七難八苦のスチューデント 4
ピンと張り詰めた空気に、薄い唇の間から吐息が漏れる。
白いシャツの袖は型崩れするほどに強く掴まれ、冷え切った場の空気とは裏腹に柔らかなぬくもりが背中に押し付けられる。
しくじった。ユウリは胸中で毒づく。お互いの腹の探り合うばかりで、美緒の行先など考えもしていなかった。明治通りなど何度も通っているのに、代官山の路地裏にあるこの店だって知っていたのに。
キュリオシティキラー店内。以前通されたフロアとは違うそこで、ユウリは振るえる詩織を背に隠して途方に暮れていた。
綾香はあきれたように、詩織は怯えるように、彩雅は困ったように。3人とユウリの視線の先には2人の女。
吐息が掛かりそうなほどに近くで顔を突き合わせている2人は和紗と美緒。和紗はいつかのように全力でメンチを切り、美緒はどこ吹く風とばかりに微笑んでいる。可哀そうに。偶然出会えたユウリに運命を感じて数秒後、詩織はすっかり怯えきっていた。
「制服姿のガキを学校帰りに連れ回すんが正しい言うんか?」
「少なくとも、子供の前でそんな言葉づかいをするよりは。子供の見本になるのは大人の義務でしょう?」
アンタみたいな大人にだけはならない。なってたまるか。
口には出さずとも、表情が雄弁に語っていたのだろう。
美緒はやんわりと詩織の手を引きはがし、ユウリを懐へと抱き寄せた。
「この子の保護者同士、仲良くしましょうよ」
「黙れ。ほんまじゃったらうちが出るはずだったんじゃ。おどれが横からかっさらわんかったらのう」
「ユウリは私が来て良かったと思っているんじゃないかしら。公務員の方がいろいろと話が楽だったもの――それに、今日の事を許してくれたのは、あなたのお嬢様よ?」
「そういう事かよ……」
してやったりとばかりの美緒のカミングアウトに、ユウリと和紗は顔を顰める。
どういう取引があったのかは知らないが、彩雅は美緒がユウリの親戚として星霜学園内に入れるように取り計らった。和紗と白井を護衛代わりとして自分達につけ、ユウリが何の心配もなく3者面談に応じられるように。狗飼美緒という人間を脅威と判定したのか、
自分の進路を心配されている。そんなバカげた事を考えるほど、ユウリは自惚れていない。事実がどうかも知らずに。
だが、それだけの成果はあったという事なのか。彩雅はいつも通りの微笑みを浮かべて美緒に頭を下げていた。
「その節は、大変お世話になりました」
「別にいいのよ。私は大人としての義務を果たしただけだから」
相手の出方を窺うような、隙を見せれば文字通り人を食うような。人誑し対愉快犯のやり取りを冷めた目で見つつ、綾香は右往左往していた詩織を連れてその場を離れる。
ユウリが巻き込まれる分には勝手に対処するだろうが、詩織に出来る事と言えば激流に流される事だけ。荒波の根源が姉貴分となれば、綾香にさえ出来る事などない。ユウリが女同士に取り合われる事はあっても、どちらが保護者として適格かという理由で争われた事はなかったとしても。
だから、さっさとなんとかしろ。
そう言わんばかりの鋭い視線を受け、ユウリはため息をついて美緒の袖を引いた。
「あら、どうしたの?」
「用事があるんでしょ。制服で寄り道してるのを見られたくないし、さっさと終わらせようよ」
3人は私服に着替えているが、ユウリは制服のまま。夏服とは言え、星霜学園の制服は嫌でも目立つ。幸運にもマネージャーとしての不知火ユウリを知る愛理恵は居ないが、あまり長居をしたくはない。彩雅の目が一切笑っていない事だけが気掛かりだが、今はそんな事に構っている余裕もない。そもそも、ボディガードである自分に居場所を知らせていない事自体が問題なのだ。彩雅と美緒、あるいは和紗と美緒の相性が悪かろうとも、顔を合わせずに済んでさえいれば問題など起きなかった。
しかしそんなユウリの苦悩に気付きもせず、あるいは気付いたからこそ、美緒は首を横に振った。
「気持ちは嬉しいけど、出来ればあのショートカットの女の子と鉛地さんに付き合って欲しいの」
「どうしてウチらが付き合わなあかんのじゃ?」
「部下の誕生日に服を贈ろうと思ったのだけど、あの子のセンスは理解してあげられないし、私のセンスでは若者に合わないかもしれないから。だって"サムタイムス寝坊"なんて書いてある鞄を使う子なのよ?」
「そういう事を言っとる訳じゃない。おどれのわがままなんぞに付き合ってやれんけえ言うとんじゃ」
和紗は眉間に深い皺を刻み、肩をいからせて美緒に歩み寄る。名乗った覚えもなければ、綾香に近づかせる理由もない。先にケンカを吹っかけた和紗に問題があるが、だからと言って気安く慣れ合う理由もない。
和紗は、引き続きユウリの保護者代理として3者面談に臨むつもりだったのだ。
ユウリの代わりの護衛として選ばれたから3人を優先し、語られなかった彩雅の思惑に乗っただけ。思考停止気味だった事は否定できないが、彩雅の策略にいらぬ手を加えたくなかった。和紗がまざまざと見せつけられて来たその手腕は、トライトーンレコードという1つの会社をつくらせるものだったのだから。
いざとなればやる。度の過ぎた三白眼の鋭い視線を受けつつ、美緒は和紗から順に全員を見回して平然と言う。
「ぴったりなんだもの。身長が同じくらいで、胸の平たさも同じくらいで」
「ブチ回したるぞ、こんクソ女ァッ!」
体の前で腕を組んで、自分達にはない豊かさを見せつけてくる美緒。この瞬間に完全な敵となった美緒に、和紗は唾を飛ばす勢いで怒鳴りつける。
ゆったりとした服でシルエットを隠している詩織。写真のチェックで何度も体のラインを見て来た彩雅。確かに2人に敵わない事は理解していたが、赤の他人に笑い半分で言われるような事ではない。
「良いじゃない。浴衣とか似合いそうで羨ましいわ」
「なしてそないな胸なし女に掛けられる唯一の慰め言うとんじゃこんあほんだら! 誰がマントル貫通級の胸なしじゃボケェッ!」
「……そこまでは本当に言ってないわよ?」
完全な偏見を口にして本気で怒り始めた和紗に、本気で憐みの目を向ける美緒。心から関わり合いたくない修羅場から目を逸らして、ユウリは左手で顔を覆う。黒革で半分が隠された視界に映るのは、ユウリと同じように2人と距離を取る彩雅。
どうして。そう尋ねたい事はたくさんある。
だが今は羽交い絞めにする詩織を引きずりながら、シャレにならない柄のシャツを手に美緒に歩み寄って行く綾香の止め方。今はただ、それを知りたかった。
「それで、若い子に買ってあげるならどんな服が良いと思う?」
「そがん事決まっとる――龍虎のスタジャンじゃ」
「だよね!?」
「アンタらは2度と人の服に口を出さないでね」




