思い違いのランデヴー 6
「恥を知って下さい。女の子に男の格好をさせるなんて」
「ちょっと待ちなさい。本当に待ちなさい」
謂れのない罪。謂れなどある訳がない罪に彩雅は戸惑うよりも先に言う。
不知火ユウリは男。確認こそした事はないが、疑った事もない。栄養満点の食事と優良な生活環境のおかげで乾燥していた肌は艶を取り戻し、一時はレインメイカー3人の髪を整えていた彩雅によって髪は2色の髪は艶々と輝いている。女泣かせの美貌を持っているとはいえ、3人が知る限り不知火ユウリが男である事は間違いない。確かにそう思っていた。
「さっきからずっとこの調子なんですよ」
「だって! 男を必要以上に近づけない艸楽先輩の近くに居るじゃないですか!」
「だから、 俺は女みたいに美しいんじゃなくて、女以上に美しいんだって」
それでもと食いついてくるドミニクに、ユウリは疲れ果てたように両手で顔を覆う。
確かに、艸楽家の後継ぎとアイドルという立場から必要以上に異性を近づけはしなかった。派手な見た目と明神と近しい家柄からアプローチはレインメイカー結成前から多く、蓮華や智子のような女子生徒とばかり交流を持っていた。女子だけのコミュニティには特有の緊張感こそあるものの、幼い頃から社交界と関わりを持っていた彩雅からすれば可愛いもの。大きな心と器で受け入れてやれば、相手も心を開いてくれる事も多かったのだ。
しかし、ドミニクはそうは考えなかった。
艸楽彩雅は無類の女好きで、その趣味の一環で不知火ユウリという美少女に美少年としての振る舞いを強要している。どうにも性を錯覚し、倫理が倒錯する誤解だが、ドミニクは本気でそう考えている。
だが、と彩雅は思う。
ユウリがもし女なら、ユウリにラブレターを送ったドミニクは、と。
「あ、あの、もしかして、り、リシュリューさん、ですか?」
おっかなびっくりといったような詩織の言葉に、彩雅は思わず表情を凍りつかせてしまう。
リシュリュー。聞き覚えあるような、聞いたことがあるだけのような。何とも言えないその名前に、彩雅の手が自然と頬に添えられる。明神氏家艸楽の3家と関わりのある家の姓は全て。それ以外もなるべく覚えるようにしていたが、リシュリューという女子生徒など彩雅は知らない。
それもそのはずだ。
そもそも、ドミニク・リシュリューなどという女子生徒など存在しないのだから。
「そうだよ。不知火さんに僕の想いを分かってもらうために同じ土俵に立ったんだ」
「知ったこっちゃないって話なんだけどね。他は分からないけど、そちらさんはとにかく気持ち悪いし」
高い身長。たくましい骨格。ボブヘアから覗く少し角張り気味の中性的な面立ち。ドミニクが男子である事実を知れば知るほど、ユウリよりもと枕詞のつくそれらが際立ってくるよう。ドミニクという名前は男女どちらにもつけられ、自身を美少年と言って憚らないユウリならなおさらだ。女に間違えられたあげく、女のふりをした男に思いを告げられた。プライドはなくとも、自尊心の強いユウリには耐えがたいのは間違いない。
事実、ユウリの表情には疲労が強くにじみ出ていた。
「大体さ、この広い背中を見れば男だって分かるだろうに」
「せまいわよ。猫の額って言葉が使えなくなったらアンタの背中でたとえても良いくらい」
堂々と両腕を広げるユウリに綾香は眉を顰める。サマーカーディガンの上から見ても分かるほどにその背中は華奢。そもそもそうでなければ綾香でも同年代の少年を持ち上げる事などできなかったかもしれない。強く否定出来ないのはここ数分で見せられた光景のせいだろう。絵に描いたような自業自得である。
「なら、この喉仏とか」
「そ、それほどに、痩せていれば、女の人でも出てしまうのでは?」
自分の首に指を差すユウリに、詩織は申し訳なさそうに言う。先ほどの話の続きになってしまうが、痩せてさえいれば女でも喉仏は出る。ユウリの華奢な体が魅力に溢れていても根拠には乏しい。その感想には誰かの個人的な見解によると言う文言を添えておく。何のため。念のため。
「……この甘いマスクは?」
「本当にきれいよ。中性的で」
ダメで元々と思っていたのだろう。ついに肩を落とすユウリに彩雅は素直な意見を述べる。
そもそもユウリ自身が中性的な美貌を自覚して、女よりも美しいとのたまっているのだ。否定材料になる要素など1つもありはしない。
しかし、あくまでそれらはドミニクを含めた4人の以外の意見。一昔前の汗臭く暑苦しい男性像には程遠くとも、ユウリの自己評価とも程遠い。
なぜなら、とユウリは庭園のタイルをまっすぐ見下ろした。
「胸だってこんなに平たいのに……」
「それを言ったら、明神先輩は男って事に――」
瞬間、ドミニクは言葉を途切れさせてしまう。途切れさせられてしまう。
誰もが視線を逸らして押し黙る。音の全てを失ったような錯覚の中で、意味もなく育ったいかり肩がミシミシと音を立てていた。
いつのまにか背後に立ち、肩を掴んでいる綾香の手によって。
「……なんて言った?」
俯いたままぼそりと呟く綾香から、ユウリは詩織と彩雅を背にしてさりげなく距離を取る。
脳裏によぎるのは、先日のキュリオシティキラーでの光景。度の過ぎた三白眼を更に吊り上げる和紗。そして、詩織を引きずって詰め寄ろうとする綾香。
端的に言うならば、やばい。
「み、見た感じ変わらないんですよ。不知火さんは女の子っぽくはないですけど、明神さんはいっそ男らしいっていうか――」
命が惜しくないのか。正気とは思えないドミニクの言葉に詩織はあわあわと口元を手で覆う。
目前に押し迫ったタンクローリー。降りかかる土石流。厨房のスティーヴンセガール。
引くに引けなくなってしまったのも、それでもと思う気持ちも分からなくはない。だが、自暴自棄になるには人生は長く、人命は儚い。少なくとも綾香は災害と違い、避ける事が出来たのに。
「あなた方がしらばっくれるならそれでもいい。愛に障害はつきものだ。僕はこの壁を乗り越えて不知火さんと――」
「誰の胸がサバンナの大平原ですって!?」
「……え?」
「誰の胸がゴール前のプレイ向きのほぼ筋肉胸よ!? 普通の人が鳩胸なら明神さんは鷲胸ねって意味わかんないわよ!? 柔道をやれば襟をつかみに来た手をはじけるってどういうつもりなのよ!?」
「え、あ、あの、そこまでは流石に――」
「アンタには分かるわけ!? 小学生の妹分に追い抜かされる気持ちが、アヤちゃんは形が良いからって姉貴分にぎりぎりの慰めをされる気持ちが!?」
なんとか弁明をしようとするドミニクを黙らせるように、綾香はドミニクの顔に正面から手を添える。口と鼻からは熱い息が漏れ、前髪から覗く目は爛々と煌めいている。
シンデレラバストという単語は綾香の周りでは流行らず、衣装を作る度にラブリエには肩を優しく叩かれる。挙句の果てに妹分に胸が成長した事を遠回しに相談されてしまった。流れ弾のようなカミングアウトに詩織は頬を真っ赤に染めるも、熱くなってしまった綾香の視界には入らない。これは全ての女性のための戦い。女子に間違えられたボディガードなど知った事ではない。バストの差がそのまま筋肉量の差という事もありえないし、ユウリが女子である根拠として自分の胸が使われる事はあってはならなかったのだ。
「この、女の敵がァッ!」
「ちょ、ちょっと待――」
くるみを砕いた時。重いキャビネットを引きずった時。瓦礫が崩れた時。
そのどれとも違う鈍い音がした瞬間、ドミニクの体から一切の力が抜ける。もがいていた手足はだらりと垂れ、助けを求めていた口も今はもう何も言わない。
決め手はアイアンクロー。良い子も悪い子も真似をしてはいけない。真似できるかどうかも試してもいけない。
「艸楽ってさ、インフラ関係の会社にコネってあったりする?」
「縁起が悪い事言わないでちょうだい」
流石に殺してはいないはずだ、と彩雅はがっくりと肩を落とす。
それはそれで魅力だと分かってくれない妹分。知らなかったとはいえ、セクハラじみた事を言った後輩。
馬鹿馬鹿しくも面倒くさいこの状況を思えば、冗談であったならと願ってしまう。
後日、綾香に勝ためにとドミニクがウェイトリフティング部に入った事も含めて。




