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終わりの始まり-2-

 なだらかとは云えない道。

 左右を生い茂る草に囲まれた街道を歩むのは濃紺のマントを羽織った男とその肩に乗せられた白い鴉の姿だ。底の深いブーツはしっかりと地面を掴み、歩を進めて行く。

 何度も人が行き来したのだろう。固く踏み固められた土は思ったよりも歩きやすいものだった。それでも所詮はただ、草花が生えないように整えられただけの道だ。無骨には違いない。だから、男の唇からは不満の声が漏れる。眇められている瞳は目つきが悪く、不機嫌に見えるも声はただ、嘆息を乗せられただけのもので、

「やはり、歩きにくいものですねぇ。アスファルトとかコンクリート舗装とかの素晴らしさが解りますよ。これ」

「当然だろう。文明が違う。あちらの世界と比較すれば……そうだな、中世程度の文化レベルと云ったところか。一部に於いてはそれよりも上だが」

 応える声が響く。それは人の声だ。しわがれた、それでいて重厚な色の声。嘴を開いたのは男の右肩に止まる鳥だ。

「まぁ、そうですよね。……訊いていませんでしたが、ここ、どんな世界なので?」

「そうだな。云うなら、剣と魔法の世界、か」

「無難すぎますねぇ」

 苦笑。男が小さく肩を竦めると肩に乗せられた白鴉(はくあ)は翼を広げてバランスを取る。不慣れなのだろうか。翼の先端が男の右頬を撫でるように引っ掻いた。

 男が右手をもたげ、頬をさする。傷はない。ただ、擦過の痛みが残るだけだ。それもすぐに消え去るだろう。その程度のものだ。

「……神様、その姿、馴れてません?」

「まぁ、まぁ、化身などをもたらすのはいつ振りになるのか、記憶にすらないのでな。しばらくは迷惑をかける」

「話し相手になると云いましたし、仕方ありませんか。けれど、名前くらいはどうにかしないといけませんよね。いつまでも鳥を神様とか呼んでると俺の品格疑われますし」

「この世界では天からの啓示(アポカリプス)を神として仰ぐのは珍しくないがな」

「そこは現代人としての感性と云うことで、一つ」

「鳥に敬語を使うには良いのか」

 今度は白鴉が苦笑を声に乗せる番だ。だが、そこ声はどことなく楽しげに響く。そして小さく鴉は頭を垂れ、

「名か。それも良い」


◆◆◆


 神の化身である白鴉は思う。

 ――名、か。

 世界の管理者である神に決まった名称は存在しない。あってはならない、とも云えるだろうか。現世に於いて信仰される神の姿は様々だ。それは時に何かの擬神化であったり、環境や自然現象を神格化したものでもある。

 それを全て一括りにしてこその〝神〟なのだ。

 名とは縛りに等しく、呼称は存在を縛る。逆に、

 ――呼ぶ名がなければその存在は何も縛られない。

 神が定めた法則(ルール)ではない。人の子が定め、そして人の歴史の中で自然に根付いた法則だ。神の一柱であれば無視できる。だが、それでも時に、神すら縛るのが人なのだ。甘く見てはならない。

 それでも、良いと答えたのには理由がある。

 白鴉に宿るのは確かに神の力であり、その姿は神の分体でもある。ゆえに化身であるのだ。しかし、それは神の本体ではない。云うのならば通信機か、あるいは出力機。その双方を兼ね備えた力の一端に過ぎないのだ。

 対話相手となった(くら)()(みつる)がそのことに気づいているか解らないが、おそらく、察することくらいはしているだろう。実際に全知性を有する〝神〟と逢っているのだ。その程度は察してもらわないと困る。

 事実、その通りだ。

 神としての全知性、世界を管理するための権能、そのほとんどを白鴉は行使できない。充の対話相手として現世へと降りて来たのだ。力などなくても問題はない。多少のサポートはするが。

 だから、名をつけられても問題ない。少し、懸念はあるがそれも些細ものだ。なにより、

 ――心躍る……!

 名とは親しい者同士が呼び合うものだ。一人では決して叶わない。時々、神界を訪れる他の神は権能を分担して管理しているから名があるが、たった一柱で世界を管理して来た己にはない。だから、いつも呼ばれる時は君やお前、アンタだ。それが名で呼ばれるのだ。一気に親しみが湧くではないか。

 だから神は期待する。声は努めていつも通りに厳格さを保ち、どこか楽しさを含ませる。期待していると察せられてはならない。何せ己は神なのだ。

 充の横顔を見れば頬に添えていた手を口元に添えて考え込んでいるようだった。呼び名を考えているのだろう。よいよい。存分に悩むが良い。急ぐものではない。だが出来るのなら早い方が神としては嬉しい。さらに格好いい名前であるのならば神として褒美を与えたい。

 無骨な街道を歩く速度に変わりはない。それでも白鴉は沈黙を座して充が言葉を発するその時を待つ。どうせこの街道はまだ続いて行くのだ。急ぐ必要もない。ただ、三本の脚と十二の爪は肩の肉をしっかりと掴んで離さないのは仕方ない。首が落ち着きなく充の横顔をちらちらと覗くのも仕方ない。神だって期待くらいはするのだ。

 そうしてどれだけの時間が過ぎただろう。さほど経っていないようにもかなりの距離を歩いたようにも思える。永き時に渡り世界を管理して来た神に取って、待つ、と云う一挙もまた、その心を震わせるものだった。

 金色の瞳を投げる隣人の横顔からは手が離れ、頸を小さく捻って白鴉に見向く。目つきの悪さが際立つ黒の瞳と金色は重なり合い、口元には薄らとして笑みが見える。

 ゆっくりとその唇を開き、

「個体名から取って、あーちゃんとかどうでしょう」

 白鴉は頭を垂れ下げ、うなだれた。


◆◆◆


 落ち込んだようにも見える白鴉を肩に、充は首を傾げる。

 ――まぁ、さすがにないよな。

 冗談のつもりで放った一句だ。いくら自分でも神の化身にそんな名前を付ける気はない。ただ。どう見ても白鴉が期待した風だったので少しからかいたくなっただけだ。神の天罰が降るかも知れないがそれはそれ。人の良いこの神なら大したことにはならないだろう。

 さて、と頭を切り替える。白鴉の名前はともかくとして充には神から訊きたい事が山とあった。

 たとえばこの世界の事。

 単に剣と魔法の世界では情報が少なすぎる。

 たとえばこの身の事。

 この世界で生きて行けと云われても力がなくては生きる事もままならない。

 たとえば神との関係の事。

 部下であるのか、それとも気安い関係で良いのか。それは今でも計り兼ねている。

 簡単に思いつくだけでもこれだけだ。ゆっくりと考える時間があればさらに疑問は出で来るだろう。

 神は云った。思うがままに世界を巡れば良いと。

 だが、そう簡単に行かないのも世界の構築と云うものだ。幸いと云えるのは右肩に乗せた白鴉の存在か。仮にもこの世界の管理者。光の世界で出会った時のような威圧感は覚えず、神々しさもないが備えている知識は本物だろう。問えば答えてくれるかは解らないが。

 ――前途多難だな。

 解り切った事だ。自身が光の世界で云った事でもある。

 何も知らない世界に行き、何も解らずに、何の能力も持たなければ生きてはいけない。そう、自分は云ったのだ。

 だからこそ安穏を選ぼうとした。

 けれど、

 ――楽しいよな。

 広がるのは未知だ。何も知らないと云う事は何かを知れるという事であり、何も持たないという事は何かを得られると云う事でもある。だからこそ、楽しい。反復として日常ではない。刺激に満ち溢れた世界に今、自分はいるのだから。

 背を押したのは神だ。強引な手段ではあったが、確かの望みを叶えてくれている。

 小さく、顎を引く。

 誰に対するものでもない頷きだ。自分を納得させための、今の己を肯定するための首肯。

 悪くない。そう、充は確かに思っていた。

 そしてその原因となった物は、

「――うむ、うむ、あーちゃん、か。こう、親しみがあって良いではないか。いかにも話し相手と云う感じがする」

 その名を喜んでいた。

「――え?」

 思わず、疑問符が唇から漏れる。

 いやいや、それはないだろう。ペットのような名前だ。化身とはいえ仮にも神の一柱。さすがにそんな名前は不敬もすぎる。だと云うに白鴉は気に入った様子で、

「格好よさはないが共にいても良いと云う感じがひしひしと伝わった来るではないか発音もなかなかに良い。ワシは気に入った」

「いやいやいや」

 今度こそ、充は声を出した。その声は焦りを混ぜて、

(いや)、貴方、神様ですよね。この世界を管理する偉い御方ですよね。それがあーちゃんって、威厳も何もないじゃないですか」

 なにより、

 ――一人称がワシなのに、ちゃん、って。

 自分が云い出した事ではある。だが、これは阻止しなくてはならない。こんな名前を付けた自身の品性が疑われてしまう。今は周囲に人影はない。天からの啓示(アポカリプス)を伴うということがこの世界でどれだけの意味を持つかは解らないが、少なくとも良い方向に転ばないのは間違いない。

 だから充は否定を重ねる。

「それに格好良くないって自分も云っていますし、他の名前を考えましょうよ」

「それもそうだが、云い出したのは君ではないか」

 ――ぐっ、痛いところを!

 その通りだ。だからと云って適当に冗談で考えましたなどとは云えない。本人が気に入らないのなら付け替えれ良いが、気に入ってしまえば変えるためには相応の理由が必要になる。

充自身、神との距離感を掴めていないのだ。彼の取っては些細な事でも神に取っては重要な事なのかも知れないし、最悪、神の機嫌を損ねた結果、この世界に何の頼りもなく放り出されるかも知れない。

神に対して冗談を述べるなどと云う行為が早計であったというのは今更だ。どうにかしてこの場を切り抜け、神の化身に相応しい名をつけなくてはならない。

 どうやってごまかすか、浮かべた薄ら笑みが引きつり、皮鎧の下に冷たい汗が流れ出す。

 ひとまず、何か喋らなくては始まらないと唇を薄く開いて白鴉へ視線を向け、

「――――」

 言葉に詰まった。

 弁解が喉から零れなかったのではない。ただ、白鴉の雰囲気が一変していたからだ。

 平和な社会に染まり切っていた自身にすら解るその気配は警戒。金色の瞳を細め、緩やかに周囲を見回す白鴉の視線は猛禽類のそれだ。

「……どうしました?」

 自然、声が潜められる。歩みを止めて街道に立ちすくみ、そして周囲を見る。

 充の眼に入るのは膝下程度にまで生い茂る草原のみだ。微かに訊こえる音も風に靡く草の囁きのみ。なんて事のない。街道を進んでいた時と変わりない光景だ。

 だが、白鴉は確かに、その変化を捉えていた。

「――いるな」

 何が、とは云わない。

 だが、何かが居るのだ。

 充の出来る事は少ない。平和な世界にどっぷりと浸かっていたのだ。いきなり備えると云われて出来るわけもない。精々、驚かないように覚悟を決めて、すぐに走り出せる姿勢を作るくらいだ。

 だからそうする。

 膝を軽く曲げて腰を落とし、重心を前に傾ける。視線は正面を注視するのではなく、意識して視野を広げる。街道が広がる正面を見ていても仕方ないのだ。視界の隅にでも捉えられれば儲けものだろう。

 呼吸を整え、深く息を吐く。緊張により固まる身体を解すために深く、深く息を吐き、そして、

「カッ――!」

 来た。

作者の一言

冗談を冗談と云い出すタイミングを逃すと大変な事に。

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