視野狭窄のペシミスト 1
最近はこんなのばっかりだ。胸中で毒づきながら、ユウリは購買で買ったパンを片手に庭園の奥にあるサロンの入り口を睨んでいた。
5月の陽気は黒を主体にしたブレザーには熱く、ワイシャツの首元とネクタイは緩められている。そのだらしない様子に、庭園で昼食を取っていた生徒達は顔を顰めていた。暑いというのに手袋を嵌めたまま、その上校則で禁止されているピアスをたくさんつけた転校生は、上流階級の生徒だけの星霜学園にはあまりにも異質だったのだ。そのせいかユウリは事あるごとに学年主任である蘭響子にピアスの事と遅くまで学校に残っていた事を注意されていた。
もちろん非はピアスを外そうともしないユウリにしかない。オーナーの口添えで星霜学園に編入したユウリに注意出来る蘭は、誰がどう見ても教師の鏡でしかないのだから。
「お邪魔するよ」
形の変わり始めたパンに一瞥くれたユウリは、ノックもせずに扉を開けて無遠慮にサロンへと踏み込む。
天井のガラスから差し込む日の光に照らされた、品の良さと穏やかさを感じさせる室内。中央に置かれた流麗な細工が施された円形のテーブルには、開けられたままの小さな弁当箱が置かれていた。
こういった面倒も仕事の内だと理解はしているが、面倒がないのがベストな事は変わりはない。
ため息をついたユウリは、手に持っていたパンをテーブルに放って室内を見渡す。円形のサロンは少人数で使う事を想定されたのか、決して広いとは言えず、ユウリはすぐにお目当ての人物を発見した。
柱とあらゆる私物が置かれている棚の影で、頭を抱えてしゃがみこんでいる女の背中を。
「……どうして、こう面倒な感じになるのかな」
震えている小く丸まった背中を見下ろしながら、ユウリはこれ以上怖がらせてしまわないように距離を取る。
ピアスの件で響子に捕まっていたユウリはもうゆっくり摂れる昼食を諦めているが、護衛対象にまでそれを強要する事は出来ない。これ以上護衛対象を追い詰める事は出来ないのだから。
「どうせ話す気もないと思うから一方的に名乗らせてもらうね。俺は不知火ユウリ、陳から聞いてると思うけどアンタらのボディガードだよ」
掛けられた言葉の意味を理解しているのか、いないのか。小さな背中はビクリと一際大きく震え、次第に震えが収まっていく。戸惑いはあるだろうが、その様子には陳の名前の大きさをユウリに理解させる。綾香の口添えもあるのかもしれないが、その厚意を無駄にするだけのルックスをユウリはしていた。
「今日は義務としてアンタと顔を合わせに来ただけだから」
邪魔したね、とユウリがテーブルに放ったパンに手を伸ばしたその時、しゃがみこんでいた少女がゆっくりと立ち上がり、柱の影に隠れながらも顔だけを出してユウリの様子を窺っていた。
身長は比較的低いが、起伏に富んだ体のシルエットを隠すような大き目の制服、その胸元を飾るのは1年である事の証明である青いリボン。それと同色のヘアバンドを着けた真っ直ぐに降ろされた濡れ羽色の長髪。繊細な印象を線の細さを隠すように前髪はまっすぐおろされ、そこから覗くのは青みがかった黒い瞳。
その少女こそ、ユウリの護衛対象である氏家詩織だ。
「なんか用?」
物怖じしない綾香とは全く違うその様子に戸惑いながら、ユウリは目を合わせようともしない詩織に問い掛ける。
余計な事をしないでくれればすぐにでも出て行ったが、探るような視線を向けられてしまえばそうはいかない。ユウリの仕事について対象がどこまで理解してくれているか、それだけ状況は大きく変わるのだから。
「あ、あの、ボディガードって本当ですか?」
「悪いけど言いたい事がよくわかんないよ。何と誰を疑ってるわけ?」
「郭さん、の事は?」
「……知らないけど、事情はなんとなく分かったよ」
恐る恐る問い掛けられた名前に事態を察したユウリは肩を落とす。
昨日の放課後に上級生達に食って掛かっていた綾香は、あの子――氏家詩織に八つ当たりをするなと言っていた。誰も居ないサロンで昼食を1人で摂り、見知らぬ客人に怯えていた理由はそういった事なのだろう、と。
しかしこうして詩織が怯えている以上、"八つ当たり"は続いているだろう。
どうすればいいのだろう、とユウリは思案するように顎に手をやる。
学園側の配慮で綾香とは同じクラスになれたが、学年の違う2人についている事はユウリには出来ない。昨日のように暴力的な手段に出てくれれば対応できるが、陰湿なハラスメントに対してユウリが出来る事は少ない。トラップを仕掛けて撃退する事は出来ても、その後の安全を完全に保障する事は出来ない。昨日の実力行使に至っては事実の隠蔽を行った陳に注意を受けているユウリに迂闊な事は出来ない。