01 奄美剣星 著 夢 『オルガン・コンテスト』
挿図/Ⓒ奄美剣星 「愛矢」
明治帝の御世は和魂洋才という言葉がキャッチフレーズだった。そのころ、日本海の対岸のユーラシア大陸のはるかむこう側、中欧の山岳地帯にはオーストリア帝国というのがあって、瓦解せずまだなんとか持ちこたえていた。帝国内にいくつもの領邦国家が封建されていたわけだが、ヨハン工房はそんな小国の一つの首都にあった。僕は敦賀港からウラジオストック港に渡りそこからシベリア鉄道に乗って工房に赴き働いていた。
工房は裏路地に面した二階建ての木組み建物で、一階が工房、二階が親方一家の居住用、見習いだった僕は、最初、屋根裏部屋に住みこみさせてもらっていた。前掛けにつなぎの作業着、鳥撃ち帽姿をした職人衆二十人。その中にいた僕は学費こそとられなかったものの二年間は無給だった。
ああ、紹介が遅れたね、僕は恋川遼太郎、皆は恋太郎って呼んでいる。相棒は川上愛矢という牧師の息子だ。どいうわけだか愛矢は聖職にある父親の意向に従わず、僕と同じ職人の道を選び、二人してここまでやってきたというわけだ。――そんな僕たちの夢は誰もだせなかったような音色をつむぎだす究極のオルガンをつくることだ。
修業期間を終えて職人として認められた僕と愛矢が工房で働きだして五年目になったころだ。親方の紹介で僕らはお婆さんが一人暮らしている家の納屋を借りた。工房の仕事のあき時間や日曜日に僕らのオルガンを作った。
オルガンは送風することで弾力のある金属を振動させ音をだす。フリー・リードという発音体だ。それを規則正しく複数の穴を穿った平板に並べて固定する。音はリードの材質と長さで決まる。オーソドックスに真鍮製のものを採用。リードを囲う箱にあたる木材はいろいろつかわれるのだけれども、僕らは三年寝かせたトネリコを選んだ。けっきょく、オルガン製作も木材を寝かせるのと同じくさらに三年かかったわけだけど。
そして……。
オルガン職人を集めたコンテストがウィーンで催されていたため、僕と愛矢は新調したシャツとジャケットを羽織って列車に乗った。
ドイツ・コッペル社製機関車といえばふつう森林や鉱山でつかう軽便鉄道を彷彿とするものだが、僕が乗っていたのはそこそこ大きいサイズの一般客座車両牽引用だった。十二両編成で一等車から三等車まである。僕ら券を買った三等車の椅子はクッションもなくて乗り心地は最悪だ。しかしトランプをやったり風景をみたりして楽しむことができた。駅での待ち時間は、給水用のホースを機関車の補給車に突っ込んだり、車輪に油をさす作業をながめているだけでも暇潰しになった。
そうそう、いまボックス席でむかいあっている、ワンピースを着た女性を紹介しよう。長い赤毛ですらりとした親方の娘・グレーテル。僕の婚約者だ。コンテストに入賞したら結婚する予定。
さあ、ウィーンの駅についたぞ。
大理石列柱の会場・ホールには、コンテスト参加者たちの出品作が並べられ、僕らの傑作も置いてあるのをみつけた。ノートを持った審査員たちが音を調べだした。その間、僕たちはほかの職人たちと控え室で待たされた。
小一時間ばかり待たされたあたりで、コンテスト運営委員がやってきて、入賞者の名前を読み上げたとき、そのなかに僕と相棒・愛矢の名前もあった。
やったあ!
思わず椅子から立ち上がる……。
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化学の授業中、突然大声をあげて椅子から立ち上がった僕を、ブレザー姿の同級生たちが一斉にみやった。
アルコールランプとかフラスコとかが並んだ高校科学実験室。壁掛け時計下にはホワイトボード。教壇にいたのは、髪の毛の色以外グレーテルそっくりで切れ長な目をした、白衣姿の塩路麻亜胡先生だった。
僕の横の席にいた愛矢が教科書をめくる手を止めた。
「恋太郎は幽体離脱していたようです」
「ああ、いつもの夢ね」先生が冷めた声でいった。
「はい、妄想とも呼ばれている、いつもの夢です」愛矢が先生の口調に合わせフォローにならないフォローをしてくれた。
こうして僕は、〝あっち〟の世界からグレーテルではないところの麻亜胡先生がいる科学実験室に、つつがなく、還ってこれた次第だ。
了
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ノート20160523




