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自作小説倶楽部 第12冊/2016年上半期(第67-72集)  作者: 自作小説倶楽部
第72集(2016年6月)/「夏至」&「恋人」
30/35

04 深海 著  夏至・恋人 『エクステル――創砥式7305――』

 今日ネコメさんが剣が直ったと知らせてくれた。

 工房に行ってみたらなんともまあすらっとした長身の剣になっている。

 黄金の狼姿の牙王が、よくやったといいたげにネコメさんを称える遠吠えをした。

 真っ赤な赤鋼玉で黄金竜をかたどった柄が実に見事だ。

 でも刀身が見事によみがえったのでもうリュックには入らない。

 しばらくは、自分の寝台のそばに置いておくことにした。


「そういえば明日は夏至ですね」

「あ、そうだった。やっぱりエティアの中央部でも、柱たてるのかな?」


 北の辺境のうちの村では、夏至柱を立ててその周りをぐるぐる踊る。

 ジャガイモや魚の塩漬けなど、ご馳走も食べる。

 ネコメさんは猫の姿のマオ族なので、エティアの習慣はよくわからないんじゃないかと思ったら。


「王宮前広場で立派なのを毎年建てますよ」


 屋台もいっぱい出されるそうだ。

 カーリンと牙王を連れて行ってみようか。

 それにしても。

 修理された剣はまだ眠っているのか、全く反応が無い。

 いつもならべらべらのべつまくなし、精神波で喋ってくるのに。


「いや、そんなそぶりは全然」


 ネコメさんに聞いてみたら、声などひとことも聞こえないという。

 でも赤鋼玉には傷はなさそうだから、しばらく様子をみることにした。  

 祭りを楽しみにしながら娘と暫定の狼奥さんが隣の寝台で寝入ったあと。

 俺は夏至の日に出すご馳走のレシピを考えながら眠りに沈んだ。

 まさか変な夢を見るとは思わずに――。



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 白綿蟲が舞っている。ふわふわふわふわ舞っている。

 夏の始めに、雪のように降ってくる虫だ。

 今日は夏至だと、母が言う。

 街で祭りがあるんだと。たらいでごしごし洗濯する手をとめて、私の頭をそうっと撫でながら。


「父さんが連れてってくれるよ。晴れ着を着てお行き」


 洗濯物を干した後。家の中に呼ばれて手渡されたものは、いつもの晴れ着と違った。

 襟にも裾にもびっしり花模様の刺繍がしてあって、中に着るブラウスは真っ白でおろしたて。袖にボビンで編んだレースがついている。白い被り物には大きなリボンがついていて、フェルトの靴にも、刺繍がびっしり。

 まるで花嫁衣裳――。


「食べていきなさい」


 夏至の祭りは夜にやるからと、早めの晩御飯を出された。

 いつもはパンだけなのに、母はチーズをとろとろに溶かして麦と炊いたシチューを食べさせてくれた。

 貧しい我が家では、チーズやお肉は、父だけが食べられるものだのに。

 それが母の精一杯のたむけだったことは、父さんに連れられて街へ入る前にうすうす気づいた。

 小さな弟や妹たちは母と一緒に家で留守番だったし。父はひとことも喋らず黙りこくっていたから。

 それでも街へいけるのがうれしくて、道端で小さな花をつんだ。

 夏至のお祭りには、広場に柱が立つ。みんな願いごとをしながら、その柱に飾りをつけると知っていたからだ。 

 街の広場はものすごい人だかり。街の人だけでなく、近隣の村からもたくさん人がやってきていた。

 広場の中央に立てられている柱は、針金で飾り杖のようにかたどられた、せいたかのっぽ。花がいっぱいつけられていてとてもきれい。

 楽団の演奏がどこからか聴こえていて。年頃の若者や少女たちがぐるぐる柱のまわりで踊っている。

「おまえも踊っておいで」と、父さんはひとこと言い残して酒場に消えた。 

 私は道端でつんだ花を柱に飾った。名も知らない小さな花だ。

 薔薇やガーベラに比べたらひどくみすぼらしいけれど、街の人たちのように花屋さんから買うお金が無いから仕方ない。

 これで家族みんなの健康や幸せを祈るなんて、虫がよすぎるだろうかと、手を合わせて拝むのをちょっと躊躇した。踊りの輪の中に入ろうかどうしようかと、広場のはしっこでぼうっと踊りを眺めていたら。

 知らない人に肩を叩かれた。


「マキウの娘ってあんたかい?」


 振り向けば、ものすごくお酒臭い人の後ろで父がうなだれていた。


「まあ、顔はかわいい部類だな。名は?」

「……」

「あー、呼び名だけでいいぜ。俺は持ち主にならねえ。仲買するだけだからな」

「赤猫……」

「よし、銀三本出そう」


 お酒臭い人に腕をつかまれ、私は広場から連れ出された。


「すまねえ赤猫」


 うつむく父の言葉を背に。


 こうして私は人買いに売られた。

 同じぐらいの年の娘が、自分の結婚相手を見つける日に。



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「ふわ?!」


 思わず驚いて俺は飛び起きた。

 何だろう今の夢は。

 自分が年端も行かない女の子になった夢とか、違和感ありすぎる。

 しかも妙に現実感たっぷりだ。

 首をかいて寝台の周りを見渡すと、そばに立てかけている剣の赤鋼玉がぴかぴか光っている。

 だが話しかけてこないから、剣の意識が目覚めた……わけではなさそうだ。

 首をかしげながら俺はばふんと、寝台に実を沈めた。

 とたんにまた、変な夢が始まった……。



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 ここ数年、近隣で子供が多い家では次々と年上の女の子が突然いなくなっていた。

 母は決まってこう言った。「お嫁にいったのよ」と。

 でも本当は、そうではないのだろう。

 たぶんみんな、私と同じ。

 村は飢饉続きで、うちは小作農。やっとできた麦は、ごっそり領主様にとられてしまう。

 だから父は一年の半分は、塩取りの出稼ぎに行っていた。

 ご飯は一日二回なんとか食べられたけれど、肉を食べていい父とは違って、私たちはいつも、パンと水だけだった。

 だから酒臭い人に放り込まれた「お店」で、牛乳や卵や果物が食事に出されたとき。


「これ……食べていいんですか?」


 私は目をまんまるくしてとてもびっくりした。


「もちろんよ。それはあなたの分」


 その「お店」はとても羽振りがよくて、女将はとても面倒見のよい人。使用人にもおなかいっぱい食べさせてくれた。 

 はじめのうち、私はそこで下働きをするだけでよかった。

 「お店」で働く女の人たちの衣類を洗い。食器を洗い。敷布やかけ布を、毎日何枚も何枚も洗う。

 時々血がついている布を見つけてどきりとしたけれど、それがなんなのかはこわくて誰にも聞けなかった。ここで十分食べていけるから、そのことにはわざと目をつぶった。

 女将は旦那様と「お店」の経営のことでしょっちゅう言い争っていた。

 意味が分からない言葉が多くて何を言っているのかさっぱりだったけれど、「お店」で働く女の人たちを守ろうとしている雰囲気が、なんとなく感じられた。

 でも女将は、しばらくして病気で亡くなってしまった。

 旦那様が毒を飲ませたのよ、という噂が店内でひそひそ囁かれて、とてもこわかった。

 それは、あながち嘘ではなかったのかもしれない。

 女将のお葬式の直後、私は旦那様の命令で下働きをやめさせられた。

 私も「お店」で働けという。

 その日以来。ご飯はいつもと変わらなかったけど、それに血のような真っ赤な色の飲み物がつくようになった。

 それを飲むと胸が焼けるように熱く、痛くなる。頭もぼうっとする。ろくに、歩けないぐらい。

 でも飲まないと、鞭で打たれる。


「とても高価な薬なんだぞ。おまえはずっと、このかわいい顔でいられるんだ」


 どうして布に血がついていたのか。

 女将がなぜ旦那様と言い争っていたのか。

 薬を飲んで「お店」で働くようになって、ほどなく分かった。

 私が飲んでいる薬は、体の成長を止めるもの。

 旦那様は大人になれなった私を、「お店」に来た人にこう宣伝した。  


『永遠の少女。不死のメニス』


 メニスはほとんど老いない種族。「お店」では混血の子を二人抱えている。

 でも本物で貴重なその子たちは、お姫様のようにとても大事にされていた。

 大陸法典で、庇護されなければいけない生き物だと定められているからだ。

 だから彼女たちのお客さんは吟味されつくして週に一度だけ。どの人も、やんごとなき人たちばかり。


「決して傷つけることのなきようお願いいたします。涙の一粒で十分、寒露の効力がございますので」


 旦那様はそう愛想笑いをする裏で、とても恐ろしいことをしていた。

 私のような二束三文の人間の娘を「メニス」にして。お金を出した人に、好きにさせる……。

 薬のせいでぼうっとしている私は、涙を流せと、何度も殴られたり、蹴られたりした。

 手足を傷つけられて、血をとられた。

 ギラリと光る刃物で、肉をこそげとられたり。髪を切られたりもした。

 なぜなら。

 メニスは不死の体を持っている。

 その血を飲めば。その肉を食べれば。不死になるといわれているから――。


「お前本当にメニスなのか?」

「あんまり血が甘くないなぁ」

「でも体臭はすごく甘ったるいぜ」


 一体何人の人に、傷つけられたのだろう。

 痛いはずなのに。血がどくどく流れているのに。

 薬のせいで頭がぼうっとして。ぜんぜん、抵抗できなかった。

 悲鳴さえ。

 出すことが。

 でき。

 なく……て……。



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 キン キン キン キン


 打つ。打つ。赤い光。


 キン キン キン キン


 打つ。打つ。金の床。


「どうですかネコメさん」

「うーん。この赤鋼玉に異常はなさそうだけれど。これはルファの目と同じものだね」

「ルファの目?」


 夢を見た翌朝、俺はネコメさんがいる工房へ駆け込んだ。

 なんだか夢で見た自分――女の子の感覚がとても生々しすぎて、これは何か実際に起こったことじゃないかと思ったからだ。

 つまり剣の精神波が、俺に変な情報……いや、記録を流し込んでいるんじゃないかと。

 推測したとおり、剣に嵌っている赤鋼玉には、膨大な情報が詰め込めるのだという。


「それが漏れてきているんでしょうかねえ。でも壊れている、というわけではなさそうです」

「はぁ。そうなんですか」


 昼に娘と牙王と一緒に夏至祭りに行ってみた。

 広場に入ったら、背の高い夏至柱が立っていて、周囲は人山の黒だかり。

 夢で見た柱よりも立派で大きく、つけられている花も見事で感心しきりだったが、夢の中の女の子が気になってぞくりとした。

 あの女の子。

 かつて本当にいたのだとしたら、どうなったんだろう……。

 屋台で仕入れた果物を大量に買い込んで、夏至のごちそうはジャガイモクーヘンとベリージュレ、それから低地魚のから揚げを作った。

 赤毛の女の子たちも銀枝騎士団員も大喜び。狼たち用に作った特大腸詰めも大好評。

 俺の主人であるウサギにニンジンジュレをつけてやったら、ウサギはでれぇと溶けていた。


「柱の周りで踊ってきたか?」


 ウサギが聞いてきたので、そうしたと答えると。


「うへへー。あそこで一緒に踊った男女は、将来結婚するっていわれてんだぜー」 


 ウサギはにやにや。俺は真っ赤になっていまだ狼姿の牙王を見やった。

 いやほんとに、そうなるといいんだけど……。

 カーリンと一緒に厨房で皿を洗って片付けてて自室に戻ったら、見回りから帰ってきた牙王がたちまち麗しいディーネの姿になった。


「パパ! ママ!」


 なんだかんだいって、俺たち家族は幸せだ。

 夢の中のあの女の子は……こんな幸せはとてもつかめそうにない。

 寝台に立てかけた剣は、いまだだんまりだけど。

 今夜も、夢を送ってくるのだろうか―― 



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「あ……ここは……?」


 ある日目覚めたらそこは、いつもの場所ではなかった。

 ずっと閉じ込められていた、窓の無い牢獄のような部屋とは違って、円窓がいっぱいあって、とても明るい部屋。

 私はふかふかのベッドの上にいた。手足にはぎっちり包帯を巻かれていて、とても薬くさい。

 周りは本がいっぱい。地球儀みたいなものもいっぱい。金属の動物がそこかしこにいる。

 ウサギにネズミ。犬に猫。それから小鳥。棚に目玉のような宝石がいっぱい並んでいて一瞬どきりとした。

 寝台の上できょろきょろしていたら、赤い髪の女の子が蜂蜜やパンや果物を持ってきてくれた。

 ここは、塔の中だという。

 お父様が階下にいるから、会って欲しいと言われた。

 ふわふわ焼きたてのパンはとてもおいしい。今まで食べたことのない味。ほんのり甘くて、口の中でさっと溶ける。

 どうやら歩けるようなので、赤毛の女の子に「お父様」のところに案内してもらった。

 途中で幾人も、赤毛の女の子たちと行き交った。みんな同じような顔。みんな姉妹なのだそうだ。


「ここです。工房なんですよ」


 そこに見えたのは、真っ赤に燃える炉。金属の棒や塊。美しい剣や槍。

 そして。金槌をふるう少年の背中。

 この人が? 赤毛の女の子のお父さん? まだ子供のように見えるけれど?


「ああ、起きた? ずいぶんうなされてるようだって、僕の娘たちが言ってたけど」


 少年がくるりと振り向く。澄んだ青い目が私を射抜いた。


「あの……ここって……」

「ごめん。眠っている間に連れてきちゃった」

「えっ……」


 金槌を置いて、少年がにっこりしながら近づいてくる。

 うろたえながら、記憶の糸をたぐる。

 ああ……そうだ。

 確かこの人は、「お店」に来たお客さん。

「永遠の少女」の私を一晩買った。 

 他の客のように血をとるために傷つけてきたり、手足の肉を削ってきたりしないから、私はとても嬉しかった。でも頭が重くて、ろくに話もできなくて。

 ずっと、抱っこされていたような気がする。

 朝になったとたん、この人は旦那様の言い値で私を買い取ってしまった……

 「お店」にいる本物のメニスの子をひとり、囲える値段で。

 私はすごくびっくりして。気が遠くなって。それから――

 ああ、記憶がない。

 きっと倒れたのだろう。

 気を失ったまま、ここに運ばれてきたようだ。


「この塔って……一体? 何を作っているの、ですか?」

「ここはひそみの塔。どこにあるか、場所はちょっと言えないな。世間から隠してるから。今作っているのは、王冠だよ。ピピ師が開発した、時間流を止める膜を応用してる」


 なんだか……すごいものを作っているみたい。

 ピピ師というのは、塔のてっぺんに住んでいるお師匠様。

 技師でウサギだという。


「ピピ師のことは気にしなくていい。赤毛の子たちが世話するからね」


 それにしても。なんてきれいな少年なんだろう。金の髪がきらきら光って見える。


「ねえ赤猫。呼び名じゃなくてほんとの名前はなんていうの? 教えて」


 私の両手を優しく握って少年が聞いてくる。

 うろたえながらも、私は答えた。この人が、私の新しい主人。私の持ち主だから。


「……エクステル」


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三分割の二話目

深海著 夏至・恋人『ソートアイガス――創砥式7305Ⅱ――』

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 キン キン キン キン


 打つ。打つ。赤い光。


 キン キン キン キン


 打つ。打つ。金の床。



「エクステルぅ?」


 この塔に夢の中の女の子が来ていることが分かって、朝起きた俺は真っ青。

 さっそく工房で灰色技師のウサギに聞いてみたが、どうも反応が鈍い。


「金髪少年が買いとってここにつれてきた? あー……それって俺の一番始めの弟子のことだな」


 なんだかものすごく微妙な顔。


「ってことは、赤猫ちゃんのことかね? 今から百年ぐらい前の話だわ」


 赤猫……たしかにあの女の子の呼び名はそうだ。一世紀も前のことなのか。


「たしか、うちの妖精たちと同じ赤毛の娘だったな。そういえば、剣の中に……」

「え?」   

「うんまあ、だからそうなるんだな」


 ぼりぼり頭をかくウサギは、言葉を濁した。

 夢の続きをみたら事情が分かるだろうと言われ、あとは説明なし。

 なんだかとても言いにくい感じだった。

 今日もまた眠ったら、あの子の夢を見るのだろうか。

 どうか幸せになっていてくれ――。 

 その夜俺はそう願いながら、寝台にわが身を横たえた。

 かわいい娘と、娘に寄り添ってすやすや眠る、金の狼を眺めながら。



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 その少年は、偉大な鍛冶師。『大鍛冶師マエストロ』と呼ばれて大陸中の人々に尊敬されている。

 でも、住んでいる処は誰も知らない。

 私も、この塔がどこにあるのかわからない。

 マエストロはエティア王国を建てた英雄たちの、大いなる力を秘めた武器を作ったそうだ。

 それからあの赤毛の女の子たちもそう。マエストロが培養液を入れたカプセルで作ったという。

 たった一人の女の人の命のもとを使っているから、女の子たちはみんな姉妹。みんな同じ顔。

 私よりとても美しい子たち……。

 マエストロはどうして、私を買い取ってくれたのだろう?

 メニスの子を買った方がよかったんじゃないかと思う。

 あのお姫様のような子たちだったら、ここの赤毛の子たちよりも、きれいだもの。


 どうして?

 どうして?

 わからない……


 マエストロは寝台でずっと寄り添ってくれて、まるで恋人みたいに頭を撫でてくれたり、口づけしたりしてくれる。

 でもまさか本当に、お嫁さんにしようとは思っていないはず。

 お金で買ったぼろぼろの娘なんて。


「赤い髪、好きだ」

「はい?」

「いい色だよね。炉の炎みたいで」


 寝台の上で片肘で頬を支えて、マエストロが私に笑いかける。

 なんてまぶしい笑顔なんだろう。


「マエストロの髪の方が、きれいです。太陽の光のよう」

「……ありがと」


 あ。口づけ……。


 どうして?

 どうして?

 ……もしかしたら。


 マエストロは私のことを、本当に永遠の少女だと誤解しているのかもしれない。

 私を研究したくて、買いとったんじゃないだろうか。

 でも私はまがいもの。

 薬を飲まされて、体は子供のまま。その内臓はもう……

 なんだかとても申し訳なくて、なんでもいいから役に立ちたくなった。

 マエストロに頼んだら、厨房で働くように言われた。

 塔の食料庫には食材がなんでもそろっていた。

 パンにお米に麦にトウモロコシ。牛や羊のお肉。十種類以上の魚。それ以上の種類の、チーズ。お野菜も、お酒もいっぱい。いっぱい。

 母に最後に食べさせてもらった、チーズのシチューを作ってみたら。


「おいしい! おいしいよこれ。すごいね」


 マエストロに、ものすごく喜ばれた。 


「香りキノコをほんの少し入れてるの」

「へええ。隠し味か」


 おかわりしてくれて、なんだかとても嬉しい。


――「おじいちゃん、今日もだめ」「ずっとご飯食べないなんて心配ね」


 塔のてっぺんから降りてきた赤毛の子たちが、残念そうに食堂に入ってくる。

 マエストロのお師匠様は、奥さんを亡くしてからずっと臥せったまま。

 ご飯をろくに食べてくれないらしい。


「ピピ師のことは気にしないで」


 マエストロはそう仰ったけれど。

 私は心配になって、お鍋からほかほかのシチューをよそって持って行ってみた。

 塔のてっぺんにいたのは、けだるく寝床の中に沈み込んでいるウサギさんだった。


「ごめん、食欲ないから……って君だれよ?」


 ウサギさんは赤い目でまじまじと私を見てきた。こいつはだれだ? と首をかしげながら。


「赤猫です。マエストロに、買われました」

「ふうん?」


 それから何度か、私は作ったご飯をウサギさんに持っていった。

 でもウサギさんは、一度も食べてくれなかった。置いて行ったお皿はいつも手付かずのまま。

 ウサギさんは正直なんだろうか? 匂いからして私の料理はだめなのかも。

 マエストロは優しいから、おいしくなくても食べてくれるのかも……。

 そう思っていたある日。


「おいしいの作れなくて……すみません」


 ウサギさんの部屋から手付かずのシチューを下げたら、くらっとめまいがして転んでしまった。

 お皿が割れる。床にシチューが飛び散る……


「だっ、大丈夫?!」

「ご、ごめんなさい。ごめんなさいっ!」


 ウサギさんが心配して飛び出てきてくれて。皿の破片をかき集める私の手を見て、びくりとした。


「あの、こんな手で、ごはんを毎回……作ってくれてたの?」

「あ……」


 私の指は両手とも、何本か欠けている。足の指もない。

「お店」にいたとき、手足の肉といっしょに、切られてしまったから。

 わかってる。人に見せられる体じゃない。

 本当はここにいる資格も……


「だ、だれかほかの人……ごはん作ってくれる人雇ってくださるように、マエストロにお願いします。わた、私のは、きたないから」

「え……」

「マエストロのも、ほんとはちゃんとした人が作った方が……その方が……」 

「あの、ご、誤解だよ。俺、君が作ったもんが嫌なんじゃなくってほんとに食欲が――」


 ウサギさんがおろおろ困っている。

 どうしよう。ごめんなさい。ごめんなさ……


――「エクステル! なにしてる!」


 涙であたりが見えなくなったとき。階下からマエストロが駆けあがってきた。


「ピピ様にはやらなくていいって言っただろ」


 肩を上下させてはあはあ言って。首にナプキンを垂らして右手にぎっちりスプーンを握っている。食堂から、全速力で昇ってきたみたい。


「ご、ごめんなさいマエストロ、で、でも……いたっ」


 あわてて片付けようとしたら、お皿の破片で指を切ってしまった。


「僕のエクス!」 


 とたんにマエストロは血相を変えて、私の手首をものすごい勢いで握ったと思いきや。

 ちゅくっとケガした指を口に含んだ。その本数が足りないことなんて、まったくお構いなしに。


「ばかな子……」

「マエストロあの……ふあ!」


 え? なにこれ。抱っこされた。お姫様のように。

 うそ。うそ……


「おいで。すぐに治療しようね」

「あ、あの。あの……」

「ピピ様は無視していいから。君のご飯を食べないなんて、愚かすぎる。にんじんでも投げ込んでおけばいい」 


 あ。口づけ……。私が作った、チーズのシチューの味がする。

 ああ。胸が熱い。

 なんだか胸がいっぱいだから? ち……違う。

 これは。これは――


「……エクステル!」


 私の喉の奥から、熱いものがこみあげてあふれてきた。 

 真っ赤な、血が。



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 キン キン キン キン


 打つ。打つ。赤い光。


 キン キン キン キン


 打つ。打つ。金の床――。


「いけず」


 朝起きて開口一番ウサギに会うなり、俺はそう言ってしまった。  


「えっ、ちょっ、なんなの料理長」

「いくら奥さんが亡くなって悲しいからって、かわいい女の子が作ったご飯をひと口も食べないとか、何ですかその鬼畜っぷりは。というか、今の奥さんは後妻さん? あの銀の髪の人、一体どこにいるんですか? ここに就職してからまだ一度も姿を……」

「あーえーそれはー、いろいろあってだなー、普段はここにいないっていうかー」


 いまさらお説教とか勘弁してといわれたが、本当はウサギをさかたんぼりにつるして皮をひんむいてさばいてやりたいぐらい、なんかムカついちゃったので、仕方ない。

 赤猫はあの不自由な手で一体何度、このウサギにご飯を作ってやったと思ってるんだ。

 金髪のマエストロの言葉じゃないが、愚かすぎる。

 あのチーズのシチュー、絶対おいしいぞ。

 見た目は素朴だけど匂いからしてもう、食欲をそそられた。

 匂い……そんなところまでリアルな夢だ。

 それにしても、大丈夫なんだろうか。赤猫は血を吐いていたような気がする。

 まさかあのまま短い命を散らしたんじゃないだろうか……


「ひい! なんなのこのニンジンキャセロール。ま、マジからい! でもうまい! ひいい!」


 料理人の恨みを思い知れ、くそウサギ!

 俺はその晩高速で皿洗いを済ませ、早めに寝床に入った。

 かわいい娘に絵本を読んでやる、美しい半狼人を眺めながら――。



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 「お店」の人たちは、あの薬を飲んだら三十までは生きられないとまことしやかに噂していた。

 体は十代のままになるけれど、内臓はぼろぼろになると。

 たしかにもう、私はそんなにもたないのだろう。

 マエストロは旦那様に何も確かめないで私を買った。

 きっと今は、だまされたと思っているはず。割に合わない買い物をしたと。

 その証拠に。

 血を吐いて倒れてしまってから、マエストロは私とろくに喋ってくれなくなった。ほとんど寝ないで、工房にこもりきりだ。

 どうしよう。ひどい損を、させてしまった……。

 なんとか起き上がれるようになったので、厨房でご飯を作った。

 でも工房に行って呼んでも、マエストロは振り向いてくれない。

 背を向けて、一心不乱に金槌を打っている。


「くそ。こんなにぼろぼろになって……」


 泣きながら、打っている……。

 それはひとふりの古い剣で、無残にへし折れてしまっていた。

 あれはマエストロが建国の英雄に与えた古い古い、伝説の剣。

 つい最近、建国の英雄スイール様が、異国の地であの剣とともに亡くなった。エティアの王様が異国お王様に懇願して、その遺体を返してもらい、国葬にしたという。

 マエストロはその弔いの儀式に参列して、あの折れた剣を抱えて帰ってきた。ぼろぼろ涙をこぼしながら。


『剣をこんなにするなんて……』


 ご主人様に打ち込めるものができて、私はホッとした。

 たぶん私への怒りは忘れてもらえる。

 でも。どうやって償ったらいいんだろう……。


「ばかな子が、まだこっちを見てる。仕事にならない」


 突然。マエストロが振り向いて、刺すような口調で責めてきた。

 私は両手で口を抑えて泣き声を殺した。喉の奥から、熱くて赤いものがこみあげてくる……。


「世話が焼ける」


 マエストロがこちらにやってきて、私を支えてくれた。

 しがみつく私の手には、力が入らない。私の手から漏れ落ちた血が、戸口にこぼれている。

 工房の中には落ちていないみたいでホッとする。神聖な仕事場を汚すわけにはいかないもの。


「時間がない……」


 顔をゆがめてぼやくマエストロに、私は願った。


「おねがいですマエストロ……ごはん、食べてください」 


 もう三日、マエストロはひと口も食べていない。とても心配でたまらない。


「どうか、すこしでいいですから。戸口まで、もってきますから」

「仕事場では食べない。そういつも言ってるだろ。僕は大丈夫だから」

「でも……」

「黙れ」


 マエストロは私を廊下の壁に押しつけて、乱暴に口づけてきた。

 錆びた鉄の味がするのに。自分の口も真っ赤になるのに。全然気にせずに。

 頬から目じりまで、マエストロは私の涙のしずくを唇で拾ってなぞっていく。


「美味しい……」


 私の涙は塩辛いのに。メニスみたいに甘くないのに。


「あ……マエストロ……や……だ……」


 衣の肩口を引っ張られてあらわになった首筋を優しく噛まれて、私はびくりとした。


「黙れ。こうされたかったんだろ。だから工房の戸口にはりついてたんだろ」

「ちが……ちがっ……ごはん……ごはん、食べてくださ……」

「ああ、食べるよ。君を」

「あうっ」


 だめ。だめ。とけちゃう。とけちゃう……。


「死なせない」


 マエストロがぎゅう、と抱きしめてきて、囁いてくる。


「絶対、死なせない」


 ああ。ほんとうに。そんな奇跡が起こったらいいのに。

 私は。

 いつまでも永遠に、この人のために涙を流したい。

 いつまでも永遠に、この人のためにごはんを作りたい。

 でも私は、もう働けない。お嫁さんには、なれない。

 夏至の日に、父に売られてしまったから。

 ぐるぐる回る踊りの輪には、入れなかったから。


「死なせない」


 ごめんなさい……ごめんなさい……

 あなたは、損をしたと思っているはず。

 もとがとれなかったと、感じているはず。

 あなたが「お店」で旦那様に私を買い取ると仰ったとき。私が本当のことをお話しすればよかった。

 でも私は、そうすることができなかった。 

 あのお店から出たいと、願ったから。

 だまして、本当にごめんなさい。ごめんなさい……

 マエストロ……



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 キン キン キン キン


 打つ。打つ。赤い光。


 キン キン キン キン


 打つ。打つ。金の床――。


「お? おい、料理長大丈夫か? 鼻に何つめてんの?」

「綿」

「え? もしかして鼻血?」

「きかないで……」


 口の周りをタラコのように腫らしたウサギが、心配げに厨房にいる俺を覗き込んでくる。

 いや、大丈夫だ。たとえ鼻血がとまらなくても、ここの食事は俺が責任もってちゃんと作る。

 体調は、悪くない。ああでも、涙はだらだら出てきて止まらないし、体はうずうずするし。鼻血は噴き出すし。

 いやなんていうか、受身の感覚を感じるのは初めてで、正直どうしたらいいかわからない。

 うう、手が震える。フライパンで焼いてる卵クーヘン焦がしそう。

 いや。いや。気をしっかり保て、俺。

 食べさせることが仕事である料理人たるもの、自分が食われたぐらいで動揺してたらいけない。

 金髪少年ががつがつ食欲旺盛すぎるとか、おかわり五杯もしたとか、露ほども思いだしちゃいけない。

 す、スルーだ。スルー。大体アレは夢だ。ゆ……


「パパ、大丈夫? 焦げてる!」


 うあああああああ! 一瞬気が遠くなってたっ。カーリン感謝!

 ほんと最近、厨房を手伝ってくれる娘はしっかりしてきた。朝のクーヘンの半分は、この子が焼いてくれる。

 ……今夜寝るのはとても恐ろしい。

 またあんな事態になるのは恥ずかしい。

 どうしよう。目覚ましジュースでも飲んで、眠らないようにしようか……  


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三分割の三話目

深海著 夏至・恋人『エクス・カリブルヌス三世――創砥式7305Ⅲ――』

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 金槌で剣を打つマエストロが、ちらとこちらに視線を投げてくる。

 裸のままで、ぐったり戸口によりかかっている私の方に。

 自分の口から、赤い血がぽたぽた垂れているのがわかる。

 動きたいのに。もう動けない……。


「急がないと。もう、時間がない……」


 マエストロは背を向けて、剣の仕上げをしている。

 真っ二つに折れていたあの剣は、いまやすらりとした長身のものに生まれ変わっている。

 黄金竜をかたどった柄。その目の部分には、大きな穴。

 マエストロは泣くほどあの剣が好き。

 この剣こそが……たぶんマエストロの一番愛するものなんだろう。

 一心不乱にその剣を直すのは、そのせい。

 ごはんも食べないで直すのは、そのせい……。


 ――キン! と、金槌の音が止まった。


 マエストロは剣を掲げ、惚れ惚れと眺めて微笑んだ。


「ほぼ、原型どおりに戻ったな」


 なんていい顔。ホッとしたような。とても嬉しげな表情だ。


「刀身はまあ、超適当なんだけど。エクスカリバーはもともとなまくらだったから、刃は別にどうでもいい。問題は、柄の宝石だ」


 マエストロは工房の隅にある卓の引き出しから、厳重に封印された箱を出して蓋を開けた。

 その中に入っていたのは……とても美しい、大きな赤鋼玉。


「これはエクスカリバーの蓄積情報の複製……まさか僕が生きているうちに二つ目を使うことになるとはね。導師ダンタルフィダスの魂をオリジナルからここに移動して封じてたけど、三個目を作ってるヒマはない。このままこいつを使うしかない……悪魔と同居させるのはしのびないけど、仕方ない」


 マエストロの顔にほのかに悲しみの色がさす。

 大きな赤鋼玉は、剣の柄に嵌め込まれた。竜の、目の部分に。


「オリジナルの一万一千五百年分の蓄積情報は、完全に移植されている。だけど英雄スイールが殺される前後一ヶ月間の情報はない。そこは別の記憶で埋まるからいいとして、問題は重複分の情報だな。約三十年分か……コンフリクトしないでうまく融合すればいいけど……」


 竜の目が。赤い宝石が、きらきら光る――


「二つ目よりさらに情報体内部の演算機能を強化してるから、ファジーな計算結果は出さないはずだ。魂を吸引する能力も、燃費も、魂の許容量も、みんな五割増しにしたから、衝撃派系の大技を簡単にくりだせるようになると思う。大地を割るとか、簡単にできるだろうね」


 なんてきれいな目なんだろう……。


「そういえばオリジナルは、自分が竜の格好してるくせに、竜は毛嫌いしてたんだよな。同族嫌悪って奴か?」


 マエストロはくすくす笑って、ぶん、と剣を肩に担いで。


「さあ、仕上げだ」


 そして私の方を振り向いて。戸口でぐったりしている私の前にやってきた。


「エクステル。僕のエクステル」


 マエストロが、私の名を呼ぶ。


「最後にもう一度だけ、君を食べさせて」



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「ひ!」


 あ、あぶないところだった。

 やばい感覚を感じる前に起きられてホッとする。

 ……って、俺いつの間に眠っていたんだ?!

 リコの実たっぷりの目覚ましジュース飲んだのに。その直後寝落ちするとか、どういうことなの。

 大体、剣を警戒して今日は寝室に行っていない。厨房で仕込みしようって思ってたのに、食堂の卓につっぷしてがーがー眠って夢を見てしまうって。

 俺と剣のつながり具合って、そんなに深いものなのか?

 あれ? コップに残ってるジュースの匂い……

 う?!

 も、もしかして俺、材料間違えた?! リコの実じゃなくてコリの実入れちゃったかも?!

 それやばい。睡眠薬になってるじゃん! 何やってるんだよ俺!

 いくら鼻血出すぐらい動揺したからって。砂糖と塩間違えるレベルになっちゃってるとかすごくやばいぞ。 

 あ……やばい。やばい。やばい。

 ま、また……眠気……が……



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「ふぁ……マエストロ……マエストロ……!」


 私はもう一度、マエストロの腕の中で溶かされた。


『最後に』


 そういわれたので、これを最後についに捨てられるのだと思った。

 何よりも大事な剣が手元に戻ってきたのだもの。

 きっと、もう気を紛らわせるオモチャは、いらなくなったということだ。

 死にかけの私を下取りしてくれるお店なんてないだろうけど、普通なら、損をした分を少しでも取り戻したいはず。きっと明日には、私は売りの手続きをされる……。


『どうか死ぬまで、おそばにおいてください』


 そうお願いすることは……とてもできない。

 そんなことを言える権利も資格も私には……。


「……と言え」


 え? 今、なんて?

 突然命じられて、私はびっくりした。


「愛してるソートアイガス、そう言え」


 ……え?


 信じられない言葉に、私は呆然とした。


「命じないと、君は遠慮して何も言わないからな。早く言え」

「……マエストロ?」

「マエストロじゃない。ソートアイガス。僕の名前を呼べ。愛してると言え」 

「あ……愛してる……」


 「愛してる」は、「お店」にいた時、お客さんによく言わされた言葉だ。

 なんの価値もない言葉。だからすんなり言えた。

 でも。

 その続きを言うのを、私はためらった。今教えられた名前は。まさか……。


「まさか、マエストロの、名前……?」

「そうだよ。僕の名を呼べ」

「い、言えません……」


 私は茫然として首を横に振った。


「言えません……言えません! 言えませんっ!」


 名前ほど、神聖なものはない。赤の他人に、絶対に教えてはいけないものだ。

 私の名前を知っているのは、両親と、お店の旦那様と、マエストロ。

 私の持ち主だけ。

 それ以外のすべての人から、私は「赤猫」と呼ばれている。

 みんなそうだ。本当の名前は、家族や保護者しか知らなくて。他の人たちは、みんな通称で呼ぶ。

 その人の本当の名前を手に入れるということは――


「愛してる、ソートアイガス。そう言え、エクステル」


 その人の、命を手に入れたのと、同じこと。

 その人の、「持ち主」になるのと、同じこと……


「言えま……せん……!」

「だめだ。言って」  


 信じられないことに。ぼろっと、マエストロの瞳から涙がこぼれ落ちた。


「僕のエクス。頼むから、僕の名前を呼んでくれ」




「……愛してます……ソ、ソ……ソート……アイガス様……」




 私が震え声で、なんとか命じられた通りにすると。

 マエストロは安堵のため息のようなものをついて、私から身を離した。


「ありがとう。これで心置きなく、君を剣に封じられる」


 剣に……封じる?!


「愛してる、エクステル。だれよりも愛してる。だから絶対、君を死なせない」


 マエストロは直した剣を取り、振りあげた。


「君は。もっともっと、生きるんだ。僕よりも」

「――!!」

 「永遠に」


 剣の刃が、ずん、と音を立てて食い込んでくる。

 深々と、私の胸に。

 次の瞬間。私は何かにひきずりこまれるような感覚を覚えた。

 ずるずると。とても強力な、渦の中に――



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「大丈夫ぅ?」

「あんまり、大丈夫じゃないです……」


 食堂のテーブルに突っ伏す俺の頭を、タラコ口のウサギがぐりぐりしてくる。


「それで赤猫の記憶は、どこまで見たわけ?」

「剣をぶっ刺されて。剣の中に入るまで」

「おぶ。じゃあマジで鼻血がたれる経験を……」 


 黙れデリカシーゼロ・ウサギ。


「まあなんだな、このニンジンスコーンうまいな」


 ウサギは俺の向かいにぽてんと座って、口いっぱいに朝ご飯をほうばった。

 料理人たるもの、朝一番に起きてみんなのご飯を作ることは決して怠けられない。

 目覚ましならぬ睡眠ジュースでまだ眠気がひどいが、俺はなんとか己の朝の仕事をこなしたところだ。


「えっとなぁ、ここの赤毛の妖精たちって、ひとりの女の人から造られてるってのは話したっけ?」

「はい、なんだか前にうっすらと」

「あの子らを作ったのは、俺の初めての弟子なんだ。命のもとをくれたその女の人をさ、弟子は大好きだったわけだよ。でもさ、失恋しちゃったのね。それで分身が欲しかったんだろうなぁ。でさ……ずうっと妖精たちに囲まれて独り身でいたんだけど。ついに見つけたのが、あの赤猫ってわけ」


 赤毛の妖精たちの母親。その人への思いがかなわずにいたマエストロが……

 赤毛の赤猫をひと目で見初めた?


「うん。ひと目で、だね。あの弟子はわりとスレてて、その手のお店に通っては研究材料を調達してた。ああいうお店って、闇市から実にいろんなものを買って商品にしちゃうらしくて。発掘の穴場だって言ってたよ……。しかしまさか何の変哲も無いふつーの女の子を、買い取ってきちゃうとはねえ」


 まだほんの十代後半ぐらいの少年なのに? といぶかしんだら、当時あの姿で百八十歳ぐらいだったわ、とさらりと言われた。

 マエストロは灰色の技師の技術で延命処置をしていたらしい。

 このウサギもだいぶ年をとっていそうだ。先日もなにげに一世紀前って言ってたもんな。

 一体いくつなんだろうか。

 しかし夢をかんがみるに。今も、俺が持ってる剣の中には、もともとの剣精霊の他にエクステルという子が混在しているんだろう。


「でも剣の中に魂を封じ込めるなんて、ちょっと残酷では? 転生できなくなるでしょうに」


 ウサギはニンジンスコーンをごきゅりと飲み込んで、うーんと唸った。


「あの弟子には、人道的な倫理観なんてなかったからなぁ。俺もちょっとひどいと思って詰め寄ったんだけどね。剣に女の子の魂を入れちゃったあとさ、あいつ珍しく、我をむき出しにして叫んだんだよね……」


『おまえ……自分のしたこと、わかって――』

『わかってるよ!!』



「もうぼろぼろ泣きながらさ。あいつ俺に怒鳴ったよ」



『でも、失いたくなかったんだ! 僕を慕ってくれる魂を!!』



「ほんとびっくりしたわ……」



『ひと目見て、この子だって解ったんだ。僕のもの。僕のかたわれ。唯一人の子……! 僕のこと、忘れさせたくない! 輪廻なんか、絶対させるもんか!!』


 ウサギは腕組みをして天井を仰いだ。


「俺が思うに。あの二人、前世でなんか因縁あったんじゃないかなぁ。ひと目見て分かるってことは、そういうことだろ? 今生で初めて出会ったってわけじゃなさそうだわ」 


 そうなんだろうか。

 とても気になるが、その部分は生まれ変わったときにすっかり記憶からなくなっているだろうから、知りようがない……。

 その後金髪のマエストロは、塔の外で灰色の技術を危険視する勢力につかまり。岩窟の寺院に封じられ、そこから出られずに亡くなったそうだ。

 だがその魂は寺院の中に今もまだ、とある形で残っているという。


「あいつは絶対死なないだろうなぁ。いつか寺院から出てきて世界征服でもするんじゃない?」 

「えっ?! 世界征服?」

「いやあ、そのぐらいすごい技師だったのよ。大陸同盟にたてついてメキドを長らく支配してたのも、英雄たちを使ってエティアを建国したのも、あいつだもん。だから敵が多くて、塔に隠れ住んでたんだよ」

「そ、そうなんですか……」


 そんな人の師匠って。俺の雇い主であるこのタラコ口のウサギ、一体何者?

 今の奥さんが普段ここにいないっていうのも気になるし。


「で。なんで赤猫の剣が騎士団営舎に? ずっとこの塔にあったんでしょう?」

「え、えーとね。たしか一回外に持ち出したとき、アクシデントで行方不明になっちゃってさ……」


 なんだかいろいろ事情がありそうだ。


「探しても見つかんないから、あきらめてたっていうか。どこいったかなーとは、思ってたんだけどねえ。いやあ、見つかってよかったよかったー」


 その日の一日の仕事をいつものように、晩御飯の皿洗いで済ませた俺は。寝室に入るなり、盛大で荘厳なる音楽に歓迎された。

 こ、これは……


『きらりとひかーる白刃の~♪ わが身横たえ仕えますぅ~♪』


「あにそ風主題歌」!?


『我が主ぃ! おはようございますう!! 今日もすっばらしい天気ですねえええ!』


 ……いや、今は夜だよ。 外は真っ暗な宵空だよ。


『なんか私、ひどくかっこよくなってるんですけどぉ、だれが治してくださったんですか?』

「ネコメさんが……」

『だれですかそれ、私の記憶にありませーん。でもすばらしい! すばらしい! ぶらぼぉ! ごーじゃす! わんだふる!』


 寝台に置いてる剣がひどくはしゃいでいる。どうやら、意識が覚醒したようだ。

 明らかにいつもの調子で元気満々。

 でもこれ……どうみても、あの可憐な赤猫じゃないよな。全っ然性格違う。

 きっと、もともとの剣精霊の方の意識なんだろう。

 それが出てきたということは、赤猫はしばらくはもう、出てこないってことだろうか。


『ああん、そんなに見つめないでくださいよ我が主。恥ずかしいじゃないですか? さっそく仕事したい気分ですよ。どこかにわるーい敵でもいないですか? 必殺斬りでかるーくふっ飛ばしたいぐらい、気分爽快ですよぉお♪ ああなんて、すばらしい刀身! 銀色に輝いててきれいですねえええ』

「ね、ネコメさんが隕鉄で作ってくれたんだよ」

『っほおおおお! なんと! それは切れ味抜群でしょう。そうでしょう!』


 これ……どうやったら、あのかわいい赤猫モードになるんだろう。

 あの子ちょっと性格暗いけど、今のこれよりも断然いいよ絶対。

 切り替えスイッチないかな。いや、ないか。

 まじまじと剣をのぞきこんでみれば。

 柄に嵌る赤鋼玉には、剣の名前と一緒に赤鋼玉を造った人の打銘がしっかり刻まれていた。



『Ex Caliburnus nova hebes Version Tribus』

 『創砥式 七三零五』  


 俺はウサギがしみじみつぶやいた言葉をふと思い出した。

 いつかその言葉が実現したらいいのにと、思いながら。



『いつの日か。ソートくんは赤猫ちゃんと再会するような気がするなぁ』




――創砥式7305・了――


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