心荒意乱のヴォルテックス 4
「それは、詩織に当主と結婚しろって言ってるの?」
いいや、と祭主は首を横に振る。
「僕は臨時みたいなものだし、曲がりなりにも叔父みたいなものでもあるから。彼らが当主にしたい誰かになるね」
「明神に逆らうとは思えないけど、詩織にそれを拒否する権利は?」
「当たり前じゃないか。言い方は悪いけど、祭主は氏家のような乱暴なやり方はしない。自惚れと取られたらそれまでだけど、一応名前はある家だからね。もしお越しいただけるなら丁重にはもてなすはずだよ」
「……ゴメン、俺に出来るのはここまでみたいだ」
舌打ちを堪えて吐き出したユウリの言葉に、しがみついて来る指の力が強まる。
祭主の言葉に甘えて権力の外から情報を引き出す。嘘をつく事はないと約束したが、建前でしか話さなかったこの男から。
だから、ユウリもは祭主の思惑に乗るしかないのだ。
「ゆ、ユウリ、さんは、その、どうしたらいいと、お、思いま――」
「詩織さん!」
流石にもう我慢できなくなったのか、佳乃はユウリを突き飛ばして詩織に縋り付く。
明神敬一郎と連絡が取り合える存在。偽りとはいえ、その身分を無視するほどに追い詰められた佳乃の様子を見てユウリはやはり、と小さくため息をついた。詩織は理解してしまうだろう。詩織を本当に守りたいのであれば、話し合いに等応じる駅ではなかった。
どうして明神の庇護下にある祭主が、という考え方が間違っていたのだ。
祭主は、明神の庇護下にある事が気に入らなかった。彩雅は2人の婚姻を老人の気まぐれのように語っていたが、水面下では思惑が確かに張り巡らされていたのだ。氏家は歴史という唯一のストロングポイントをより強固に、祭主は歴史の浅い明神を吸収して上に立つために。
そのために下調べをしていたから、名刺を見ていないのに不知火という名前を知っていた。アポなしの急な来訪も明神に介入させることで、祭主の旧体制を非難させるつもりだったのかもしれない。敬一郎への連絡がブラフだと知らなくても、ユウリが協力をするしかないように誘導するのは容易い。
もしその矛先が自身に向いてしていたとしても、ユウリに情報を与える事で事態を収めようとしていた、と言い逃れてしまえば良いだけ。祭主忠はあくまで臨時の当主であり、建前と立場で汚れ仕事を強要されていただけなのだから。
つまり、祭主忠の口にした事に言葉以上の意味などないのだ。
この瞬間、この場で意味を持つ者は、詩織の選択以外何もない。
「お願いよ! 私ならともかく、祭主は詩織さんを邪険にはしないはず! 祭主は濃い血を途絶えさせたくないだけなのよ!」
息が詰まったように震えていた詩織の体が動きを止め、俯かせていた線の細い顔が上がる。サングラス越しの視線は何かの答えを得たように、金切声をあげる佳乃を見つめる。
祭主忠は最初から詩織と祭主の後継者の婚約など望んでは居なかった。
老人ども。妾腹。第一後継者。
それらの言葉から察するに、祭主はユウリという部外者を利用して分かりやすい言葉で状況を詩織に理解させ、お互いが本当に望む形で話をつけたかっただけ。
氏家との関係に固執する老人達は、妾腹の身である祭主を邪険にし、氏家の第1後継者である詩織を取り込もうとしていた。
しかしその光景を見せられてきた祭主忠は氏家との同盟に価値を感じず、佳乃と詩織を決別させることで完全に消滅させることにした。
結果として祭主は氏家との関係を断てるだけでなく、佳乃という最大の邪魔者を処理できる。祭主家の目的が濃い血の存続であれば、佳乃の良く吸えなど考えるまでもない。
「お母様は、私のお願いなんて1つも聞いてくれなかったのに、ですか?」
ここに居る誰もが、その体に流れる血だけに価値を置いている。
どれだけ大事にされていたとしても、そんな事くらい詩織も理解してしまった。
自分のせいで、何が利用されてしまったのかも。
「……母を、見捨てるおつもりで?」
「あなたが、私を置いて行ったんじゃないですか」
佳乃の手を乱暴に払い、詩織は細い指で髪の毛をくしゃりと握る。青みがかった瞳の目は鋭く据わり、唇が怒りで震えだしていた。
「そう、ですよ。今更何を仰っているんですか。あなたが何をしてくれましたか。あなたのせいでどれだけの方々が傷ついたと思っているんですか」
大好きだった乳母が倒れた。ユウリと綾香を仲違いさせてしまった。挙句の果てに、人身御供にされそうになっている。
子供の世話を他人におしつけたせいで。下らない権力争いのせいで。つまらない保身のせいで。
ここに居ない、子供を捨ててまで愛した男との人生を選んだせいで。
「な、なら、あなたは母に女としての幸せを望むなとでも?」
「つまり、他の誰かならどれだけ辛い思いをしても気にもならないということですよね。娘であっても、お世話になっていた方でも。そんなあなたであろうと他の誰であろうと、私の行く道を邪魔させたりなんかしません」
先ほどとは打って変わった娘。飄々とした振る舞いを見せていた祭主の引き攣った表情に、
佳乃は思わず言葉を失ってしまう。後継ぎを守るための氏家の入れ知恵かとも思ったが、人の機微に疎い亮太に詩織に何かを刷り込む事など出来るはずがない。そもそも明神に守られていたからこそ、佳乃は祭主忠に下げたくもない頭を下げてこんな手段を取ったのだから。
そして佳乃は思い出す。自分が祭主からの解放を望んだきっかけは、両親との別れと愛しい男との出会いだった、と。
「お忘れになりませんよう。氏家でも、祭主でも、どこの誰であっても、私達の邪魔だけは決して許しません」




