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自作小説倶楽部 第12冊/2016年上半期(第67-72集)  作者: 自作小説倶楽部
第72集(2016年6月)/「夏至」&「恋人」
33/35

07 かいじん 著  恋人 『龍ノ口城の事』

 永禄4年(1561)春、備前国

     ・・・

 桜はもう散ってしまったが新緑の芽吹いた山々を照らす陽光は穏やかで、辺りには駘蕩とした風景が広がっていた。

 備前北部の山々の間をくねる様に南に流れる旭川に沿った道を、龍ノたつのくち城主、穝所さいしょ元常は帰城のために供の者達とゆったりと馬を進ませながら下って行った。

 旭川の東岸にある、龍ノ口山の麓に辿り着いた時には既に西の空は茜色に、暮れて、龍ノ口山も城もその残照に染まっていた。

 不意に川岸の茂みの方から哀しげな音色が聞こえて来た。

 昨日、城に居た時にも同じ刻頃に城下の川の方角から同じ音色が聞こえて来た。

(一体、何者が吹いているのであろう)

 元常は興味を覚えて馬を降り、川岸の方に向かって歩いて行った。茂みの影に刀脇差の少年が一人で佇んでいた。まだ元服しておらず。年の頃は十五ばかりと見ゆる。少年と目が合った時、元常は目を瞠り思わず息を飲んだ。

(これほどの見目良き美童はこれまで見た事が無い)

「御辺はこの辺りの者とは思われず。いかなる者ぞ」

 胸が高まるのを抑えながら元常は尋ねた。

「私は……」言い淀んで睫毛の長い目を伏せる、その仕草が元常には、艶かしく映った。

「ワシはこの龍ノ口の城の主、穝所元常じゃ。何やら仔細がある様じゃが、ワシに申してみい」

 諭す様な優しい声音で元常は言った。

「私は岡清三郎と申す者でございます。実は仕えていた主に身に覚えに無き事で成敗される所を、手引きしてくれる者があり捕われる前にここまで逃れる事が出来ました次第で御座います」

「御辺の主とは?」

「沼(亀山)城の宇喜多様に御座います」

 今、備前は東を領する天神山城の浦上宗景、西を領する金川城の松田元堅が相争い、浦上方の宇喜多直家と松田方の穝所元常は敵同士であった。

 昨年、この龍ノ口に宇喜多の兵が寄せて来たが、元常は城から打って出てこれを迎え撃ち、辛くも退ける事が出来た。

「ここは左近(松田)様の、御領地とは申せ、この辺りにも追手がかかるやも知れぬ故、私はすぐにでも何処かの遠国に参る積りで御座います」清三郎は言った。

 元常には、この目の前の美童とこの場でこのまま別れる事がいかにも残念でならかった。

「御辺は年端も行かぬ故、遠国へ流れ歩いて行くは難儀な事も多いじゃろう。我城内にては宇喜多の追手にかかる事も無いけえ。ワシに着いて参れ」元常は言った。

 この言葉に、元常の供として来ていた小姓、早川左門は驚いた。

「殿、あの様な胡乱なる者を城に入れるは無用心では御座いますまいか。ここは御料簡なされては如何かと」早川左門はそう言って諫めた。

「ワシが見し所、あの者にその様な野心があろうとは思えんのう。そう案ずる事もあるまあが」

「然しながら……」左門はなおも食い下がった。

「あの者を不憫とは思わんのんか。左門はものの哀れを知らんのか。武の家に生まれし者が情けを知らん言うんは恥ぞ」元常はそう言い張って諫言を退けた。

     ・・・

 その夜、岡清三郎は城内に室を与えられ、そこに寝んだ。

 城主、穝所元常は夜が更けるまで杯を傾けながら、清三郎の美麗な姿が脳裏を離れる事が無かった。

     ・・・

 明くる日、元常は龍ノ口城の東方にある宇喜多直家の居城、沼城下に間者を放ち、探らせた。

(城に仕えていた小姓、岡清三郎が城内で不義密通を働き、城主、直家は激怒して清三郎を成敗しようとしたが、岡清三郎は逐電した)城下ではそう言う噂が流れていた。

「あの清三郎の申す事に偽りはなかった」それを聞くと元常は安堵した。

 その夜、元常は清三郎だけを側に置き酒を飲んだ。

「かような巡り会わせになったるは、神仏のお導きなんかのう。この上は、その方はこの城にてワシに仕えるが良かろう」

「私の様な者にその様に言うて下さるとは、有難き仕合せに御座います」

 そう言って両手に捧げ持った徳利を差し出して元常の杯に注ぐ清三郎の身のこなしには何とも言えぬ艶やかさがあり、その姿に元常は酔いしれた。その日から、元常は毎日の様に夜は清三郎と時を過ごす様になった。

「主の勘気を蒙ったりとは云え、元は敵方の家中にあった者あまり心を許し過ぎるのは如何なものかと存じます」

 城内の老臣や、清三郎が来て以来、次第に元常の側から遠ざけられる様になった、小姓の早川左門、水野織之介等が様々に諌めたが却って疎まれた。

 元常は日毎に清三郎に心を移して行き、二月ばかりの時が流れてやがて盛夏の頃になった。

 その日、午過ぎから、元常と清三郎は暑気払いの為に城の北の川の流れを見下ろせる場所にある(涼み所)に行き、そこで時を過ごした。

 そこから見渡せる旭川の流れる麓の景色は強い日差しに晒されている。様々な事を語らい、杯を重ねる内に酔いの回った元常は清三郎の膝を枕にして眠り込んだ。

 その寝顔を見下ろしながら、岡清三郎は思案に耽る。今、自分にその身を任せている、主、穝所元常は武勇があり、情けも深く、詩歌もよくする、武者としては仕え甲斐のあるお方である。よき武者ぶりで頼り甲斐のあるお人に想われている事を果報に思い城に来てからの日々が仕合せなものであったと心から感じている。(しかし、私は……)清三郎は表情を曇らせた。

     ・・・

 二月前、沼城で清三郎は城主、宇喜多直家に密かに呼び出された。その場には、重臣の長船おさふね又三郎貞親もいた。

「我らは、先年より金川の松田と度々争って参ったが、金川城の南を塞ぐ龍ノ口の城は要害の地にありて、城主穝所元常に武勇あればこれを力攻めに落とすは、容易にあらず」直家は言った。

「ほいで、その事について又三郎と話をしようったんじゃが、又三郎が申すには、この穝所元常言うんは、ことのほか美童を好む言う話じゃが」

「元常がそう云う者であれば、かの者がその方を見たらきっと心を動かすじゃろうのう」直家はそう言って清三郎に意味ありげな笑いを向けた。

「そこでじゃ。ワシはその方を罪人に仕立てるが故、その方はこの城下を抜け出て、龍ノ口城下に行き、そこで元常に近づくべく工夫するんじゃ」

「ほいで、もし元常がその方を気に入り所望する事あれば、その方は元常に仕え龍ノ口城に奉公せよ」

「そして時を待ち、良い機会を得られれば」直家はそこで言葉を切り、清三郎は息を飲んだ。

「元常を仕物(暗殺)にかけよ」

「元常を討ち取りし時は恩賞浅からず」長船貞親が言った。

     ・・・

 清三郎は(涼み所)の周囲を見渡した。周りに人の気配は無かった。

 元常は相変わらず安らいだ表情を浮かべて寝息を立てている。

 清三郎はしばし迷った後、側にあった脇差をそっと引き寄せ鞘を抜いた。鼓動が高鳴り、額に汗が滲んだ。(何と因果な巡り会わせでありましょうや)しばし目を瞑り、周囲に満ちた蝉時雨を聞く。(元常様、御免!)次の瞬間、清三郎は目を見開き脇差を元常の胸元に突き立てた。

     ・・・

 元常の首を衣に包み、城から旭川の川岸に降りて行く険しいつづら折れの山道を清三郎は泣きながら走った。途中、上のほうから人の騒ぐ気配が聞こえて来た。川岸まで辿り付くとそこには元常が日頃、川遊びに使っていた小舟が1艘、繋がれている。

「清三郎、おのれはようも」振り返ると刀を抜いた早川左門が追い縋って来ていた。

 清三郎も刀を抜き、二太刀、三太刀と切り結んだ後、上段から切下げてこれを切り伏せた。

 その後、舟に飛び乗り棹を取って流れの沖へ逃れ、追って来た城兵達が舟を求めて右往、左往する内に、川下に舟を進ませた。しばらくして振り返ると夏の日の下、龍ノ口城が遠ざかって行くのが見えた。

     ・・・

 その後、沼城主、宇喜多直家は龍ノ口城を攻め之を落城させた。

 岡清三郎は、元服し岡剛介を名乗り、明善寺や上月城の合戦などで功を挙げたが、天正9年(1581)、宇喜多が毛利輝元の大軍に攻められた時備中、忍山城で討死したと云う(諸説あり)。

     了


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