01 奄美剣星 著 自転車 『ドワーフ親爺の自転車屋』
挿絵/深海様より御拝領
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その自転車は、再就職先である地方都市の会社が準備してくれた宿舎・ガレージに放置してあったものだ。宿舎はもと自動車修理工場を無理無理改装した二階建てで、八世帯が棲んでいる。居住費・光熱費無料。ただし、きたときは、玄関を兼ねたガレージの天井に燕の巣があって、床には糞がべったりと堆積して煎餅みたいになっており、おまけに壁際には物干し台や竿、アルミ製アトラック、ザリガニの遺骸が入った水槽まで残されていた。
先住者のガラクタは燕の糞塊と一緒に処分したのだが、自転車だけは残しておいた。
――というのは、町の北側に湖があり、水面に臨んだスタジアムではサッカーの試合が催される。会社はチームのスポンサーの一つになっていたので、ときどき、タダ券をもらえる。……しかし仕事帰りに競技場にゆくと専用駐車場は満杯で、仕方なく近隣のパーキングに入ろうとすると、駐車料金が二千円に吊り上っていて、ふざけるんじゃねえ、と引き返したことがあった。そこで……。
そうだ、自転車を買おう!
と思いたったわけだが、買おうとすると何万円もする。――ガレージのオンボロ自転車は、うまい具合に盗難防止用の自転車登録も貼っていない。そんなこんなで安くあげようと、自転車屋に持ちこみ、修理を頼むことにした。おそらく費用は五千円前後というところだろう。
有限会社サトウ自転車店。
インターネットの地図で検索すると、駅前商店街の奥まったところにあるようだ。住所・電話番号が書いてあったので、店に連絡する。のむこう側からきこえてきたのは、オッサンの声だ。
「お客さん、当店へは直接のお持ち込み?」
「はい、そのつもりです」
「いや助かる。なら場所は御存じすけ?」
「カーナビに従ってゆきます」
「お車すけ? では車種とカラー、ナンバーを教えてくなんしょ」
なんでそこまでいわねばならんのだと思いつつ、まあいいか、親爺と喧嘩しても仕方がない、と考え直し、きかれるままに答えた。
「車種はホンダのフィット、カラーは白、ナンバーは8585」
「8585? おおっ、愛車〝バコバコ〟ときたか。毎度あり、マイカー修理は自動車屋の仕事っすが、自転車だったら、こん儂がお手ごろ価格で引き受けさせていただきますけ!」
うるせえ。
電話を切った僕は、これまた廃車寸前の、甲虫みたいでノスタルジックな車体をしたフィットに、自転車を積み、カーナビの音声に従って、商店街に走った。
各店舗は、歩道から一メートルばかり引っ込ませたうえで、庇を一律に並べて和風アーケードをつくっている。このあたりではそういう施設を〝がせんき〟というのだそうだ。
鞄屋、豆腐屋、酒屋、生花店、本屋、床屋……。
しかしだ。
ナビは同じところをくるくる回って、店はみつからない。いまどきはどこの地方都市にもあるシャッター商店街というやつで、虫食い状に空き地まであった。機能しているのは、信託銀行に、郵便局、和菓子屋といったところだ。
そこで電話がかかってきた。
「どわっふっふっ……。やっぱり、迷ったっすね、お客さん。儂、二階の窓からお客さんのお車をみつけましたすけ」
「そのために、車種やカラー、ナンバーまできいたのですか?」
「もちろん。これから下に降りて軒先に立っていやしょう。たぶん一発で儂だと判りますけ。では。どわっふっふっ……」
オヤジギャグをかけたかのような変な笑い方から、僕は、容易に自転車店主の体型を想像することができた。――小柄にして猪首・猫背な筋肉質、手先が器用な職人。……ファンタジー映画にでてくる架空種族・ドワーフそのものではないか!
携帯を切って間もなく、あれほど探してもみつからなかった自転車店の看板が、ひょこり〝がせんき〟軒下にでてきた。そこで、前掛けをした蛸入道が、ガラス扉の前に立っていて手揉みしていた。
車一台がようやく停められる店の駐車場に、車を頭から突っ込み、自転車を降ろした。
「ほお、これは、〝砂漠の蜃気楼工房〟で限定十台つくられた特別仕様車だ。〝あっち〟の世界じゃ、大変な値打ち物っすよ」
たしかに自転車のなかには、自家用車なみの値段のするものがある。しかしこの自転車はママチャリをもっと安くしたような、単純構造で、とてもそんな物凄い代物にはみえなかった。
店は木造モルタル二階建てで、一階が店舗兼工房の土間になっている。
親爺は僕を一瞥して、「まあ、任せてくなんしょ」というので、任せることにした。親爺はシャツを腕まくりして、鉢巻をし、両手に唾をぺっぺっとかけて、スパナやらドライバーやらを手早く動かして分解。水槽にタイヤを沈めて泡の漏れ具合からパンク箇所を探り当てて、つぎはぎのゴムを貼りつけた。
「もう出来上がりかい。親爺さん、いい仕事しましたねえ」背中ポンポン。
だが、そこで親爺は不敵な笑みを浮かべた。
「ここからは企業秘密。お客さん、三分ばかし、店の外でお待ちくだせえまし。――ついでにむこうをむいていてくだせえ。こっちをみたりしたらタダじゃおきませんすけ」
親爺の顔が、職人種族ドワーフから、妖鬼ゴブリンになった。小柄なくせに、ボディービルダーのような隆々たる筋肉がパリパリと膨れ上がってきて、眉・目じり・口許が吊り上った、邪鬼を踏んづける運慶の仁王像のごとき憤怒の表情。まるで格闘系漫画に登場する悪役そのものだ。
ひょろひょろした僕なんざ、親爺の指先一つ衝かれてで、「おまえはもう死んでいる」とか宣言されて、アベシーとか言葉にならない断末魔の雄叫びをあげ、空中分解するに違いない。
くわばらくわばら。
〝がせんき〟の天井をみると、ディスコボールが放つような光、赤・青・黄色が反射している。後方である店内土間からは、トンチンカントンチンカンひっぱたいたり、キュルキュル、ネジを回したりする金属音がひっきりなく続いた。
それから。
腕時計が三分経過したのを確かめたとき、親爺が片腕で額の汗を拭いながら、店外にいる僕の横にきた。
「ふう。しばらくぶりにいい汗かいたっすよ、お客さん。どうぞ、お入りなんしょ。お会計は五千円。業界ナンバーワン、サプライズなお値段」
自分でいうな!
勘定を済ませてから、親爺に手伝ってもらって、僕は自転車を車に乗せた。
そこでまた親爺が、例の仁王像のごとき、顔の縁辺を吊り上げた、獰猛かつ凶悪な、厳しい表情になった。
「そん自転車は、峠の上り坂でもスイスイ登っていける優れもんっすが、一つだけ厄介な事があるんで、忠告しておきやす」
え、ここにきて、放置自転車を店に持ち込んだのが、不法取得で罪になるとかいいだすんじゃないだろうな。
しかし僕の危惧とするところは外れた。
「――月のない夜は自転車に乗らないほうがいいっしょう。ライトをつけていても、〝あっち〟へ、トリップしやすい状態になりますけ……」
そういい終えた親爺の顔が、孫デレな好々爺みたいに緩んで、街路にバックででる僕の車を誘導。ハンドルを切って宿舎にむかうとき、バックミラーには、手を振り続ける親爺の姿が映っていた。
「毎度ありぃっ!」
おつ……、お疲れ様です。
〝あっち〟というところがどういうところなのか想像もできないのだが、親爺の口ぶりから、関わらないほうがいい世界であることだけは確かだ。――そういうわけで僕は、月のない夜、自転車に乗らないことにしている。
了