抜けたらしい。彩雅は居住まいを正して隣に居るユウリへと向き直る。
「ユウちゃん、あなたを雇わせてほしいの」
「既にそちらさんらのために身を粉にしてるんだけど」
「ボディガードとしてではなく、ユウちゃんに傭兵として付き合って欲しいの」
「……俺に麻薬取引の片棒を担げって?」
「わたしがそんなものを欲しがるとでも思うの?」
不愉快そうに眉間に皺を寄せるユウリに彩雅はありえないでしょ、と首を横に振る。良くも悪くもマスコミの声が大きいことは詩織の件で理解させられており、自分たちの出自がどれだけ妬まれるかも理解している。可愛い妹分達のことを思えば一時の快楽にのためにリスクを犯す理由などない。
口にこそ出していないが、彩雅が伊勢裕也の、自分達が思い上がりから引き入れた妨害者のその後を知らないはずがない。どういったことをしようとして、どういった暴行を受け、どういった麻薬の影響を受けているのか。ユウリの説明と伊勢の容体が符号すればするほど、彩雅の中で不安が積もり積もっていく。
なぜなら、ここに来た理由はただ1つ。
「ユウちゃんにはね――わたしの大事な人を止めて欲しいの」




