情け無用のスプリント 4
「椎葉の練習に付き合ってるのか?」
「まあね。俺みたいな素人に頼るってのはどうかと思うけどね」
「自己責任だ。椎葉のタイムの低下も、アイツ頼りの情けない部なのも、俺の負けもな」
「あっそ。今だから教えておいてあげるけど、俺はリレー以外の競技に出てないんだよね」
「そうか。俺は体も温まってないような奴に負けたのか」
「……随分物わかりがいいというか、すごく気持ち悪いね」
「まあ、なんだ。俺はお前に謝らなきゃならねえ」
「はぁ?」
「悪かったって言ってんだよ。お前の連れをバカにした事も、お前に言い掛かりも付けた事も」
「別に。アイツが悪人面なのは本当だし、俺ほどの美少年は妬まれるもんだからね」
殊勝な態度をとる森崎にユウリは気味が悪いとばかりに顔を顰める。一方的に勝負を挑んできた挙句、負けたら彩雅に近づくな。あの時の森崎は智子が懸念していたストーカーそのもの。もし利口な誰かに横槍を入れられていたなら、ユウリは余計な労力を割く事になっていただろう。
そんなユウリの戸惑いを察したのか、森崎は自嘲するように、それでいてどこか疲れたような笑みを浮かべる。
「姉がな、厄介な男に騙されたらしくて」
「厄介な男?」
「黒と金の逆プリン頭、両耳のピアスをしたアルって名前の美少年。それで、同じような見た目のお前に八つ当たりしちまったんだ。聞いてみれば名前も違えし、ピアスなんて簡単に増やせるし減らせる。艸楽が素行不良な一般生徒を氏家のそばに置くとは思えねえし、アリバイ工作をしようにも椎葉じゃ使い物にならねえ。完全に俺の勘違いだったんだよ。最近姉の様子がおかしくてちょっと焦っていたみたいだ」
だから、と下げられた森崎の頭を見つつ、ユウリはどうしていいか分からず、困ったように左手をピアスへと伸ばした。
それ、実は、俺です。
ツートンの髪をスプレーで黒く染め、ピアスの数を減らしたのはつい最近で。アルはユウリが相手ごとに使い分けていた偽名の1つで、容姿は自他共に認める美少年。
つまり、森崎仁の姉――森崎奈津美は青山のシェアハウスに住む前にユウリが世話になっていた1人。奈津美がユウリをアルとして認識していた事が何よりの証拠。森崎が極端な短髪で特徴的な髪質には気付けなかったが、見れば見るほどに顔の特徴は似ている気がする。
強運と言うべきか、悪運と言うべきか。ユウリは1度も自分はアルではないという嘘をついてはいない。正確にはアルだと認めても認めなくても、それは嘘であり、同時に真実にもなりえるのだ。とはいえ、上手く嘘をつける自負はあっても、彩雅という何から何まで底知れない相手に真相を見透かされない自信はない。賢明に語る事は困難だが、賢明に沈黙する事は容易い。制服一式と携帯電話と多くはない金だけを持たせて好きにしろと言ったのは陳なのだ。護衛として問題があったのは認めるが、シェアハウスの場所すら教えなかった陳にも問題はある。
「実はな、記録会が近いんだ。他の部員みたいな一般生徒ならともかく、俺達みたいな特待生は結果を出さなきゃならねえ」
「アイツ、そんなにまずいの?」
「勝手にナーヴァスになってやがる。あれだけの差を覆されたのがショックなのは分かるが、それを引きずってタイムを落とすのは違えだろ。元凶を頼れる辺り、肝だけは相当据わってるはずなんだがな」
ようやく頭を上げた森崎はグラウンドの方へを視線を向ける。熱の入った綾香が竹刀で地面を叩き、スパルタな教育方針に智子は涙目で全力疾走。一見するといわゆる"可愛がり"のようにも見えるが、心なしか智子が速くなっているようにも見える。努力を信奉する綾香が恐怖まで取り入れた教育を施し、わずかでも結果を出し始めたのだ。ユウリと森崎にあの怪物を止める事など出来るわけもなく、唯一の切り札の仕事が増えてしまった。そこはシェアハウスの家長兼、レインメイカーのリーダー兼、姉貴分として収めてもらうしかない。
「そもそもなんだけどさ、何で屋内競技場を使えないの。わざわざ金を使ってでもそちらさんらを呼び寄せたってのに」
「さっきも言っただろ。うちの陸上部はアイツ頼りの情けない部だって」
「なるほど、笑えるね」
リレーのような団体競技ならともかく、陸上競技のほとんどは個人競技で、森崎のような特待生の先輩でも持て余す智子の才能。それは頼もしい仲間でもあり、疎むべき敵でもあるのだろう。ユウリは部のシステムを理解していないが、施設の使用許可を部長を通して学校から取るのなら妨害は容易い。人の好い智子の事だ。事情があって許可が下りなかったとでも言えば信じてしまうだろう。
「それで、椎葉が俺につきまとうように仕向けたんだ?」
「……バカなくらいに無鉄砲で、バカなくらいにひたむきな後輩だ。放っておけるわけがないだろ」
じろりと睨みつけて来るユウリの視線に、お前には悪いが、と森崎はがっくりと肩を竦める。
レクリエーションでハッキリしたが、一般生徒と特待生は支配する者とされる者。どれだけ優秀であろうと特待生では政治力を持つ事は出来ない。たとえ人の言葉を理解できても、どれだけ群れてもペットはペットでしかない。
だが一般生徒として編入し、レインメイカーの3人以外と関わりを持たなかった編入生なら話は別だ。明神綾香と同じクラスに所属し、氏家詩織に慕われ、艸楽彩雅には目を掛けられている。3人の飼い犬か、3人の番犬か。もしかしたら、部活でのスカウト合戦も不知火ユウリという不明因子を取り入れる事で政治力を手に入れようとした賭けだったのかもしれない。屋内競技場を使えなかった事さえ、炎天下での練習にユウリと綾香を突き合わせた事実になる。皮肉にも、一般生徒のヒーローとなったユウリを利用せざるを得なかったのだ。
「でもさ、俺じゃなくてもいいじゃんか」
「言いたかねえけど、艸楽に助けを求めても無駄なのは氏家が証明してるし、教師や生徒会はクソの役にも立たねえし、俺より速く走れる奴なんてお前以外に知らねえ。勝手な事を言うが、椎葉の事をよろしく頼む」
信頼を捨て、侮られてでも。同じ特待生としての連帯感からか、それとも同じ経験からの憐憫からか。理解する気はないが、智子は何の思惑も抱かないままにユウリを身内のように扱い、周りも智子をユウリの身内として扱うだろう。
面倒な事に巻き込みやがって。口を突きそうになる言葉を飲み下すも、ユウリは思わず舌打ちをしてしまう。
智子がユウリと近しいという事になれば、智子を利用すればレインメイカーの3人と近づけるのではないかと誤解されかねない。森崎はそこまで考えもしなかったのだろうが、何の悪気もない智子が3人に害をなすかもしれないのだ。
「ヌイヌイ先輩! お弁当作ったって本当!?」
「お呼びだぜ、ヌイヌイ先輩」
「うるさいな。俺はもう行くからね」
「それと、今だから教えておくが、俺の担当競技は棒高跳びだ」
「……アンタもさっさと行けよ、クソ野郎」
ユウリの苦悩など知るよしもなく、智子は両手を振ってユウリを呼び、森崎はその光景にクスクスと笑う。こんなにも生意気で悪知恵の働くユウリでも、恐いもの知らずの智子には敵わない。さっきまでの涙目はどこへやら、森崎の事など眼中にもない智子の姿は走る姿と同じように奔放ではつらつとしているよう。
はいよ、と肩を震わせて去って行く森崎に背を向けて、ユウリは森崎に背を向けてポケットから取り出した携帯電話を自販機に当てる。
この学園に居る限り、この任務を続けている限り、もう逃げる事は出来ないのだろう。
「やるしかない、か」
誰もが無垢で居られないなら、気付かれないように火をつけるだけ。
いつだってそうして来たように、これからもそうしていくだけ。




