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レインメイカー  作者: J.Doe
ドリズル・チューズデー
121/131

千紫万紅のプールサイド 1

 独特の音の反共と塩素の臭い。揺れる水面に窓から差し込む日とフラッシュの光が輝く。

 白のビキニは均整の取れた体に飾られ、しなやかに伸びる手足が動く度に亜麻色の髪が揺れ、可憐な笑みが観る者達から言葉を奪う。

 美しいものが美しくあるその光景に、ユウリはふむ、と細い顎に手を添えて言った。


「艸楽でようやくかな。俺と張り合えるのは」

「何をほざいとんじゃ、こんとぉすけ」

「何って、喜んでほしいくらいなんだけどね。世界で4人くらいしかいないんだよ。俺ほどの美少年と張り合えるのなんてさ」

「部下がアイドルと張り合っとると思うだけで頭が(いと)うなるわ……」


 屋内プールの片隅で和紗は赤いフレームの眼鏡を押し上げ、撮影中の本隊の方へと歩き去って行く。

 今日行われているのは夏に向けての広告の撮影。

 既に他社の広告が出回っており、今更広告を打ったところで手遅れなのではないか。そんな懸念もディスプレイに表示された写真を見ればただの杞憂でしかないと分かる。この日のために双方で厳選したスタッフが撮影を行い、艸楽彩雅という才能がいつにも増して乗り気だったのだから。

 とはいえ、今回の撮影が行えたのは厳しい制約の順守。そして和紗と撮影クルーの努力があってこそだった。

 撮るのはあくまで広告としての写真。場所は明神が所有する屋内プール。撮影に参加していいスタッフは和紗が選んだ数人だけ。

 注目されているとはいえ、未だに新人でしかない彩雅がつけるには随分な注文だが、斉藤泉の件を省みれば当然の要求だった。新人モデルとしては仕事を選べないかもしれなくても、艸楽家の後継者としては請けなくとも影響のない仕事でしかない。ある程度の品位を保てる制作でなければ、害悪でしかなくなってしまう。明神と交渉して点検のために休業日に撮影許可を取るなど、和紗は大変な苦労を背負う羽目になったが、ファンやその他の余計な介入を退けられたと思えば安い物だ。逃げ出したボディガードのために公安の人間相手に啖呵を切る事に比べれば。


 ただ、と和紗はユウリの視線を追う。特徴的なアンバーの瞳は野暮ったい黒縁メガネ越しに撮影を眺めているようで、どこか違うものを探しているよう。それは撮影と点検スケジュールによってプールのブロックを移動しても変わらない。何かを警戒しているのか、それとも何もない事を確認しているだけなのかは分からないが。


「鉛地さん、チェックをお願いします」

「はい」


 和紗はスタッフの呼びかけに返事をし、お疲れ、と彩雅の肩にパーカーを掛けてやる。

 このブロック内に居るのはユウリと彩雅、和紗と撮影クルーだけ。もちろん施設内には点検のためのスタッフや、入口と裏口の警備員も居るが同じブロックに居ないように打ち合わせ済みだ。

 和紗が転職して以来、トライトーンは内部からの攻撃を受けた事はあっても外部からの妨害に屈した事はないのだから。


 〇


 どうしてだろう。ビーチチェアによこたわるユウリはけだるげにネクタイを緩める。

 時刻は15時。早朝から行われていた撮影は無事終わり、クルーは全員帰って行った。2,3日中に改めて写真のチェックがあるらしいが、それらは彩雅と和紗で滞りなく終わらせるだろう。ユウリが1人でプールサイドに残される理由などない。撮影のせいで4時起きの体は睡眠を要求し、僅かな緊張から心は速やかな帰宅を望んでいる。心技体が要求されるこの世界であれば、技は早退の口実でも考えればいいのだろうか。


「お待たせ、ユウちゃん」


 睡魔が読んだ益体もない考えに沈んでいたせいか。許可した覚えのない呼び方にユウリは視線を上げ、つい言葉を失ってしまう。

 赤いフラワービキニを纏う胸を張り、楽しくてたまらないとばかりに口角を上げる綾香。

 青いパレオ付きのビキニの上にパーカーを羽織り、恥ずかしさから頬を紅潮させる詩織。

 撮影では着ていなかった緑のバンドゥビキニの紐を直す彩雅。

 見慣れているはずの護衛対象達の初めて見る姿に、ユウリは悪態もつけずに見惚れていたのだ。

 しかし茫然としたように見えるユウリの表情に、スーツ姿の和紗は深いため息をついて綾香の肩を優しく叩いた。


「なんじゃ、その……元気だし?」

「え」

「ええけえ、ええけえ。よう聞きんさい。昔お好みを焼いてくれたシゲさんを見てうちは悟ったんじゃ。人生は老いてからの方が長うて、怠惰と慢心で魅力は贅肉になってまうんじゃと。あれば良いってもんじゃないんじゃ」


 酸いも甘いも噛み分けたような和紗の言葉に、綾香の視線は自然と横並びになった2人の1部に注がれる。

 そこには確かに山が、親しみ深い大平原にはない豊の象徴が存在している。彩雅はまだ理解の範疇にあるサイズだが、詩織に至ってはもはや暴力的ですらある。レインメイカーの衣装デザイナーが愛理恵になった経緯には、他のデザイナーがさじを投げだした事実も含まれていた。


 肌を出したデザインがだめなら詩織のスタイルを生かしたデザインは作れない。綾香のなら完璧なのに。

 詩織のスタイルを生かした扇情(せんじょう)的なデザインを許してもらえないなら、この仕事を請けるつもりはない。綾香のデザインは完成していたが。

 そもそも詩織のスタイルなら清楚なデザインなどきっと合う訳がない。綾香であれば望み通りのものを提供できるが。


 誰もが口を揃えて言った。綾香のために動きやすく、完成したデザインを提出してきた彼女らが口を揃えて言ったのだ。


 思えば彩雅が選んでくれたフラワービキニは胸元にボリュームがあるデザインで、2人の水着はより洗練されたシルエットのデザイン。2人とも持ち前のボリュームと形があれば布による欺瞞効果など必要ない。なんせ動く度に揺れるのだ。さりげなく盗み見た胸部補正下着は常軌を逸したサイズをしており、新生児くらいならゆりかごにすらなるかもしれない。

 なんと世の中は無情なものなのだろうか。綾香が自己流で編み出した豊胸体操はしなやかで機能性の高い胸筋を鍛え上げるばかり。今なら光を求めたゲーテの気持ちも分かるかもしれない。どちらも、自分の意志だけでは手に入れようがないものだ。


「あ、あの、そ、その、綾香さんはその、ひ、引き締まっていて、その――」

「優しい言葉で下手な慰めはやめて!」


 綾香はかつてないどもり方をする妹分から逃げるようにプールに飛び込む。準備運動をしっかりしていたのか、そのフォームは悲しいほどに美しく、泳ぎ去って行くその速度は水泳部が欲しがったのも頷けるほどだった。


「な、慰めなんかじゃないのに」

「しゃあないじゃろ。持つ者には持たざる者の気持ちは分からんのじゃ」

「いや、追い詰めたのはアンタでしょ」


 憂うように吐息をつく和紗にユウリは馬鹿馬鹿しいと吐き捨てる。

 何せ偉そうなことを言っている他ならぬ和紗が、キュリオシティ・キラーでの美緒の言葉に本気で怒り、醜態を晒していたのだ。同じ悩みを持つ若者にどういう道を示そうとしたのかは知らないが、和紗自身が道を踏みちがえているのだから救えない。

 ユウリからすれば、胸があろうとなかろうと自分が美少年である事に間違いはない。そういう意味では綾香に仲間などいない。世は無情。勝者と敗者はつくテーブルが違うのだ。


「まったく、そんなことを気にする必要なんてないって言ってるのに」

「明神だから?」

「素敵な女子で居ることに家柄は関係ないの。あのデザインだってアヤちゃんが気にしてるから選んだだけなんだから」


 彩雅はそう言っていさめるように指先でユウリの額を軽く突く。オンリーワンというだけでは価値がないが、横並び歩くだけなら意味がない。彩雅からすれば綾香のコンプレックスは魅力の1つでしかないのだろう。事実、綾香の身体能力はレインメイカーの持ち味の1つなのだ。


「どうでも良いけどさ、もしかして今日の仕事って」

「そうよ。夏休みはきっと忙しくなってしまうから、せめて少しくらいは」


 ちょっと様子を見て来るわね、と大きな水しぶきを上げるプールへと歩み去る彩雅の背中に、ユウリはやっぱり、とガックリと肩を落とす。水着の撮影を請けたのは誰もいないプールで妹分達と遊ぶため。

 調子が悪いと駄々をこねれば帰れるだろうが、ユウリには智子の件で3人に借りがある。綾香の強い後押しがあったとはいえ、護衛対象がボディガードに予定を合わせるなどあってはならなかった。


「そがんことより不知火は泳がんのか? 水着がないなら売店で選んで来んさい」

「美少年の肌は安くないんだよ」


 嘆かわしいとばかりに首を横に振るユウリに、今度は和紗があほか、と吐き捨てる。和紗は最初から泳ぐ気などなかったが、ユウリにまでそれを強要するつもりなどない。ボディガードとはいっても未成年の子供。それも自惚れはしても、過信はしないユウリ。彩雅がリフレッシュをさせたがっていたことぐらい和紗でも分かる。

 しかし詩織はパーカーの胸元を抑えたまま首を傾げていた。


「も、もしかして、泳げない、のですか?」

「……仕方ないじゃん。俺が行くような場所に綺麗な水源なんてほとんどなかったんだから」


 ユウリはふてくされたように唇をとがらせてそっぽををむく。最後に居た南アフリカはもちろん、紛争地帯に沼はあっても綺麗な水源などなかった。知識を与えられ、練習をしたのはもう数年も前の話。苦手な事をした上で万全な状態で居られる自信などなかった。

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