03 深海 著 自転車・おせち 『夜明けのふくろう』
挿図/深海様より拝領
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ふおー
ふぃー
ふあー
森の中に、不可思議な調べが響き渡る。
ねぼけまなこのふくろうは、その不思議な音色に起こされた。
(なんだなんだ?)
いまだ空は青く、暗き夜ではない。まだ眠っていなければならぬ刻であるのに、なんだか外が騒がしい。
一体どこの大鳥が騒音を撒き散らしているのか。
ふおー
ふいー
ふあー
(ええいうるさい。眠れない)
ふくろうは眠たい目をこすりながらよたよた巣穴から外に出た。森の賢者たるもの、ひとこと騒音の主に文句をいってやらねばと思ったのである。眠気で重たい翼をばさりと広げ、ふくろうは騒音の出所へと飛んだ。
(まったくけしからん。本当にけしからん。)
樫の木にとまれば。
「ひいふう」「ほうふう」「ふうふう」
すぐ目の前で、いかつい銀鎧の人間どもが、鉄輪が二つ連なる金属の乗り物に乗り、必死にペダルを漕いでいるのが見えた。
「ひいふう」「ほうふう」「ふうふう」
その数、ずらりと十人。そばで眼鏡をかけた人が懐中時計を見ながら時間を計っている。
「はい! 十分たちました。交代してくださいっ」
眼鏡の人の厳しい声に、ずらり居並んで金属の鉄輪装置でペダルを踏んでいる男たちが、どへえとくたびれ次々と地にたおれた。
(なんだなんだ? 何をしておるのだ)
ふくろうはくりっ、くりっ、と首を傾げた。当たりはまだ昼、まばゆすぎて視界が白く焼けている。
十台の鉄輪が一列に並ぶ装置の前には十本の管が繋げられており、その先に金属の筒が連なる大きな装置が置いてある。いつだったか洞窟の中で見たことがある、林立する石英の結晶のかたまりのような形だ。
いかつい銀鎧の男たちがペダルを漕ぐと、その幾本もの鉄の管から、さきほどのふおー、という変な音が出るらしい。
(こんな音を出して一体何のつもりか)
ふくろうはフガフガクルクル文句を言ったが、人間というものは馬鹿であるので、彼の賢い鳴き声などその耳にはついぞ届かない。しかして音が出る鉄の管のまん前にあるものを見るなり、怒れるふくろうはびくりと固まった。
(なんだあれは。あの黒くて丸い塊は)
おののきがふわふわの羽を逆立てる。
不気味なものがそこにはあった。闇夜を吸い込んだように黒い球体。その中には。
膝を抱えて縮こまる、ひとりの少女――。
「どうですか、騎士団長?」
ふくろうは心ざわつきながらも球体の前にいる者どもに視線を戻した。
赤毛の青年が心配げに銀鎧の男たちに様子を伺っている。両手いっぱいにほかほか炊き立てのドド豆が入った鍋を抱えており、料理の調理途中であるようだ。
「あかーん」
鉄輪装置からどへえと降りてきたいかつい男が、地に大の字になって音を上げる。
「対結界震動装置もまったくきかーん。相当に硬いぞあれは」
うらめしげな視線の先には、真っ黒い球体。
「この装置を設置するまで、北方銀枝騎士団は中にこもっている少女を救い出すべく、ありとあらゆる方法を試してきたが」
「ですね。ひと通り悪魔祓いを試して。伝説の武器なるものをエティアの国王陛下から借りてきて斬りつけて。異国の退魔護符もありとあらゆる種類のものをとっかえひっかえはりつけましたね。名だたる大神官を呼んで祈祷をさせてもみました」
「しかし黒い球体はびくともせず、だ」
「ですよねえ……困ったもんです」
(あの黒く丸い不気味なものを消そうとしているのか?)
ふくろうはクルクル首を回した。
赤毛の青年のまわりには狼たちがうろうろしている。なんと犬のように馴れている。銀鎧の者たちも、当たり前のように狼の頭を撫でている。なんとも不思議な集団だ。
「陛下が、失われた灰色の技を継承しているという技師を紹介してくれたのはよかったんだがなぁ。強力な結界を消すには同等の力の結界をぶつけて対消滅させるといいっていわれて、設計図もらったろ? その通りに対結界震動装置をここでトテカンと作り上げたはいいんだが。球体と同じ結界力が出ない。要するに出力が足りん」
「まさか騎士十人分の人力、十分交代で二十四時間操業しても追いつかぬほどの固さとはね」
騎士団長と呼ばれた人の隣に真面目そうな硬い顔の人がやってきて、額の汗をぬぐいながら呻く。
「鉄輪を倍の二十台にするか、副団長」
「そうですね。それがだめだったら三十台に」
副団長と呼ばれた人がうなずく。
人力では限界がある。鉄輪だけでなく狼たちも協力できるよう、コンベアー式の装置も作ろう。その場にいる銀鎧の男たちと赤毛の青年はそう話し合っていた。
「お手数かけてすみませんね。増設作業に入る前に、力をつけてください」
「お、こいつは」
赤毛の青年がほくほく湯気立てる銅色のスープを差し出す。
なんとよい匂いだと、ふくろうは目を細めた。銀鎧の男たちがほう、と安らかな息をついている。
「ドド豆汁か~」「もうそんな日なんだ。一年ってあっという間だな」
「本来なら、明日が新年おめでとうなんだよな」
「おばちゃん代理、こいつが出てきたということは……」
「作ってますよ。だから今日は、手抜きのドド豆汁です」
「おおおおう」「やったー!」
銀鎧の男たちの顔が喜びと期待に輝く。
「エティアの旧い暦では、いまの大陸神聖暦の三月ニ十五日が正月でしたからね」
「そうそう。おばちゃん代理、お前の村でもあれだろ、古い年始の日に、七種類の特別なお祝い料理を食べるんだろ?」
「ええ。ド辺境ですけどちゃんと作ってましたよ。だから二十四日は忙しいので、超カンタンにドド豆パンとドド豆汁でしのいでましたね」
「しかしここでアロワにんじんなんて手に入るのか?」
「大丈夫です。手に入りにくいのは出世魚ぐらいですかね。でもにんじんも魚も会計係のメルカトさんが手配して取り寄せてくださいました。明日にはお出しできるようがんばります」
「おおおお」「楽しみだなぁ」
赤毛の青年はそれから夜通し、森の中の小さな小屋でグツグツコトコト何か作業をしていた。そこはきこりが住まっていたところだが、老いて亡くなり久しく空き家となっていたはず。いつのまにやら、赤毛の青年と銀鎧の男たちが寝床としているらしい。
ふくろうがさっと飛び立ち、小さなネズミを取って腹を満たして戻ってきても、青年はトントンシュルシュル音をたてて、ずっと作業していた。
甘い匂い。すっぱい匂い。香ばしい匂い。
なんともいろんな匂いがしてきて、ふくろうはくらっとめまいを覚えた。
(一体何を作っているのやら)
――『大丈夫ですか? 無理しないでもう眠ってはどうです?』
くらくらする頭をぶるんと一回転させると。奇妙な声が小屋から聞こえてきた。
『牙王さんも心配してますよ。まぶた半分下がってますよ?』
「いや、寝るわけにはいかないよ」
赤毛の青年の声がする。
「カーリンを救うためにひと月以上もの間、国王陛下に仕える騎士団を森の中に足止めしてるんだから。日頃の感謝の気持ちをこめたい」
『でも舟漕いでますよ、わが主』
「う」
(なんだあいつは眠いのか。軟弱だのう)
ふくろうはくつくつ笑って小屋の窓辺に飛び寄った。窓からちらと、小屋の中を見る。
(なんだあれは)
とたんに、ふくろうはごくりと息を呑んだ。
もったり黄色いクリームのごとき巨大な山の上に、色鮮やかな栗がいくつも飾りつけられている。それはあたかも山にそびえる美しい城の形に造形されていた。栗のひとつひとつに掘り込まれているのは、なんとも細かで優美な花模様。城山のふもとには緑豊かな香草が敷き詰められて、草地のごとし。なんと細い橙色ニンジンでつくられた人々や動物がたむろっているではないか。その造形の細やかさといったら、目の玉が飛び出るほど精緻であった。
草地にはミニチュアの木が立っているが、これもすべて食べられるもので作られているようだ。小さな赤い木の実が宝石のごとくたわわに実っている。
草地の色が黄金色に変わっている部分は、畑を模しているのであろうか。ニンジン人形が小さな編み籠を抱え、なにかをまいている仕種で立たされている。そのまん前に、今まさになんともおいしそうな色合いと匂いの黄金色のゼラチンが流し込まれていた。
(池か!)
池の中に落とし込まれていくのは、ゆでた木の実を削られてできた緻密な魚たち。ニンジン人形がその岸辺で、槍の穂先のような形をした細長い果物をふりあげている。あれはここいらに住むコウモリたちが好物にしているものだ。ニンジン人形が今にも魚を仕留めようという見事な様相が、そこには具現されていた。
「うう。眠い。目がぼうっとしてきた。も、もう少しなのに」
『眠気ざましのスースー草があればいいんですけどねえ』
「ああ、ちょうど切らしちゃってたな。うっかりしてた……でもあれ、川向こうにしか生えてないから取りにいっても間にあわな……」
『あらあら、しっかりしなさい』
(こいつは一体なんというものを作るのだ。あと少しというのはどこがどうなるのか。み、見たいぞ。見たいぞ!)
ふくろうは迷わずバッと小屋から飛び立ち、あっという間に川向こうへ行き着いた。ぎらりと金の目を光らせ、草をにらむ。
眠気ざましの草というのは? ああ、あれだな。腹を下した時に一度食べたことがある――。
ふくろうは狙い違わずその草をつかみ取り、きこりの小屋へと戻って窓から投げ入れた。
『あら? わが主』
変な声がよろこんで青年を起こす。
『ごらんなさい。スースー草ですよ。不思議なこともあるものです。窓から飛び込んできました』
(さあ楽しみだ。とても楽しみだ)
ふくろうは樫の木に戻り、ほくそ笑んだ。
明日はきっとあの見事な金色の城下町が、いかつい男たちに供されるのだろう。そこでどこがどう完成したのか見てやろう。
(楽しみだ。とても楽しみだ!)
「うほおおおお!」
「うまい! うまい!」
「これすごいっすねおばちゃん代理」
「ちょ……ま……、も、もう少しじっくり眺めてから食べてくださいよ」
「でもこのきんとん、甘味ぐあいが最高っすよ、おばちゃん代理!」
「焼き栗香ばしいなぁ」「ほくほくですね。勝ち栗って勝利祈願だよね」
「うんうん。アロワにんじんは、150歳まで生きたアロワばあさんが品種改良したニンジンだよな」
「ああ、だから長寿祈願なんすね」
「ちょ……ま……、ひ、ひと口で……」
「いやごめん、うますぎて手がとまんないわ。城壁、出世魚のパイでできてるのかぁ。すごいなおばちゃん代理」
「この鈴なりの木の実って、たしか子沢山祈願の縁起ものすよねえ」
(な、なんだ?!)
目前の喧騒にふくろうはハッと目を覚ました。しまった、とわが目をばちばち何度もしばたきうろたえる。しののめの空がもう頬染めるのを止めて、真っ青になっている。
(なんと、寝過ごしてしまったか?!)
目の前のひらけた処に、いかつい銀鎧の男たちが何十人と群がっている。赤毛の青年がハハハと苦笑しながら頬をかいている。困っているようでいて、しかし嬉しそうだ。
(ま、待て! 待ってくれ! 見せてくれ!)
ふくろうはわたわた慌てた。しかし群がる男たちに阻まれて、あの見事な城もそのふもとも少しも見えない。まったく隙間が無い。あっという間にあの美しい城は崩されているようで、男たちの腹の中へと収まっているのか、くっちゃくっちゃものすごい食べっぷりの音だけが聞こえてくる。
(なっ……! なんという、こと、だ)
きゅう、ことり。
ふくろうは樫の木から落ちた。
寝過ごしてしまうとはなんたる失態。前日に、装置の変な音で昼間起こされたのが悪かったのだろう。
(ああ、気になる。とても気になる。あれからあと、一体何が加えられたのだっ)
しばらくして大満足の男たちが離れていくと、後に残ったのは緑の香草がほんのひと握り。つわものどもが夢のあと。美しく見事な城の面影は、何にも残っていなかった。
(ああ。ああ……)
「よし! 作業開始だ!」「結界増幅装置、がんばって増設しましょう!」
ふくろうが悔しさに地団駄踏んでいると。えいえいおーと気合を入れる男たちのそばを通り、赤毛の青年がすっとふくろうのそばを通り抜けた。なんとその手にはかわいらしいネズミが載っている。何かの食べ物からできているようだ。
「どこのふくろうかはわからないけど。俺の剣が、スースー草を投げ込んでくれたのは絶対ふくろうだっていうから……」
とつぶやきつつ、青年は大きな樫の木の洞にそのネズミをそっと入れた。
「ここ、ふくろうの巣のひとつだよな。ここの奴かどうかは知らんけど。ありがとうってことで置いてくよ」
(なんと私に?!)
青年が木から離れると、ふくろうはパッと洞の中に飛び込んだ。やはりネズミは食べられるもので作られていた。なんと肉入りのパイだ。それはなんとも香ばしく。そして。
(うまい! うまい! うまいぞおおっ!)
ふくろうは舌鼓を打った。昨夜食べたネズミよりも、それは何倍も何十倍も何百倍も、おいしいごちそうであった。
(なんと美味か。あっぱれだ。祝福あれ赤毛の青年!)
こうしてふくろうが大満足で腹を満たすかたわらで、銀鎧の男たちは必死に装置を増設し、三日三晩ペダルを漕ぎまくり、ついにはすさまじく真っ白い見事な大結界を生み出すに至るのであるが。
それはまた別の、長い長い物語である。
――夜明けのふくろう・了――
☆おばちゃん代理が今回つくったものとこめられた願い☆
「お城とのどかな領地のピエスモンテ」
ピエスモンテとは=いくつかの菓子を高く積み重ねて作るディスプレイ用の装飾菓子。
宴会、結婚、イベント、パーティ用に作られます。
・お城→くりきんとん(勝ち栗。栗の皮をむくことを「かちる」といい、勝ちと結びついた)
・城壁→出世魚のパイ(出世。たぶんブリみたいに大人になると呼び名がかわる川魚)
・緑の香草→(五穀豊穣。畑にまくと本当に豊作になるごまめ的な、キアという薬草)
・アロワニンジンの人や動物→(長寿。由来は本編にある通り)
・木になっている赤い木の実→(子宝。フィルというらしい)
・ゼラチン池の岸辺→(金運。中にお肉と黒豆が入っている。黒豆が金運を呼ぶという。これでネズミもつくった模様)
・ニンジン人形が持ってる槍→(豊漁・豊猟。スピアフルーツという木の実)