02 柳橋美湖 著 桜 『北ノ町の物語』
【あらすじ】
東京にある会社のOL・鈴木クロエは、奔放な母親を亡くして天涯孤独になろうとしていた。ところが、母親の遺言を読んでみると、実はお爺様がいることを知る。思い切って、手紙を書くと、お爺様の顧問弁護士・瀬名さんが訪ねてきた。そしてゴールデンウィークに、その人が住んでいる北ノ町にある瀟洒な洋館を訪ねたのだった。
お爺様の住む北ノ町。夜行列車でゆくその町はちょっと不思議な世界で、行くたびに催される一風変わしがt 最初は怖い感じだったのだけれども実は孫娘デレの素敵なお爺様。そして年上の魅力をもった瀬名さんと、イケメンでピアノの上手な小さなIT会社を経営する従兄・浩さんの二人から好意を寄せられ心揺れる乙女なクロエ……。そんなオムニバス・シリーズ。
挿絵/深海様より御拝領
23 桜
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鈴木クロエです。
4月末・5月上旬の連休に有休を加えた休暇をとり、夜行列車の切符を買った私は、またお爺様が住む北ノ町に滞在することにしました。上野駅で青い列車に乗車したのは6時過ぎでまだ明るい時間です。
東京では桜がすでに散っているのだけれど、人づてに北に行くと動画を巻き戻して再生するかのように、だんだんと花が満開になって行くとききます。しかしラウンジカー車窓のむこう側を暗くなるまで眺めていても、花が散ってしまった桜木ばかりで、満開の木をみかけることはありません。
私は持参した水筒のハーブティーを蓋になったカップに注ぎ、上野駅で買ったサンドイッチを頬張って夕食にして、しばらくそのままラウンジで読書をしていました。
9時近くなったところで眠ろうかと思ったときのことです。
「お一人ですか?」といって、私よりも少し年長の男の人が話しかけてきました。それから私が読んでいる本の小題をみやって、『女ごころ』ですね。生前、著者のモームはミステリーを書くのは苦手だといっているのですが、いやいや、どうしてどうして、ちゃんとミステリーになっている。まあ、どちらかといえばサスペンスに近いですけど」
「読んだことがおありなのですね」
「はい、大ファンです」
この方は白鳥玲央と名乗りました。
ちょうどそこへ、スカーフを首に飾ったアテンダント女性が通りかかったので、白鳥さんはシェリーを二つ注文してグラス一つを私にくださりました。
「僕は、北ノ町で途中下車して友人に会い、それから終点の札幌に向います。クロエさんはどちらへ?」
「私も祖父が住んでいる北ノ町へ行きます」
「へえ、それは奇遇。クロエさんは帰省ですか、いいですね」
海に臨んだ北ノ町。高台にある牧師館を改装した洋館に彫刻家のお爺様は住んでいて、母は若いときに父とそこを駆け落ち同様に飛び出して上京。だから当然、子供のころは交流がなかったのですが、母の死を機にお爺様の存在を知り、寂しさからお手紙をだすと、そのまま受け入れてくださったのです。帰省というと厚かましくも感じますが、いまでは確かに実家に帰るという感じがしています。
話をしていると、不思議なことに、車窓からライトアップされた桜がみえてきました。一本ではなく千本桜というところで並木をなしています。
白鳥さんはちょっと間隔をあけて私と同じ椅子の横に座りました。
「桜は何ゆえに美しく人の心をとらえて離さないのでしょうね。魅了するとはまさにこのこと。魅了の魅という文字は、鬼片に未。未といえば未明の未。闇からまだ明けぬ不安定な常態、訪魔が刻を示しています」
白鳥さんは、私の従兄でセミプロ・ピアニストの浩さんに似ている気がします。すらりと手足が長くて身体の線が細い。髪の毛はちょっと長めで肩にかかり軽くカールしている。マスカラをしたかのように、まつ毛が長くて、ぐいぐい心を引っ張って行く。そして大胆。シートについた私の片手に自らの手を重ねたのです。
私は顔面が紅潮しているのを感じた、というのに、その一方で心の奥から強、こんな叫び声がきこえてきます。
――だ、駄目よ、彼は危険だわ!
白鳥さんが腕をまわしてきて私の肩にまわしてくるのだけれども嫌じゃない。というか、私の心はそうしてもらうことを望んでいる。
白鳥さんの顔が近づいてきた。
ああ、抵抗できない。私の首筋に前歯が触れた。何、この刺さるような牙みたいな感じは。
そのときです。
セーターの内側で首に吊るした呼子笛が突然鳴ったのです。冬、北ノ町を訪れたおり、街外れにある湖にする主・河伯さんからの頂いた御神木の小枝で、お爺様が彫って呼子笛のペンダントにしてくださったものです。
白鳥さんは面食らった顔をして、私から遠のき、それから取ってつけたかのように言い分けをして立ち上がりました。
「いましがたシェリーを口にしたものだから、夜桜の色香と麗しのレディーに酔って魅了され、つい粗相など。お許しください。じゃあまた、明日」
「は、はい……。おやすみなさい」
それでそのまま何ごともなく、白鳥さんはラウンジカーの6号車から、ご自分の寝台車がある12号車に戻って行ったのでした。
私の寝台があるのは1号車で、途中、通り抜けた車両では、ずらりと並んだコンパートメント横を通り抜け、まだボオっとしている頭を片手で支えながら歩いて戻りました。梯子をつかって二段ベッドの上に昇り、毛布を被ってカーテンを閉めた私。まだ心臓がドキドキしている。
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翌朝、北ノ町に着くと、駅には従兄・浩さんとお爺様がランドクルーザーで出迎えに来てくれていました。駅も、街並みも、遠くで連なった山々も満開になった桜で覆われていました。
私は改札口にいる二人を尻目に、この駅に途中下車するといっていた白鳥さんを捜したのですが、くすんだセメントのホームに降り立ったのは私だけで、その人の影をみつけることはできません。
そしてエピソードの続きは5月にもちこされます……。
では、みなさん、ごきげんよう。
By Kuroe
【シリーズ主要登場人物】
●鈴木クロエ/東京在住・土木会社の事務員でアパート暮らしをしている。
●鈴木三郎/お爺様。地方財閥一門で高名な彫刻家。北ノ町にある洋館で暮らしている。
●鈴木浩/クロエの従兄。洋館近くに住んでいる。
●瀬名玲雄/鈴木家顧問弁護士。
●小母様/お爺様のお屋敷の近くに住む主婦で、ときどき家政婦アルバイトにくる。
●鈴木ミドリ/クロエの母で故人。奔放な女性で生前は数々の浮名をあげていたようだ。
●寺崎明/クロエの父。母との離婚後行方不明だったが、実は公安委員会のエージェント。
●白鳥玲央/寝台列車で出会った謎めいた青年。




