咬牙切歯のフェイスレス 1
「ざまあ、みろ。ざまあみろ、だよ」
震える唇からかすれた声が漏れ、遠くに喧騒を感じる校舎裏に消えていく。
視線の先には1人の女の死体。美しく整っていた顔は焼け爛れ、起伏に富んでいた体はズタズタに裂かれ、血に濡れた仕込み刀は鈍い光を湛えていた。
「愛してるとか、笑わせるなよ。アンタもアイツらも、俺の事なんかどうでもいいくせ、に」
困惑と苛立ちから咳き込んだ体が跳ね、華奢な背中をコンクリートの壁が打つ。薄い唇の端からは血が滴り、赤い泡がはじけて散る。
少年は女の技術と力を利用し、女は少年の可能性を利用した。
そこに信愛の情はなく、あるのは計算と一方的な憎悪だけ。それだけだったはずだった。
それでも、と少年は切り捨てたはずの感傷に震えるため息をつく。
こうしている間にも体は耐えがたい熱と痛みに犯され、白かったワイシャツは赤黒く染まっていく。近づいて来る明確な終わりに、少年は自嘲するように口角を歪め、ゆっくりと目を閉じた。
瞼の裏に浮かぶのは、大事な人を喪ってしまう恐怖に狼狽していた少女。
胸の刀傷も、大きな火傷も、いずれは自分を殺してしまうだろう。
この結末で良かったのかは分からない。この結果が命に見合っているのかさえ分からない。
それでも、不思議と後悔はなかった。
少なくとも、少年は思うままにやり遂げたのだから。
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鼻腔をくすぐる炎と灰の匂いに、少年はゆっくりと目を開く。
雑に切られた髪は塗り潰されたように黒く、そこから除く耳には複数のピアス。鋭い目つきに向こうで煌めく瞳は琥珀色。浅黒く焼けた肌の顔は野生の獣のように痩せこけているが、男性らしからぬ線の細さと中性的な美しさを湛えている。
少年はナイフの柄を握り直し、ゆっくりと辺りを見渡した。
夜闇に沈む南スーダンの郊外。レンガ積みの家屋の残骸達を揺れる炎が照らしている。酒に浮かされた男達の声は爆音で消し去り、聞こえてくるのはパチパチという炎の弾ける音だけ。
散乱する死体達と漂う肉の焼ける匂いに顔を顰めた少年は、黒い革の手袋をした左手でポケットからタバコを取り出す。
しかし折れ曲がったタバコを咥えてポケットをまさぐるも、失くしてしまったのかライターの気配はどこにもない。仕事終わりの一服を楽しみにしていた少年は、足元で転がるタバコ好きだった男の死体を蹴り飛ばして舌打ちをする。おそらく少年のライターは男に盗まれていたのだから。
「ライターをなくしたのならそのまま禁煙してしまうといい。タバコは百害あって一利ないのだから」
突然掛けられた男の声に、少年はその場から飛び退りながらナイフを構えて振り向く。
身長が高いとは言えないが、鍛え抜かれた痩身は、限界が近いのかふらついており、白兵戦を行える自信はない。
だからこそ少年は絶対に生き残りが出ないように、些細なミス1つ許さぬようにやるべき事を果たしたつもりだった。
「忠告をしただけだというのに、随分な歓待振りじゃないか」
投げ掛けられた流暢な"日本語"に、胸中で増していく不安と緊張から少年の顔がゆがむ。
確かに、全員殺したはずだった。誰1人として逃す事がないように綿密な計画を立てた。タイミングと方法に誤りはなく、確実に全員を殺したつもりだった。
だというのに、荒野に似合わないスーツ姿の男は涼しい顔をしてそこに立ち、流暢な"日本語"で話しかけてきたのだ。
「未だに日本語を覚えているとは、大した執着心だよ――ユウリ・レッドフィールド」
「……参ったな。いくら俺が美少年だからって、アジアから追っかけて来るなんて」
歪んだ顔に警戒を隠すように笑みを張り付け、ユウリと呼ばれた少年は日本語で答える。
灰色のスーツ、黒髪、エメラルドような緑色の瞳の東洋人。虐殺現場とは程遠いはずのその人物は表情を崩すこもなく、平然と自分を探し当て、誰にも明かしていない名前を言い当てた。その事を考えれば、狙われるだけの理由を持っている少年が警戒するのも無理はない。