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レインメイカー  作者: J.Doe
ドリズル・チューズデー
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情け無用のスプリント 4

「残念だけど、疲れとか諸々込みでもタイムの向上は見られないわね」

「そ、そんなぁ」


 すっかり日は傾き、夕焼けに染まるグラウンド。綾香の遠慮のない言葉に、智子は揺らしていた肩をがっくりと落とす。吐き出す息は熱く、大粒の汗がグラウンドにポツリポツリと落ちる。普段ならこの程度での走り込みで音を上げたりなどしないが、あの明神綾香が、無尽蔵の熱意と情熱とスタミナの権化が、鮮烈な結果をその身を持って見せてくれる才能がコーチを買って出てくれたのだ。緊張感と疲労感はいつもの比ではない。


「やっぱり、トモじゃ無理なのかな」

「何でそう思うのさ?」

「だって、ヌイヌイ先輩のフォームを真似してもタイムが上がらないし……」


 俯いて弱気を吐き出す智子に、浅はかなくらい素直な後輩の姿にユウリは両手で顔を覆ってしまう。

 どうして森崎が尊厳よりも智子の安全を選んだのか。どうしてユウリより遅いのか。どうしてユウリと同じように走れないのか。

 あまりにも見当違い。その考え方では問題を解消するどころか、森崎の献身に応える事すらできない。

 だが答えをそのまま教えるのでは意味がない。考え、そして気付いてもらわなければならない。智子が3人にとっての脅威とならないように、智子自身が1人で生きていけるように。ユウリが出来なかった事を出来るように。


「それはそうよ。ユウちゃんの走り方は競技向きとは言えないもの」


 声につられるまま視線を向けてみれば、そこに居たのはスクールバッグの代わりにブリーフケースを持つ彩雅と日傘をさす詩織。迎えに行くまで待っていろと言っていたはずの護衛対象だった。


「アヤちゃん、自分用のフォーム確認映像を見せてもらえないかしら」

「別にいいけど、教材向きじゃないよ?」

「いいのよ。教材向きでなくても比較対象としては最高だから」


 そう言って綾香からタブレットを受け取った彩雅はおいで、と智子を呼び寄せる。タブレットのディスプレイに表示されているのは、ユウリと綾香の走っている姿を横から撮影した2つの映像。


「トモちゃんも疲れていると思うから簡潔に説明するわね。ユウちゃんとトモちゃんのフォームの最大の違いは総合的なバランス、安定感って考えてちょうだい」

「バランス、ですか?」

「ええ。しっかりと腕を振って走るオーソドックスなトモちゃんとアヤちゃんと違って、ユウちゃんはあまり腕を振らない。だから重心の位置も変わらないし、独特なフォームにもなった。ハッキリ言って、ユウちゃんは反面教師なのよ」

「でも、ヌイヌイ先輩はアヤアヤ先輩くらいか、それよりも速いですよ?」

「それはユウちゃんのストライドが人よりも長く、重心の取り方が完璧だから。体を押し出すように走るってのは意外と難しいのよ。普段のアヤちゃんこうやって理解した走りをしているのだけど、トモちゃんにはそれが出来ていないの。厳しい言い方をすると、これは才能の限界でもなんでもなく、考えなしでやってきたツケよ」


 そうよね、と微笑みかけて来る彩雅にユウリは肩を竦めてみせる。隣にはショックからうなだれる智子が居るというのに一切気にする様子もなく。

 姿勢を極端に低くするのは撃たれにくくするためで、腕をあまり振らないのは銃や爆弾を安定して保持するため。ユウリがフェイスレスと呼ばれるようになった過程は孤立奮闘の戦歴であり、うかうかしていれば建前上の仲間にその身すら売られかねなかった。身に着けた工作技術も、殺しの極意も、智子が羨望のまなざしを向けてくれた走りも、全ては生存を主眼に置いたものだ。

 本当に競技向きの走り方であったのなら、過去に同じような走者が居て、陸上部の部員達が真っ先に取り入れているはず。思惑を看破した上で意図的に潰された事に何も思わない訳ではないが、彩雅の理屈に矛盾はない。綾香も"ユウリと同じフォームで早くなりたい"という智子の要望に応えようとしただけだ。


「いいかい。闇雲に走って成果が得られないのなら、次はしっかりと考えてみるんだ」


 もうこうなってはどうにもならない。ユウリは智子の小さな顎を指で押し上げて顔を上げさせる。

 今回はファンクラブ用の仕事があったから良かったが、わざわざ用のない学校で仕事をする事にストレスを感じていたのだろう。彩雅にしては性急で強引なやり方がそれを物語っている。ついて来ると言い出したのは詩織で、屋内競技場が使えない可能性を見越してついて来てくれたのが彩雅。ユウリと綾香のリフレッシュも兼ねていたのだろうが、もうこれ以上は妹分可愛さで付き合わせる事は出来ない。彩雅の要求は高くて多いが、それにだけに見返りも大きく多い。


「俺のフォームではなく、本当に意味があるのは何なのか。どうしてストライドの長い陸上部の連中がアンタに勝てないのか。どうすればその体を完全に使いこなせるのか」

「トモに、出来るかな?」

「やるんだ。俺達には椎葉智子アンタを教えてやれないし、アンタは椎葉智子アンタでしか居られない。材料と手段は与えた。あとはアンタ次第だよ」

「……うん! トモ、頑張ってみる!」


 満面の笑みで手を握ってくる智子、背後で息を呑む詩織。

 どうにも過剰反応しがちな後者に呆れつつも、ユウリはこれでいいんだろ、と彩雅に微笑み返す。

 自ら近づく事で智子を勢力争いに放り込んだ張本人に。

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